2017年3月16日木曜日

ロジカルエア

先日、文房具屋さんでロジカルエアというノートを見つけてきて、それから、このノートにハマっている。
1,紙が工夫されていて軽いこと。
2,罫、つまりラインや方眼の形が工夫されていて、文字でも、グラフや表でもきれいに書きやすくなっていること。
の2つが特徴のノートだ。

仕事用に、いつもノートを何冊かバッグにいれて持ち運ぶ私としては、ノートが少しでも軽いのは嬉しい。

罫線については、少し前に流行した、コクヨの東大式ノート(ドット入り罫線ノート)と似たような工夫なんだけれど、横罫線を3頭分する形で横ドット線が入っているのが新しい。文字の大きさの緩急をつけたり、英文や数式と和文を混ぜて書いてもきれいに書けるのが嬉しい。

今使っているノートを全部これに変えたいくらい、このノートにハマっている。

で、ひとつ、これを作っているナカバヤシにお願いなんですが、このロジカルエアのシリーズで、A6サイズ(文庫サイズ)で、100枚(200ページ)くらいのノート、作ってくれませんかね。
何に使うのかというと、ダイアリー用です。ほぼ日手帳のカバーにリフィルの代わりに入れたら便利だとおもっているのです。
結構、ニーズあるんじゃないかと思うんですが、いかがでしょう。

2017年3月12日日曜日

医学関連のオントロジー

医学関連のオントロジーを探していたのですが、最近、私の目的には、これが一番いいかな、と思っています。
備忘的に、リンクをメモ
diseases database
症状や検査、病名などのつながりが明確なルールで定義されているので、コンピュータで解析させるのにちょうどいいかもしれません。

2017年1月26日木曜日

Android上で、ウェブ系開発をするためのワタシ的な設定。

少し前まで、Linuxを入れたノートパソコンを持ち歩いて仕事していたのですが、最近、ノートパソコンの代わりにAndroidタブレットを使うようになりました。
電車の中とか布団の中とかでゴニョゴニョと仕事できるので、ノートパソコンよりも都合が良いことが多いです。
なんですけれど、私、いくつか、ウェブ関連の開発の仕事をしているので、全面的にタブレットに移行するならば、やはり、タブレット上でウェブ系の開発環境を作りたいのですね。

そういうわけで、タブレット上にウェブ系の開発環境を作ろうと、これまでにも何度かトライしてきたのですが、やっと、最近になって、そこそこ使える環境が揃ったように思います。

というわけで、現在の環境のメモです。

1, KSWeb
Premium Lisenceにしました。
Standardでもいいのかもしれないけれど、一応。

2, MGit
KSWebのhtdocsをリポジトリのrootに設定する。

3,エディタ。
Jota+とAWDを入れた。Jota+をメインに使う。

5, Tremux
Androidで、Unix的なターミナルを使うためのアプリはいくつか出ているけれど、現時点では、一番良いチョイス。
aptが使えるのが評価高い。
ただし、やむを得ない理由により、Pathが少し変。
もし、PHPを使うなら、composer-termuxも入れておこう。

6, ATOK
フリックに慣れているなら、いちいち、物理キーボードを持ち歩くよりも、UIが工夫されたソフトウェアキーボードを導入して物理キーボードの代用にしたほうが良い。
portraitならATOKかiWnnがおすすめ。もし、フリックに慣れていないならば、日本語入力をほとんどしないlandscapeで使うことが多い人に限りhackers keyboardがおすすめ。

ATOKなら、フリック入力の設定で、使用するテンキーはひらがな+英字に、また、英字キーフリックで、8のキーフリックで;(セミコロン)に、それぞれ設定しておくのが、コーディングには良いと思う。

7,それ以外に入れたアプリとか。
a, PrintSmash(ファミマでプリントするためのアプリ)
b, Cobuild Intermediate English Dictionary(英英辞典、英英辞典の中では、私は一番好き。英文を書く人にはおすすめ)
c, Keep(グーグル謹製のメモアプリ)
d, Kindle
e, あと、個人的な趣味のアプリ。Chess Tactics Proとか将皇とか虫姫さまとか。

