2013年12月29日日曜日

靖国と幽霊

幽霊

先日、安倍総理大臣が、靖国神社に参拝しました。

ネット上を見ると、この参拝について、多くの人が意見を書いているようですが、この参拝の外交という側面での問題、つまり、中国や韓国がどうだとか、アメリカがどうだとか、について書いてあるものばかりで、この靖国の慰霊の宗教的な側面の問題について書いている人はあまりいないように思います。そこで、僕は、この宗教的な問題について、僕の思うところを書いてみようと思います。

僕が考えているのは、宗教と言いますか、慰霊の方法のことです。
僕は、靖国が問題になるのは、結局、僕達が幽霊を見たことがないから、ではないかと思っています。

話が飛びすぎました。

僕たちは、幽霊を見たことがありません。生きている人で死んだ人と会ったことがある人はいませんし、生きている人は死者と話すことができません。
死んだ人と話ができるという占い師やイタコのたぐいはいます。しかし、そういうのは、少なくともエビデンスベースドな議論に耐えられるようなレベルの話ではありません。

つまり、僕達の科学では、死んだ人のタマシイみたいなものの存在は証明できません。そうである以上、僕達にとって、科学的には、死んだ人は存在しない、あるいは死んだ人がどうなっているかなんて分からないわけです。

しかし、僕達は、人が死んだら、死んだ人の慰霊をします。お葬式をします。そうして、死んだ人が伝統に従って「正しく」扱われなければ死んだ人が「浮かばれない」なんて感じたりします。もちろん、現実に、お葬式を挙げてもらえなかった人が化けて出たりすることはありません。それでも、お葬式をしなくてもいいということにはなりません。死者を、自分たちの伝統に基づいて自分の信じるように「正しく」弔ってあげなくてはいけないという僕達の感情は非常に強いものだからです。
その感情は非常に強いものですので、自分の身内が死んだ時に、死者が「正しい」扱いをされていないと思うと、僕達は非常にうろたえます。逆に、死者を「正しく」弔ったと感じたら、僕達は、きっと、死者があの世で満足しているはずだと感じます。
そういうものです。

しかし、何度も言っているように、僕達は、だれも死者と話すことはできません。したがって、どのようなお葬式をしても、それで本当に死者が満足しているかは、僕達にはわかりませんし、それゆえ、僕達には、本当にそれが「正しい」お葬式の方法かは、絶対にわからないのです。

お葬式の際、弔い方について身内の複数の人で意見が違った場合、非常にややこしい話になります。他人の信じている弔い方が間違っていると説得するのは困難です。だれも幽霊に話を聞くことができない以上、誰にも、「自分の信じる弔い方のほうが死者が満足する」というエビデンスを提示することはできないからです。自分の意見を無理矢理に押し付けたところで相手は納得しません。僕達は、誰もが、自分の信じるように「正しく」弔ってあげたいという気持ちがあるのです。したがって、議論は永遠に決着がつきません。誰かが満足すれば別の誰かが不満になるのです。

靖国問題というのは、本質的に、そういう問題です。

いくつかの立場

いくつかの、戦死者を「正しく」弔いたいと思っている人の立場について、書きましょう。

立場1
小泉元総理が靖国に参拝したとき、僕が診ていた女性患者の一人が、感激して泣いていました。彼女は、夫を第二次大戦でなくしました。遺骨は戻ってきていないそうです。おそらく、遺骨が戻ってこなかったことも理由の一つでしょう。彼女は、自分の夫が靖国に眠っていると信じており、しばしば、自分でも靖国に参拝していました。
靖国に対する批判が続いたとき、これでは死んだ夫が浮かばれないと思ったそうです。そういうことで悔しく思っていた時に、小泉総理という「偉い人」が参拝してくれたことで救われた気がしたと言っていました。

立場2
以前の職場の同僚です。福島の会津の出身でした。酔うたびに、戊辰戦争の話になって、「会津ばかりひどい目にあわされた」と、同じ話ばかりグズグズ言う人でした。その話が面倒でしたので、僕は、だんだん飲み会のときは彼を避けるようになりました。
実は、今年、NHKで「八重の桜」を見たとき、彼のことを思い出し、あのとき、もう少し話を聞いておけばよかったと思いました(が、いま、もう一度、かれのクドい話を聞かされたら、やっぱり拒否反応がおこるかもしれません)。
「会津の人は長州の人にたくさん殺されて、殺された後もいじわるされて、靖国にも入れてもらえなかったから、会津の人は浮かばれない」
そんなことも言っていました。
今回、長州出身の総理が参拝しましたが、いまだ、白虎隊は靖国には祀られていません。戊辰戦争というのは、そういう傷を未だに残すくらいの内戦だったのでしょう。
彼は、靖国に政治家が参拝することに反対してはいなかったように思います。しかし、彼は、靖国は祀る神様を間違えている(それも、山口県民の意図的な意地悪のせいで!)と感じているのです。

