2020年4月21日火曜日

新型コロナは、人口を分散させるか

みなさん、ごきげんよう。

今日は、新型コロナウイルス感染の流行後の世界について、考えてみたいと思っています。
とくに、私が気になっているのは、新型コロナ流行の結果として、我々の都市や国に、どのような影響があるか、特に、新型コロナ流行の結果として、現在、都市に集中しつつある人口が分散するかどうか、ということです。

新型コロナウイルス感染が広がる中で、いわゆる三密、密集、密接、密閉が避けられるようになり、その結果として、テレワークが普及し、満員電車が避けられ、また、飲食店や商店などは、休業して、代わりに、様々な宅配サービスの利用が拡大しています。

この新型コロナウイルス感染の流行は、いつ頃まで続くかわかりませんが、かなり長期にわたって続く可能性もありますし、そうなりますと、今回起こった社会の様々な変化は、おそらく、流行後の社会にも、不可逆的な影響をもたらすでしょう。

で、あちこちで話を聞いていると
1,ビデオ会議システムの普及に伴い、多くの企業が、地方に機能を分散させた社会
2,テレワークが普及した結果、多くの人が地方に移住し、人口が分散した社会
みたいな予想をする人が出てきているわけです。

しかし、私としては、そういうことにはならないんじゃないかな、と思いながら見ています。以下は、私が、あちこちの会社に行ったときに見聞きした話から思っていることです。

1,そもそも、企業の機能の地方移転は、多くの場合、三密を避けることにはならないのではないでしょうか?
私の知る中にも、コロナ後に、一部の機能を、地方に分散することを検討したいといっている(現時点では、お話だけですが)企業が複数あります。しかし、地方と言っても、東京の本社の機能の分散の受け皿になりうるようなところは、そもそも、そこそこ大きな都市、たいていは、政令指定都市や中核市などです。そういった、地方の大都市は、都市の規模こそ東京より小さいものの、中心部の人の密度は、それほど小さいわけではありません。地方と言っても、地方の大都市である以上、単純に東京から地方に移転することで三密を避けるということにはならないのではないかと思いながら話を聞いています。

2,多くのホワイトカラーの仕事は、結局、時々は、お互いに会わなくてはならないのではないでしょうか?
テレワークは普及するでしょうけれど、それでも、お互いに、全く会わなくてもいいと言うことになる仕事は少ないでしょう。そうすると、「毎日のように会う必要はないが、必要なときには会えるところにはいてほしい」という程度の距離感になるのではないでしょうか。となると、毎日、都心に出ていく必要はないけれど、呼ばれれば、1~2時間程度で都心に出ていく交通手段が複数ある、そして、週1~2回程度は、都心の会社に呼び出されても負担ではない、という程度の距離に住む必要はあるでしょう。
もし、完全にテレワークになれば、都心のマンションを離れて、常夏の南の島や、温泉など、好きなところにに住んで仕事をしたい、という人は、現在、たくさんいます。しかし、「会える必要はある」ことを考えると、実際に大部分の都市脱出組のテレワーカーたちから選ばれるのは、東北や四国や九州ではなくて、東京や大阪から、せいぜい50~100km程度の距離の場所になるのではないでしょうか?
東京から100kmとなると、水戸、宇都宮、前橋、甲府、沼津といったあたり、大阪から100kmとなると、米原、舞鶴、姫路、御坊、津といったあたりになります。
それより遠くなると、「必要なときにすぐに東京や大阪に出ていくことができる」とは言いにくい気がします。この程度の範囲であれば、これは、地方分散というよりも、大都市の通勤圏の拡大といったほうが適切でしょう。
もちろん、その範囲内でも、都市脱出を希望する人たちが憧れそうな温暖な海岸や温泉地は、たくさんあります。湘南、箱根、伊豆、有馬温泉、南紀白浜などは、すべて、この範囲内です。

3,完全にテレワークでできる仕事は、日本に残らないのではないでしょうか?
テレワークが始まってみると、実は、完全に会社に来なくても大丈夫そうな仕事も、結構見つかってきました。しかし、GoogleAppsやZOOMなどのソフトウェアを使って、本当に全く会わなくてもできるような仕事の大部分は、結局、オフショアの、たとえば、ベトナムあたりの賢い労働者にまかせても良い仕事と認識されるようになるのではないか、という気がします。そうなると、そういう仕事は、ほとんど日本の労働者の仕事としては残らないのではないでしょうか?そう考えると、日本の大部分の労働者の仕事は、結局、時々は、人とあわなくてはならないものになるのではないかと思います。

4,ホテル住まいの晴耕雨読の時代。
私達は、そこそこ長い期間、新型コロナウイルス感染を広げる可能性のある行動を慎むことを求められるでしょう。その間、人の賑わうところで買い物したり、レストランで食事をしたり、といったような楽しみについては、私達は禁欲させられることになります。そして、周囲の他の人にも、同じような禁欲を求めるでしょう。あまり望ましいことではないでしょうが、それをできない人たちを厳しく非難するようにもなるでしょう。いわば、三密をさけることは、「道徳」になるのです。そうなった社会で、私達に道徳的に求められるのは、かつて、「晴耕雨読」と呼ばれた生活になんとなく似ています。
晴れた日、あるいは、仕事を求められる日は、人と会わずに草庵の畑を耕すように、黙々とテレワークを行い、仕事のない日は、室内で、書を読み学ぶ。そういう生活です。
かつての晴耕雨読の士は、禁欲的ではあったでしょうが、しかし、昔の読書階級の人の多くは、決して、貧しい生まれではありません。それなりの家産もあったでしょうし、人嫌いの主人の生活を支えるために、代わりに買い物に出たりする召使いくらいはいたでしょう。私達は、それと同じことを、マンションに閉じこもって、アマゾンやウーバーイーツを頼むことで実現することになります。次の時代の高所得層は、大都会を見下ろすような立地の、リゾートホテルの一室のような豪華なマンションの一室に閉じこもり、室内から出ない仕事で大きく稼ぎ、学び、ホテルのルームサービスのような宅配サービスを受けながら、外で人と会いながら働かなくてはならないような人たちを非道徳的と感じて、ちょっとだけ蔑むような人たちになるかもしれません。

なんだか、ちょっと嫌な未来かもしれませんね。

それでは、今日の話はここまで。
みなさん、おげんきで。
ごきげんよう。

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