2016年7月19日火曜日

合同会社やさしさと医療のソフトウェアの研究室

すでにご存じの方も多いと思いますが、私、今月はじめ、「合同会社やさしさと医療のソフトウェアの研究室」を設立しました。

まだ、会社紹介のウェブページなども作っていないのですが、一応、ご報告まで。

この会社ですが、「人をやさしくするための医療のアドバイスを提供するソフトウェアを作る」ことを目標にする会社です。

自分の家族や友人が痛みや辛さに苦しんでいる時、ちょっとした医療の知識があれば、もっと、苦しんでいる人に優しくなれる。反対に、ちょっとした知識がないために、痛みに耐えている人に自信を持って対応できず、そのため、つい、辛く当たってしまう。

私は、それほどいい医者ではありませんが、医者をやってきて、そういう場面をたくさん見てきました。

ですので、我々が、もう少し、我々の周囲で痛みに耐えている人にやさしくなれるために、ちょっとした医療の知識をアドバイスをするソフトウェアを作ろうと考えたのです。

この新会社は、そのための会社です。

目標は、このように壮大なんですけれど、とりあえず、この会社の当面の業務は、私がこれまで個人で引き受けてきた医療や健康絡みのソフトウェアの開発や保守の仕事の一部を引き継ぐこと、それから、委託の開発の仕事を引き受けることになると思います。

みなさま、よろしくお願いします。

特に、私にお仕事を依頼してみようかと考えてくださっているみなさま、よろしくお願いします。

2016年7月2日土曜日

石田智秀さんの著作について

昨年11月、友人の僧侶の石田智秀さんが「浄土真宗の信心がこんなにわかりやすいわけがない 」という本を書きました。電子書籍なのですが本当に良い本です。石田さんは、浄土真宗の僧侶なのですが、今回の本は、浄土真宗の「信心」について、石田さんが法話でお話した内容をまとめて書籍にしたものです。
法話という言葉からイメージされる堅苦しいものではなくて、なんというか、若々しく青臭く悩む石田さん自身のお坊さんになるまでの青春ストーリーを信心というテーマでまとめた本です。
北海道のお寺で、お寺の跡継ぎとして育てられた石田少年は、成長するにつれ、自分のお寺の宗旨である浄土真宗の教義が分からないと感じるようになります。とくに、その教義の中で大事だとされている「信心」という言葉がさっぱりわからないのです。しかし、お坊さんになれば、自分の宗旨について分からないなんていえません。分からなくても、お坊さんであれば、立場上、自分の宗派の教えくらい分かったふりをしなくてはならない。自分で分かりもしない教えを大事にしているふりをしなくてはならない。そんなお坊さんになることが嫌な石田少年は、やがて、お坊さんではなくジャーナリストになりたいという夢を持つようになり、上京。早稲田大学に入学します。しかし、ジャーナリストになるはずだった上京後の石田少年の関心は徐々に変化していき、悩み、そして、やがて、あるきっかけで、むかしわからなかった浄土真宗の教義の意味に気づくのです。

実は、私、出版の前に、石田さんからこの本の原稿を見せられ、意見を聞かれました。
一読して、浄土真宗の信心のわかりにくいところをわかりやすく説明している良い話だったと思ったのですが、これを電子書籍で一般に売ると聞いて、正直、少し、困惑しました
というのは、これまで浄土真宗の教理に触れたことのない人には、この青春のストーリーを読んでも、石田少年が何を悩んでいるか分かりにくいのではないかと思ったのです。