立場3
僕の知人の一人です。父親と叔父を大戦でなくしています。父親は熱心な真宗の門徒で、「自分は戦死するときにも念仏して死ぬから靖国には行かない。お浄土に行く。」と言っていたそうです。もちろん、彼の父親は二次大戦で戦死したわけですから、靖国に祀られている「みたま」のうちの一柱です。
彼は、自分の父親が、本人の信じていた宗旨と異なる祀り方で神社に祀られていることに気持よく思っていません。以前、酔った時に「本当はオヤジを分祀して欲しいんだけれど」と言っていました。
日本には、神道以外の宗教を強く信じている人も多く住んでいます。そういう身内を持った人にとっては、本人の望まない宗旨で慰霊しないでほしい、というのは普通の感情に思えます。
余談ですが、彼の父親の信じていた真宗は、東西いずれも首相の靖国参拝には否定的です(ということは、日本で一番大きい宗教団体と第二位の宗教団体が、いずれも、この神社に首相が参拝すべきでないと感じているということを意味します)。それは、きっと、彼のような門徒が他にもいるからなんだろうな、と思っています。たぶん、キリスト教系の団体の一部や、宗教色の強い政党である公明党などが靖国に批判的なのにも、似た理由があるのではないかと思います。

立場4
フィリピン人の知人です。日本の首相が、戦犯も合祀した「War Shrine」に参拝することを容認しては、戦争で死んだ自分の親族たちが浮かばれないと言っています(ここでも、要するに、慰霊の問題なのです。日本の靖国のせいで、フィリピン人の戦死者が「正しく」扱われなっている、というわけです)。
もちろん、海外から出てくるこういう意見に対しては、靖国は内政問題だと突っぱねることも可能でしょう。
しかし、こういう不満が感情的には十分に理解できるのも事実です。身内や友人など、近しい人が何かの事故などで死んだら、その加害者は相応の批判を受けてほしいというのは当然の感情だと思います。加害者が、加害者の母国の神社で死後も「顕彰」されているというのは、不愉快だろうと思います。

神道の立場による制約

様々な立場があるのですが、結局、どの立場も、自分が「正しくない」と思う慰霊の仕方をされると、死んでしまった自分の大切な人が浮かばれない、と感じているのです。その感情は、非常に強いものですので、中々妥協はできません。だれかが満足すれば他の誰かが不満になる。だれも不満な人をきちんと説得できる人はいません。死者に話を聞いてきた人なんて誰もいないからです。

少し考えると、上記の人たちすべてを満足させそうな妥協案の一つとして、靖国で祀る神様を入れ替える、という方法がありえるように思えます。
戊辰の幕府軍や西郷軍など、日本人兵士でありながら靖国に祀られていないみたまについて、その子孫が希望したら合祀できるようにする。逆に、遺族が靖国に祀ってほしくないと感じている場合、そのみたまは分祀する。また、明らかに倫理に反した行為をした戦犯については分祀する(もちろん、日本人の手で「歴史を裁く」ことが困難であれば、極東裁判で有罪となった人を分祀することでもかまいません。)。

しかし、この解決策は、これはこれで難しいようです。現在の神道での主流の考え方では、一度、一つとして祀ったら、その神様を分けることはできないことになっているからです。
神道の教義でダメということになっているということは、神道を強く信じている人が、それを「正しくない」慰霊だと感じ、それでは死者が浮かばれないと不満をいだくということです。

政教分離

すべての関係者が満足する解決策などありえないというのは理解いただけたでしょうか?
通常、近代国家では、この種のヤヤコシイ問題には国家は立ち入らないことになっています。それぞれの立場の関係者同士、民間人同士で話し合って、適当に折り合いをつけてくれ、というわけです。
これが、政教分離というやつです。
もちろん、多くの国では、自国の兵隊のための慰霊施設というのは必要です。でも、そういう施設は、国民の間でできるだけ不満が出てこないように、慎重に運営されているのです。たとえば、アメリカのアーリントンはそういう施設です。アーリントンでは、特定の宗教色を排除し、内戦の場合は両軍の死者がともに慰霊されるように配慮しています。かつ、アーリントンで慰霊されるかどうかは、本人と遺族の希望に基づいて決定されます。
対して、靖国は、神道の「神社」であり、誰が合祀されるかの決定に遺族の意見は配慮されません。安倍総理は靖国をアーリントンになぞらえたようですが、両者はずいぶん違います。

日本の近隣諸国が、本来は内政問題である靖国を外交カードに使おうとしているという不満も、しばしば耳にします。それは、靖国について日本人の間でも意見が割れていて、そのために付け入るスキがあるからでしょう。付け入るスキがないようにするには、アーリントンのように、できるだけ国民の意見が分裂しないような運営をする国営施設を作らねばならないのだと思います。

僕は、宗教というのは、この上なく大事な、同時にヤヤコシイ問題だと思っています。そういうヤヤコシイ問題に政治家が考えなしにクチバシを突っ込むと、どこの国でも、ろくな事になりません。安倍さんは、外国の誤解をとく、説得すると言いますが、たぶん、無理でしょう。だって、安倍さんも、たぶん、幽霊を見たことがないのですから。

僕は、安倍さんは、参拝する前に、誰か宗教家に相談したら良かったんじゃないかと思っています。伝統的な日本仏教の団体でもいいですし、カトリックや日本基督教団みたいな、メジャーなキリスト教の団体でもいいです。なんなら、連立相手の政党は宗教家が作った政党ですから、そちらに相談されても良かったでしょう。ヤヤコシイ問題に対して、専門家の手引なしにアレコレするのは危険です。

たぶん、今回の参拝の結果、安倍総理は、批判で火だるまになるでしょう。僕は、少し意地悪なので、宗教みたいな大事な問題を軽々しく扱うからバチが当たったんだ、というくらいに思っています。

本当に、どうなるんでしょうね。

それではまた。

2013年12月23日月曜日

人体の形を日用品のデザインに取り入れること

人体の構造を日用品のデザインに取り入れることには、昔から興味があります。

生物の体の構造は、しばしば、日用品として使う時にも実用的で合理的な構造をしているように感じています。その中でも、特に、人体の構造は、デザインとして非常に面白い、人をドキドキさせるような形のものが多いように感じているからです。

これは、どちらかというと、人体がそういう、ドキドキするような優れたデザインで作られているというより、それが我々自身の体の形であるから、そういう形のものに強く揺さぶられるように我々の心や脳ができているのだと思ったほうが正しいのかもしれません。

たぶん、僕が、そういうことに興味を持つようになったのは、学生時代、解剖実習の頃からです。
解剖実習中に面白い形の臓器を見つけるたびに、
「これは、家具に使うと便利かもしれない」
「これは、こういう用途に使いたい」
なんて言ってて、教授から不謹慎だと叱られていました。

確かに少々不謹慎なんですけれど、でも、人体って、非常に面白いデザインの宝庫だと思うんですね。

でも、そういうものを作ってみたいという、僕の気持ちは、プロのデザイナーを目指そうというほど強い気持ちではなく、したがって、解剖実習から今まで20年間、僕のささやかな解剖学の知識がデザインの方面に生かされることもありませんでした。

でも、僕は、実は、将来、3Dプリンタとかがもっと素晴らしい物になれば、プロのデザイナーじゃなくても、「プチデザイナー」みたいな感じで、面白い人体風デザインをいろいろやってみたいっていうくらいは、デザインに興味を持っています。

もちろん、いますぐだってやってみたいんですけれど、今の一般向けの3Dプリンタで作ったものって、まだ、普通に使う道具にするには、耐久性とか、まだまだ問題ある気がするんですよね。

最近、代官山の蔦屋書店で、こういうお皿が展示されているのを見ました。


手で作ったお皿がプリントされたお皿です。
なんか、有名なデザイナーの作品らしいんですが、よく知りません。こういうの、疎いものですから。
でも、ゾクゾクしちゃったんですよ。手の絵をお皿にプリントしただけなんですけれど、それだけで、何か、自分のお皿に何か食べ物をよそってもらったり、人のお皿に何かをよそってあげたり、そういうお互い様って感じのありがたい感覚を、ものすごく刺激される感じのデザインですよね。

作った人がそういう意図で作ったのかは全然知りませんけれど。

思わず写真をとりました。

で、そのあと、思い出したんです。
むかし、自分も、これと同じようなデザインを考えたことがあったな。

それから、考えました。
ああ、こういうのなら、いますぐでもできそうだな。
3Dプリンタとかじゃなくて、完成品のお皿とか机とかに、好きな絵をプリントする形で、人体の形を日用品のデザインに活かせないものか。

年末に、時間ができたら、すこし考えてみようと思っているところです。

2013年12月2日月曜日

なぜ自由な投資と相性が悪い業界があるのか

いや、前からずっと不思議だったんです。
アメリカの医療制度では、株式会社が病院を運営することができるなど、日本の医療制度より病院に対する自由な投資が認められています。

一般的には、自由な投資や自由な市場競争は、(それが健全であれば)消費者の利益を増やし、効率を高めるはずです。

なのに、アメリカの医療は、日本やヨーロッパよりもずっと高価で、しばしば、ずっと非効率的と考えられています。

なぜ、こんなことになっているんでしょう?