そこで、石田さんに、言いました。
この本は、どのような人を対象に書いたのでしょうか?「私」(*作中の石田さんのことです)と同じように、何度も子供の頃から信心について聞いているのに、信心がわからないと悩んでいる人でしょうか?それとも、もう少し広く、子供の頃から「私」ほどには法話も聞いておらず、真宗の「他力の信心」を日本語の日常語で言うところの「信じる」ことと同じようなものと誤解している人たちでしょうか?
前者の人をターゲットにしているつもりであれば、以下、気にされなくて結構です。ですが、おそらく、kindleで出せば、後者の読者の方がずっと多いと思います。そして、残念ながら、後者の人の多くには、若い「私」が何に悩んでいるのか、よくわからないのではないかと思います。そういうひとのために、子供の頃からの「私」が信心とは何だと聞いてきたか、そしてそれは世間で言う信心とはどう違うか、文章の初め頃、4ページ辺りか、あるいは、文章の半ばほど、8〜9ページあたりで、一度まとめられてはいかがでしょうか?
真宗の信心というのは、世間で、普通に考えられているような意味での「信じる」こととは、随分違います。
世間では、占いやおまじないなど、科学的に証明できないことや不思議なこと、よくわからないことなどを信じたり、そういう物の価値を認めることを「信心」と言うことが多いです。原稿中で、占い好きの女性が出てきますが、当然、そういう人は、自分で好きで選んで、そういうものを大切にする人生を歩んでいるのです。あるいは、強い「信心」を得るために、山の中で修行したり、断食したりする人もいます。また、宗教を、道徳などと似たようなものと思っている人も多いです。そういう人は、たとえば、国や公共のものや伝統を大切にする心とか、親や目上の人に対する尊敬の心とか、「信心」をそういうものに近い「良い」ことと思っています(もちろん、信心は、「わるい」ことではないのですが)。
キリスト教などの「信仰」や、最近流行りのマインドフルネスは、これらに比べると真宗の「信心」に近いと思いますが、これらは、普通の日本人には異文化であり縁の遠い概念です。そして、世間でいう「信じること」が「信心」だといままで聞かされてきた人、つまりは普通の日本人の多くには、「私」が何に悩んでいたのか共感できるための基礎知識がないのではないかと思うのです。
「私」が、浄土真宗のお寺の跡継ぎとして生まれて、しかし、お寺の宗旨である浄土真宗を信じられなくて、それで悩んでいるというのは、おそらく、皆にわかるでしょう。でも、「私」が、信心とはなにかわからなくて悩んでいるというのは、かなり分りにくいのではないかと思うのです。なぜなら、そういう読者にとって、「信心」といえば、なにか道徳的なことや神秘的なことを信じることに決まっているからです。
「信じるというのは、要するに、そういう曖昧だけれど大切なことを一生懸命自分に言い聞かせて信じこむことに決まっているではないか、それがどういうことかわからんというのは、何やら難しい哲学を語っているように見せかけて、要するに、お寺のお坊ちゃんのワガママであろう。正座するのが嫌だったり、辛気臭い葬式が嫌だったりするのだろう。若いうちは、そういうものだからな。それを我慢するのが信心ではないか。伝統を大切にする心ではないか。」
そういう感覚の人は、たぶんものすごく多いのです。
今から読み返すと、随分、失礼なことを書き連ねています(石田さん、本当にすみませんでした)。石田さん、えらく気にされたようで、ほぼ出来上がった原稿を、また書き直しさせる羽目になってしまいました。
上で書いたように、浄土真宗では「信心」というものを非常に大事にするのですが、この宗派で言う「信心」というのは、世間一般で言う「信じる」とか「信心」という言葉とは、少し、意味合いが異なります。
普通の現代語では、「信心」という言葉は、なにか、神様とか仏様とか占いとかなんでもよいのだけれど、そういった、神秘的でよくわからないけれど大きな力を持った「ハイアーパワー的なもの」の存在を信じるという意味合いで使われます。しかし、浄土真宗では、信心という言葉に、そういう意味合いはあまりないのです。
これは、なにも、浄土真宗が宗派独自の特殊な言葉遣いをしているからというわけではありません。私は、実は、この、「信心」という言葉の誤解は、浄土真宗にかぎらず、ほとんどの日本仏教の宗派につきまとう問題ではないかと思っています。日本仏教の多くの宗派は、平安時代から鎌倉時代のお坊さんたちが見出した教えです。当然、その教えは、平安~鎌倉時代の語彙で書かれています。鎌倉時代には、それらの言葉は、多くの人にわかりやすい普通の言葉だったのかもしれません。しかし、言葉は生き物です。おそらく、長い時間をかけて、多くの言葉の意味が変わってしまったのでしょう。当時の言語での「信」という言葉の意味と、現代語の「信じる」という言葉の意味に大きなズレがあるのです。(**)

では、仏教における、「信心」というのは、どういう意味なのでしょうか?