最近、次の記事を読みました。

ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から
松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

もう一つ、上の記事のなかでも少し触れられているのですが、同じ著者による医療経営の分析です。

なぜ医療機関は医師が経営するのか

この2つの記事を読んで、初めて、医療経営の奇妙な状況についてハラオチした気がします。

以下、上記の2記事の内容についての僕の理解です。

いろいろな例を出して、著者が言っているのは、結局、経営や投資がうまく行くためには、「経営の実質的な決定権を持つ人」と「経営がうまく行かなかった時にリスクを負う人」「経営に関する責任を負う人」ができるだけ一致する必要がある、ということです。別の言い方で言うと、リスクを自分で負わない人が決定権を持つと、モラルハザードを引き起こす、というわけです。

この原則で、社会主義的な公営企業がうまく行かない理由は説明できます。
公営企業において、経営の実質的な決定権を持つ公営企業のトップは、その会社がうまく行かなかった時のファイナンシャルなリスクを負いません。このような場合、投資は、どうしても無責任になりがちで、結果、それぞれのプレーヤーが利己的に振る舞った場合、どうしても投資が過剰になることになります。

では、投資した人が権限を持つ資本主義的な企業では、同じ問題は起こらないのか?
そんなことはありません。なぜなら、資本主義社会の企業においても、必ずしも、投資した人が一番リスクを負っているとは限らないし、実質的な判断をできる人がリスクを負っているとも限らないからです。

たとえば、漁師を何人も雇って漁をする「会社」に(漁師以外の)投資家が投資したとします。万一、漁の途中に海難事故が起こった場合、投資家は、投資したお金のうち、船の代金分を失います。しかし、雇われている漁師は、事故が起こったら自分のいのちを失う可能性があるわけです。漁師が死ぬ危険があることに比べると、投資家が失う船の代金のリスクなどはたかが知れています。

つまり、投資家に比べて、漁師のほうが大きなリスクを背負っていると言えますし、漁師のほうが(自分のいのちを賭けるという形で)より大きな投資をしているとも言えるわけです。

そう考えると、実は大部分の投資をしている漁師でなく、見かけ上の投資だけをしている投資家が経営に関する実質的な権限を持つならば、先の公営企業のトップと同じく、無責任な過剰投資(つまり、漁から会社が得られると期待される利得に見合わない過剰な危険に漁師を晒す)ことになるわけです。

くわえて、漁というビジネスに必要な知識は、投資家よりも漁師の方がずっと豊富です。結果的に、投資家よりも漁師が決定権を持つほうがよい、ということになるわけです。

では、投資家が投資して、漁師が決定権を持つ(経営に投資家は口を出さない)ということになったらどうでしょう。この場合、漁師が合理的であれば、投資を過少にする(つまり、漁で得られると期待される利得に比べて、危険を過剰に避ける)ことになるでしょう。投資家から給与だけをもらって危険を避けるのが、漁師にとっては合理的だからです。

結局、漁をする会社が漁から得られる利得を最大にするためには、投資家を募らず、漁師自身が(投資でなく)融資を受けて、自分の責任で船を買って、自分で自分の会社を運営する形にするのが、一番良いということになります(実際、多くの漁の事業は、そういう方法で営まれているそうです)。

似た問題は、医療にも発生します。

医師を雇って医療を行う会社に、(医師でない)投資家が投資するという状態を考えてみてください。

投資家は、医療の知識が医師ほどにはありません。もし、投資家も医師も合理的に振る舞うとならば、投資家が個々の経営の判断をするときには、どうしても、(投資家が、自身に判断できない投資を抑制するため)投資が過少になります。一方、医師が経営の判断をするときには、どうしても、(医師が投資家の無知につけ込んで、過剰に投資家からお金を引き出そうとするので)投資が過剰になります。

結果的に、医療機関は医師自身が投資して経営する。投資を募る代わりに、医師が銀行から融資を受けて、お金を集める(つまり、医師が全面的にファイナンシャルなリスクを負う)形が、社会的に見て、もっとも適切な医療投資がなされることになるというわけです(詳細はここ参照)。

僕が、これを読んで思い出したのは、日本で、「投資」を集めているいくつかの医療機関の経営の話でした。

いや、実は、日本でも、病院が合法的に投資を集めるスキームは、いくつかあるのです。病院に投資したいという投資家も、何とかして投資家からお金を集めたいという病院も、沢山ありますので、この種のスキームを利用した「投資」は、今後もなくならないでしょう。

なるほどね。

ふーん。

ま、この話はこのあたりで。

東京モーターショーに行ってきました。

東京モーターショーに行ってきました。
正直、普通のクルマというか自家用車には、あまり面白い展示はなかったです。

だって、これからは電気自動車の時代ですよ。電気になれば、ガソリンエンジンを使った自動車よりも、ずっとデザインの自由度が増すはずです。

これまで、エンジンの制約で実現できなかったデザインってのは、多かったはずなんです。内燃機関は、パイプやタンクの取り回しなど、結構、大きさや形の制約が大きいですからね。スターウォーズとか、攻殻機動隊に出てくるような、ユニークに見えるデザインは、内燃機関を前提に考えると、あまり合理的ではないのです。つまり、カッコイイのに実現しないというのは、なにか理由があるわけですよ。

で、これからは電気自動車の時代です。もっとカッコよくてユニークなデザインをいろいろ試して展示してくれているんじゃないかと期待するじゃないですか。

でも、どのデザインも凡庸で、面白くなかったんですよね。

そのかわり、僕が一番面白いと思ったのは、日野自動車がやってたバスを改装して作った移動診療車の展示でした。

こんなやつです。

中身は、こんな感じ。車体の最後部が、診察室になっています。
で、車体の前半分が待合室。
いや、ちょっと、この診療車で、移動診療所をやれと言われたら、正直、ちょっと足りないものがいっぱいある気もするんですが、この展示で、僕が面白いと思ったのは、そこじゃないんです。

最近のハイブリッド車や電気自動車のなかには、特にバスやトラックなどの大型のクルマのなかには、メチャクチャに大容量のバッテリーを積んでいるものがあるってことなんです。これだけの大容量のバッテリーがあれば、ちょっとした医療機器や検査機器を動かすのに必要な電力を十分まかなえてしまうんですね。

まあ、あれだけの大きさの車体を動かすバッテリーですから、当然のことではありますけれどね。

大したものです。

で、一つ気になったのは、バスの昇降口の階段。診療所ってのは、普通は、病気で体調が悪い人が来るもんです。ここに入る昇降口に、これだけ面倒な急階段があるのって、どうなんでしょうかね。

気になって、そう聞きましたら、
「あ、これはハイブリッドですから。本当の電気自動車になれば、エンジンが小さくなる文だけ床は低くできます。車椅子でも、簡単に入れますよ。」

ほお。

こんな感じ。ふうむ。

これは、いいなぁ。

バスというものに対する印象が大きく変わりましたぞ。

いや、結論は特にないんですが、面白かった、ということで。

それではまた。

2013年11月24日日曜日

ゆっくりとRuby on RailsからPHPに移行(回帰)しています。

時々、ウェブ関連のシステムを組むことがあります。
そういう仕事が入った場合、ここ数年は、Ruby on Railsを使ってきました。
でも、ここしばらくで、ゆっくりとPHPに移行しようとしています。フレームワークも、必要に迫られなければ使わないで、できるだけplainなPHPで仕事しようとしています。
plainなPHPのほうがRailsよりずっと昔からポピュラーだった技術ですので、現在Rubyをメインに使っている人の中には、PHPの経験豊富な人も多いと思います。けれど、僕は、Rubyメインで仕事をするようになる前は、ずっと、JavaとPerlをメインに仕事をしてきました。ですので、PHPを仕事の中心にしようとするのは、今が初めてです。

ひょっとしたら、時代に逆行しているのかもしれませんね。

PHPに移行(回帰?)しようと考えている理由は、以下のとおりです。

1,RoRは変化が早くてついていくのが大変。
Railsは頻繁にバージョンアップがあり、バージョンアップの際、下位互換性が犠牲になることが多いです。もちろん、このことは決して悪いことばかりではありません。フレームワークが新しい技術を取り込めば、開発者は、新しい便利な技術を簡単にとりいれることができますから。新技術の取り込みと下位互換性は、トレードオフの関係にあります。Railsは新技術の取り込みの方に重点を置いている、というだけのことです。
ただ、今の僕にとって、ウェブ開発は仕事の中心ではありません。そういう僕にとって、新バージョンにキャッチアップするコストは馬鹿にならないのです。

2,RoRは手離れが悪い。
僕は、兼業でエンジニアをやっているので、時間の都合上、作ったプログラムの運用までやっていられません。納品後は、基本的に、発注者の方で運用してもらうことになります。
ところが、Railsを使って作ったサイトは、非常に手離れが悪いのです。
随分改善されたとはいえ、Railsで作ったシステムは、動作環境を選びます。とりあえずApacheさえあればあまり環境を選ばず動くPHPに比べると、Railsは、運用したときにトラブルが起こることが案外多いのです。自然、納品後のサポートが必要になることが多いです。それに、フレームワークの進歩が早いので、Railsを使って作った古いサイトにちょっとした機能追加をしようとしたりすると、新バージョンのRailsに合わせてコードの多くを書き換える必要が出てくることが多いです。そうしますと、ちょっとした仕様変更の際に、どうしても、最初の開発者が面倒を見る必要が出てきてしまうことが多いように思います。