それは、この本を読んでください。

残念ながら、この本を読んでも、信心の意味は、今ひとつ分からないかもしれません。この本は非常にわかりやすい良い本ですが、それでも、信心というのは、誤解されやすく、わかりにくい概念です。多くの人にとっては信心ということの意味が分かるには、「え?そんな簡単なことなの?」みたいな一種の気付きのような体験だと思います。

でも、たとえ、信心の意味がわからなくても、この私の拙い文章をここまで読んでくれた人ならば、この本は、まず、読んで後悔はしません。石田さんの文章は、軽妙なリズムで楽しく、私などの文章よりずっとわかりやすい文章ですから。

おすすめの一冊です。

(**)個人的には、「信心」という誤解されやすい言葉を使う代わりに、もっと現代人に誤解されにくい現代語の訳語を当てるべきではないかとは思います。たとえば、同じ概念を表すのに、「気づき」とか「きれいな心」というのはどうでしょうか。

2016年6月27日月曜日

親にはわからない「小学生の悩み事」に答えてみる。その2

前の続きです。
すぐにでも、つづきを書くつもりだったんですが、忙しくて、随分時間が立ってしまいました。
この記事にある、「小学生の悩み事」に答えてみるエントリーです。

  1. なぜ勉強しなくてはいけないのか
  2. 友達ができない
  3. 死んだあとどうなるのか
  4. 運動が苦手だ
  5. 人前でうまく話せない
  6. もっと小遣いがほしい
  7. 兄弟姉妹と比べられるのが辛い
  8. ペットの死が悲しい
  9. 朝なかなか起きられない
  10. キレイに(カッコよく)なりたい

前回は、このうち、1位の「なぜ勉強しなくてはいけないのか」に答えてみたのですが、今日は、いったん、2位の質問を飛ばして、3位の質問「死んだあとどうなるのか」に答えてみようと思います。
というのも、この3位の質問に対する、大人たちの答えが、あまりにもひどいと思うからです。

というわけで、書いてみました。例によって、少し長いです。

いま、あなたは、「死んだあとどうなるのか」について悩んでいるそうだね。

じゃあ、まず、話の本題の前に次のことを確認してほしい。

あなたは、いま、極端にお腹が空いていないか?最後に食事をしてから二三日何も食べていないということはないか?あなたの今いるところは、寒すぎないか?あるいは、反対に熱すぎないか?あなたは、体調が悪かったり、大きな怪我をしたあとではないか?何かの病気の治療中ではないか?

特に最後。もし、自信がなかったら、だれか医者に相談してみてほしい。

人間の心と身体はつながっている。 だから、身体の調子が悪かったり、身体の周りの環境が悪かったりすると、訳の分からない不安に襲われたり、ものがかんがえられなくなったりすることがあるんだ。

そして、体の調子が悪いせいで心が不調に陥って悩んでいる状態と、「死んだらどうなるのか」みたいな簡単に解決の付かない悩みを考えている状態って、本人にとっては、なかなか区別がつかないものなんだ。だから、ただ単に体調が悪いだけなのに、哲学的に難しい問題を考えているつもりになっている人というのが、世の中には結構いる。だから、まず、自分の身体の調子は大丈夫か、自分はちゃんとご飯を食べているか、部屋のエアコンのスイッチは入っているか、確認してほしい?

あなたは健康?問題ない?

じゃあ、先に進もう。

さて、私も、昔、死んだらどうなるのかが気になって仕方がなかったことがある。
夜中に急に不安になって眠れなくなったりしたこともある。また、まわりの大人たちに死んだあとどうなるのか質問して、「そんなこと考えなくていいよ。もっと楽しく前向きに生きよう。」なんて言われて、自分がおかしいのだろうかと感じたこともある。

でも、安心してほしい。おとなになって振り返ってみるとわかるんだけれど、「死んだらどうなるのか」みたいな問題で悩むのは、ごく普通の健全なことなんだ。もちろん、そういう悩みをどれくらい強く持つのかはひとによって全く違う。本当に毎晩のように不安になる人もいるし、人によってはさらに、昼間も不安になる人もいる。反対に、ほんの少しだけしか不安にならない人もいる。

だから、「もっと前向きに楽しく生きよう」と考えることで不安感を吹っ切れる人もいれば、ずっと、そのことで悩む人もいる。あなたがどれくらい深く悩んでいるのかわからないけれど、もし、あなたの悩みが、そういう言葉で吹っ切れる程度であれば、それはそれで、あなたは幸せだと思う。悩みを忘れて生きていってもいい。