3,開発環境を選ぶ。
現在、僕は、コード書きをはじめ、PCを使って行う仕事のほとんどを、Linuxをインストールしたやや小さめのノートPCを持ち歩いて行っています。仕事の中には、ワードやエクセルの文書を作ったりするものもあります。
仕事の場所を選ばず、スキマ時間で仕事ができるのがメリットです。
ただ、最近、持ち歩いているノートPCを重たく感じるようになってきました。老化したんでしょうかね。そこで、持ち歩くマシンを、より軽量のノートか、もしくはタブレットに変えたいと思っています。
問題は、
A, RoRは、Windows版のrubyでは、結構トラブルが多い(そうなるとRoRの開発には、LinuxかMacOSX、もしくはvirtualboxのような仮想環境が必須になります)。
B, virtualboxをストレスなく動かすには、結構高いスペックのPCが必要(安価なタブレットPCにはハードルが高い)。
C, 最近のWin8搭載のタブレットPCには、OSをLinuxに置き換えて安定して動かした実績のあるものが少ない。
D, 必然的に、購入候補はMacBookAir一択になっちゃうんだけれど、僕はマック嫌いなんだなぁ。

というわけで、買うものがなくなってしまうのです。これが、PHPであれば、Windows上のApacheでもなんとか動作環境を整えられる(もちろん、本格的な開発には苦しいこともあるのですが、とりあえずこれで十分だと思います。必要なときにはvirtualboxを使えばいいのですから。)ので、随分選べるものが増えます。
特に、最近、物欲が刺激されて仕方がないSurfacePro2が選べるのは大きいです。

そんなわけで、ゆっくりとPHPに移行しています。ただ、実際に移行し始めると、Railsでは簡単にできたコレがPHPでは難しいなぁ、と感じることも多くて、結構大変です。

近いうちに、そのへんのことも書こうと思います。

それではまた

2013年11月22日金曜日

邪馬台国とベイズ統計学

先月の文藝春秋の記事です。邪馬台国の位置をベイズ推定で推測するという話。書いたのは安本美典という人です。全く存じあげない人ですが、この記事は非常に面白い。

以下は、この記事について、僕の理解です。

邪馬台国については、魏志倭人伝に様々な記載があります。こういう物を中国から下賜したとか、邪馬台国には、こういうものがあったとか。で、それと似たようなものが日本の各地から出土しているわけです。

もし、その出土品のうちのどれかが、文献中に記載があるものと同じものとわかれば、それで邪馬台国の場所は、ほぼ確定してしまうわけです。たとえば、「奈良市内のドコソコから出土した鏡が、実は、中国の文献中に記載のある、魏から邪馬台国に下賜した、あの鏡そのものである」という証拠があれば、それで、邪馬台国は奈良にあったという強い傍証になります。

問題は、日本の各地から、銅の鏡があまりにたくさん出土していて、そして、もちろん、そのうちのどれかは魏の文帝(曹丕)から卑弥呼に下賜された、あの鏡なのかもしれませんが、どれが、その鏡なのかということがさっぱり分からないということなのです。

では、出土している鏡が、いずれも、一定の割合で、邪馬台国に魏国から下賜された、あの鏡である可能性があるのだと考えてみましょう。そう考えると、魏の鏡である可能性が高い鏡が大量に出土している場所は、邪馬台国であった可能性が高いということになります。

安本氏の、ここから先の議論は、臨床試験などで医師が行う議論とほとんど同じものです。ある現象が体の中で起こっている確率を見積もるために、まず、一定の検査前確率を考えて、それから、一定の尤度比を持つ検査をいくつか行います。その後、検査することで、検査前確率は検査をするごとに変化して、最終的に、目的の現象が起こっている確率を推測できるわけです。安本氏は、鏡以外のいくつかの出土品のデータを「検査」として使って、日本中の各県に邪馬台国があった確率を推定しています。

さて、現代的な臨床医学を行っている身としては、この議論、随分ツメが甘いと思いました。

甘いと思った点を列挙します。
1,これらの「検査」の前の「検査前確率」について。
検査前確率は、これまでのこの分野の議論を踏まえて、ある程度合理的に決めるべきだと思うのですが、どうも、記事からは、そのあたりが曖昧に思われました。

2,各出土品を用いた「検査」について。
尤度比を出土品の数に比例すると考えて議論しているようなのですが、ここは、もうすこしきちんとした議論が必要なのではないでしょうか?
出土品は、いずれも弥生時代末のものです。これらの遺物が現代まで地中に保存される確率というのは、どの程度のものなのでしょう?また、地中にあるこれらの遺物が発見される確率というのはどうなのでしょう?
こういった確率は、出土品の種類によって変わるのではないでしょうか(たとえば、大きな剣と小さな鏡とでは、保存される確率や発見される確率は同じといえないのはないでしょうか?)また、地中にある遺物が発掘される確率は、開発の進んだ都市部と、農村部や山地では、大きくことなるのではないでしょうか?
こういったことの考慮が随分甘い気がします。

3,各「検査」の独立性について。
この記事では、事前確率にすべての「検査」の尤度比を単純に掛けて、最終的な確率を算出しています。つまり、それぞれの「検査」の結果は、互いに独立だと仮定しているわけです。でも、本当にそうでしょうか?
鏡や剣や銅鐸など、それぞれの出土品の出土する確率が独立とはとても考えにくいと思います。

いろいろツッコミどころもあるのですが、しかし、この種の歴史に関する議論にもベイズ推定のような手法が使われるというのは非常に面白く感じました。このような手法は、歴史学や考古学の世界ではどれくらい一般的なんでしょうか?

いろいろ、興味深い記事でした。

kindle paperwhiteのサポートに感動しました。

先日、僕の愛用のKindle paperwhite 3Gがお亡くなりになりました。
画面が下の画像のように、画面の一部が割れたように三角形の破片のような図形が現れて、その部分の表示が変わらなくなってしまったんです。どんな本を表示しても、画面には、真っ白の三角の破片と、真っ黒の三角の破片、それからグレーの三角の破片が写り続けています。

壊れた時間は、午前2時。どうしたらいいのかわからなかったんで、とりあえず、「kindle paperwhite 壊れた」
なんてグーグルに入れて、調べてみました。すると、アマゾンのサポートページがヒットしました。そのサポートページを見ますと、どうも、サポート電話なるものがあるようです。

「あの、うちのkindleの画面がおかしいんですけれど。」
「はい」
「画面の一部が変になって」
「画面を何かにぶつけたとか、そういうことはありませんか?」
「いえ、ありません。」
「アマゾンで購入した書籍の他に、なにか、お客様の方でデータを入れたりはしていませんか?」
「いいえ」
「そうですか。それでは、今から代わりの新しいkindleを無償でそちらに送ります。」
「今からですか。本当にタダなんですか?」
「はい。ええと、早ければ本日の午前9時までには新しいものが届くと思います。」
「あ、そうですか(ええ!そんなに早いの?)」
「はい。ただ、現在の在庫の関係から、お客様のお持ちのモデルではなくて、最新のモデルしか配達できないのですけれど、それでよろしいでしょうか?」
「え、もちろん、構いません。」

実際に新しいkindleが届いたのは9時頃でした。
ええ、サポートが迅速すぎて感動しました。
たぶん、次に買うのもアマゾンになりそうです。

ビッグデータ嫌いです。

いや、僕は、統計でメシ食ってたこともあるし、データマイニングみたいな論文も書いたことあるんですが、そういう話ではなくて、

最近、アマゾンでネルソンの小児科学のテキスト買ったんです。クレジットカードで、です。

すると、しばらくしてから、疑義照会(?)みたいな確認の電話がカード会社からあったんですね。

確かに自分が買ったものですと伝えると、別にそれ以上何も言われませんでした。この本、ご存じない方も多いかと思うのですが、小児科医の勉強するテキストとしては、一番ポピュラーな本です。つまり、カード会社のビッグデータによると、お前が小児科の勉強するのなんておかしい、というわけです。

何が気に入らないって、僕は、先々月、そのカードで聴診器買ってるんですよ。で、その時にも、カード会社から、確認の電話がありました。ええ、確かに僕が買ったものです。そういうとそれ以上のツッコミはありませんでしたが。

そのときに、少なくとも、僕が、聴診器を買うような種類の人間だとわかったはずだと思っていたんですが、どうなっているんでしょうね。

僕は、一応、医者ですし、小児科専門とは言いがたいですが、初期研修は小児科で研修しましたし、結構、小児患者診るんですけれどね。

いったい、信販会社のビッグデータは、どういう理由で僕が怪しげな医者だと思い込んでいるんでしょうね。

似たようなことは、べつのところでもありました。githubというプログラマ向けのサービスをしているサイトがあるんですが、そこにログインしようとすると、いつも、
「アンタは、本当に人間か?サイトをクロールしてるロボットじゃないの?」
と聞かれるんですね。他の人に聞くと、そんなこと聞かれてるのは僕だけのようです。医者じゃないだけでなく、人間であることすら怪しくなってきてしまいました。

どうなっているんでしょうね。本当に。

全然納得できないのですが、今日はこのへんで。

それではまた。

ローラーボール(水性ボールペン)の改良について

僕は、万年筆が好きです。
スラスラヌラヌラした書き味が気持ちいいのもありますが、たくさんの文章を書いていると、やはり、万年筆のほうがボールペンやシャープペンシルよりも手が疲れにくいのですね。これは、万年筆のほうが筆圧が低くなるからじゃないかと思います。

ただ、万年筆は、ボールペンなどに比べると手入れや扱いが面倒です。

そういうわけで、最近は、ローラーボール(水性ボールペン)を使っていることが多いです。水性ボールペンは、安くて、万年筆のように面倒がなくて、その上、筆圧が油性ボールペンよりも低くても書きやすく、インクの出方なども万年筆に近いのが嬉しいのです。