で、もし、あなたのこの悩みが、簡単に忘れられないほど強いものならば。

おめでとう。たぶん、あなたは、そういうすごく大事な問題を考えるために生まれてきたんだと思う。
大いに悩むといい。悩んで勉強するといい。そうすれば、なにかわかるようになるかもしれない。

さて、「死ぬとどうなるのか」 については、究極的には、誰もその答えは知らない。誰も、死んだことがある人がいないからだ。もちろん、死んだらどうなるって話をまことしやかに話すいんちき臭いまじない師や霊能者はあちこちにいる。テレビにも出てくる。でも、そんな連中は信用できる連中ではない。あなたの生死に関わる問題の答えを委ねていいような連中ではない。つまり、あなたの信用できる人間は、誰も死んだことがないんだ。誰も本当の答えは知らないんだよ。

じゃあ、考えても無駄じゃあないかって?
さっき、なにかわかるようになるって言ったのは、嘘だったのかって?
そうでもない。こういうことは考えることはすごく大事なんだ。世界には、そういうことを真剣に考えたことのある人じゃないとわからないことっていうのもいっぱいあるんだ。

あなたは、まだ子供だけれど、将来もずっと、こういう悩みを持ち続けていたら、こういう問題に関するいろいろな本を読んだり、いろいろな人の話を聞いたり、いろいろな人と議論したりすることになるかもしれない。

そうしたら、長い歴史の中で、どれほどたくさんの人間が「死ぬとどうなるのか」っていうことについて考えてきたのか、知ることになるだろう。そういう人の中には、上に上げたようないんちき臭いまじない師のたぐいもいっぱいいるけれど、「死ぬとどうなるのか」っていうことについて誠実に考えて、それなりの結論を出した人たちがいっぱいいることも、きっとわかるようになると思う。

私は、さっき「死ぬとどうなるのか」の答えは誰も知らないって言った。そういう問題に、それなりの結論を出した人がいっぱいいるってどういうことだろう。

実は、ちょっとしたトリックがある。
もちろん、「死ぬとどうなるのか」なんて、どれだけ考えてもわからない。でも、わからないけれど、いずれ、みんな死ぬ。
そういう、「誰にでも必ず起こることなのに、わけがわからないこと」に対して、どういう態度で望むべきか。実は、「死ぬとどうなるのか」という問題に結論を出した人たちは、みな、「死ぬとどうなるのか」という問題に結論を出そうとしながら、そのかわりに「人間は死ぬことをどう受け止めるとよいか」という問題に結論を出しているんだ。実は、この2つの問題は、ほとんど同じものなんだよ。

そして、その「人間は死ぬことをどう受け止めるべきか」という問題の答えは、その答えだけどれだけ読んでも、「死ぬとどうなるのか」について真剣に悩んだことのある人間以外には、なかなか理解しにくい話なんだよ。
「死ぬとどうなるのか」に悩むことでわかるようになることがあるっていうのは、そういうことだ。

最後に。
「死ぬとどうなるのか」みたいな話を悩む人をバカにする人が、世の中には結構いる。でも、この問題に悩むことは、たとえ、人に馬鹿にされても大事なことだ。
そういう問題に真剣に悩んだことのある人にしかわからない、わかってあげられない問題を抱えた人たちが、この社会にはいっぱいいるからだ。

あなたが、もし、いま、「死ぬとどうなるか」 について悩んでいるならば、きっと、その悩みを持ち続けることで、将来、同じように「死ぬとどうなるか」について悩んでいたり、「人間は死ぬことをどう受け止めるべきか」について悩んでいたりする人たちの悩みを聞いてあげられるような、そういう大人になれると思う。それは、とても素晴らしいことだと思う。

今はしんどいかもしれないけれど、しっかり悩み続けてほしい。

2016年6月10日金曜日

親にはわからない「小学生の悩み事」に答えてみる。その1

数日前に、こういう記事がありました。

親にはわからない「小学生の悩み事」ランキング10

悩みのベスト3はこういうもの。
1,なぜ、勉強しなくてはならないか
2,友だちができない
3,死んだあとどうなるのか

うん、わかりますよ。私も、小学生の頃、よく悩みました。死んだらどうなるのか、不安になって夜寝られなくなることも何度もありましたし、当時は「なんで勉強しなくてはならないのか」も、よくわからなかったですし。

こういう疑問に、企業の経営者や役員が答えるという内容なんですが、なんでしょう。
質問に対する答えがグチャグチャというか、答えられていないというか、はぐらかしているだけというか、現在の自分の主張をぶつけているだけというか、とにかくひどいんです。

というわけで、私なりに、もし、子供に、こういうことを聞かれたらどう答えるか、考えてみました。
今日は、まず、一番目の質問に答えてみようと思います。

1,なぜ、勉強しなくてはならないのか

元記事を読むと、この質問に「勉強したくない奴はしなくていい、自己責任だ。」とかなんか、変なことを書いている人もいたけれど、たぶん、この質問を聞いているあなたは、勉強したくないからこんな質問しているってわけじゃあないと思う。まったく勉強していない人、まったく勉強したくない人は、こんな質問するわけがないからね。

私自身、子供の時、勉強しなさいっていう大人は大嫌いだった。私は、勉強をするのは嫌いじゃなかったけれど、でも、何のために勉強しているんだろうってよく考えた。

小学生の頃は、周りの大人にも、「何のために勉強するのか」ってよく聞いた。 でも、聞いても、たいてい、満足できる答えは帰ってこなかった。何のために勉強するのか、大人に聞いたら、たいていは、いい高校に入るためだって言われた。じゃあ、何のためにいい高校に入るの?って聞いたら、いい大学に入るためだ。なんのためにいい大学に?いい会社に入るためだ。それから、勉強してる人は、いい会社で、いい給料もらって、それから出世して。。。
そういうことをいう大人がいっぱいいたけれど、でも、全く納得できなかった。だって、そんなの、小学生の私にはものすごく遠い先の話に思えたし、それに、そんな頑張っていい会社に入ったって、どうせ、結局、いずれ同じように死ぬんだと思ったからね。

なので、今日は、私が「なぜ勉強するのか」という質問についてどう考えているか、書いてみようと思う(ただし、この質問の答えそのものは書けないかもしれない)。

まず第一に、何のために勉強するにしても、とりあえず、あなたたちは勉強はしておいたほうがいいと思う。もちろん、あなたたち子供だけじゃなくて、私達大人も、もっともっと勉強しておいたほうがいい。それから、あなたたちが勉強した方がいい理由なんだけれど、それは、これから、あなたたちが勉強して、それからあなたたちが自分で考えるんだよ。

勉強の理由は勉強してからわかるよっていう言い方は納得しにくいかもしれない。普通は、行動する前に理由があるものだから。

普通は、行動の前に理由がある。お腹がすいてごはんを食べたくなるのはごはんを食べる前だし、普通は、友達に悪口を言っちゃう前に、友達にムカついて悪口言いたくなるから、そうするんだ。

でも、案外、この順番が逆になることも多いんだ。そういうことがあることもわかっておいたほうがいい。

たとえば、あなたは、「何のために自分が生きているんだろう」って考えたことがあるかもしれない。そういうことを考えたことのある人は、なんのために生きるのかわかるより前に、生まれてきてしまったんだ。あるいは、あなた達の中に、「なぜ、人を殺してはいけないか」って考えたことのある人も多いかもしれない。でも、そういう人だって、「自分には、なぜ人を殺してはいけないかまだわからないから、今は人を殺してもいい」なんて考えないだろう。

世の中で、一番平凡なことや大事なことっていうのは、実は、理由がわかる前にスタートすることが多い。
なんのために生きるのかがわかってから生まれてくる人はいない。むしろ、逆で、なんのために生きるのか、わかるようになるために生きるんだと言ってもいいくらいだと思う。
で、「なぜ勉強をするのか」も、そういう種類の話なんだ。勉強はした方がいい。そして、もし、あなたがしっかりと勉強していけば、やがて、なんのために勉強するのかについての自分なりの答えもみつかるかもしれない。勉強ってのは、そういうものだ。それは、案外楽しいことだと思う。

ちなみに、もし、あなたが勉強しなかったら。
勉強しないのは自己責任だって書いている人もいたけれど、私は、そうは思わない。私は、子供が勉強しなくちゃいけないのと同じように、大人は、自分の勉強をしながら、同時に、子どもたちに勉強したいと思わせなきゃいけないんだと思うからだ。だから、もし、あなたが勉強しなかったなら、責任を取らなくちゃいけないのは、わたしたちなんだ。

つづきは、別のエントリーで、明日にでも書きます。