ただ、どうしても、水性ボールペンと万年筆の違うのは、ペン先の弾力です。万年筆は、少し強い筆圧をかけると、ペン先がたわむので、構造上、あまり強い筆圧をかけにくいのですが、水性ボールペンだと、ペン先に弾力がないので、僕のような、もともと筆圧の高い書き手は、緊張すると、だんだん筆圧が高くなってくる。
そうすると、手が疲れやすくなってきて、結構しんどいわけです。
特に硬いデスクの上で下敷きなどを使わずに書き物をしていると、もう大変です。手首から手のひらにかけて、あちこちが痛くなってしまいます。

で、常々考えているのですが、水性ボールペンに、少し強めの筆圧がかかると、新がわずかに引っ込むようなバネをつければ、さらに万年筆に近い書き味の安価で実用的なペンができるんじゃないかと思うのです。
ノック式ボールペンのように、芯の後側にバネがついたボールペンはいくつもあります。そういう構造は、作るのはそれほど難しくないように思うのです。

だれか、そういう水性ボールペンを作っていないものか、少し調べてみると、似たようなアイデアは、他の人も考えていたらしく、いくつか、特許や実用新案が出ています。

ボールペンの芯の後ろに、弾力性のある部分をつけることで、下敷きが不要になり、書き味がなめらかになる効果があるというものです。
こちらは、ボールペンの芯に弾力のある部分をつけたものですが、これも、同じ効果を狙ったものです。

ところが、現在のところ、そういう商品は売られていないようなのですね。
アイデアは昔からあるのに、実際の商品としては売られていないというのは、なにか、実際に使ってみると、予想外の面倒な問題があるのかもしれません。

少し余裕ができたら、この、バネ付きボールペン、自分で耕作して作ってみようかと思っています。

それではまた。

2013年7月11日木曜日

風疹予防接種について、参議院選挙の東京選挙区で立候補している候補者に質問しました。

さて、今回の参議院議員選挙は、初めてのネット選挙です。有権者と候補者が、選挙期間中にネットで意見を交換できるというのは、画期的だと思います。テレビや新聞で話題になる「大きな争点」についてはともかく、案外自分の気になっている政策については、どの候補者がどのように考えているのか、わからないですからね。自分の気になっている政策について、ネットで質問してみれば分かるかもしれません。

僕が目下一番気になっている政策は、政府の風疹対策なんです。
ご存知のように、現在、日本では、風疹が大流行しています。風疹は、それ自体の症状はたいしたものではありません。せいぜい2〜3日発熱と発疹が出て、あとは、勝手に治癒してしまう軽症の感染症(そのため、「3日はしか」とも呼ばれています)です。ただ、妊婦に感染すると、生まれてくる子供に障害が起こることがあるのですね。

この風疹、現実的な対策は、予防接種以外にはほとんどありません。しかし、ご存知の通り、日本国内では風疹のワクチンは極端に不足しています。

多くの現場の医師が、絶対にワクチンの輸入が必要な状況だと考えているのですが、目下、政府はワクチン輸入には否定的です。

そういうわけで、facebookを使って僕の住んでいる東京選挙区から立候補している候補者に、風疹輸入ワクチンについて質問を投げて見ました。

何人かの候補者に、質問を投げてみたのですが、今のところ、返事があったのは、そのうち一人、民主党から立候補している鈴木寛候補だけです。

以下は、僕の投げた質問です。

私は東京選挙区の有権者で、東京都内で医師をしている高田と申します。
鈴木寛候補の風疹予防接種に関する政策についての見解をお伺いしたく、投稿させて頂きます。

報道等でご存知と思いますが、現在、全国的に風疹が大流行しており、その合併症としての先天性風疹症候群による重い障害を負った赤ちゃんが次々に生まれるという不幸な状況が起きています。

風疹の流行を食い止め、赤ちゃんがこれ以上重い障害に苦しまずに生まれてくるためには,国民広くに風疹予防接種を行うことが、ほぼ唯一の効果が見込める対策と考えております。

しかし国産の風疹ワクチンは生産が追付かず、不足している状況であり、目下の流行を食い止められる状況に全くなっていません。

この状況を打破するには国が、海外製ワクチンを早期に緊急輸入するしかないと我々現場の医師は考えておりますが、残念ながら厚生労働省にその気配は伺えません。

それどころか、田村厚生労働大臣に至っては「風疹患者はまだ1万人に過ぎない」と記者会見で発言して,医療関係者と先天性風疹症候群被害者はおろか、全世界の公衆衛生担当者の失望を買いました.
風疹大流行を受けてWHO(世界保健機構)や米国の衛生機関CDCは「日本は風疹が大流行しているからワクチン接種していない人は渡航すべきではない」と強く警告を受けている始末です。詳しくは、下記のリンクをご参照ください。
http://www.nytimes.com/2013/06/25/health/rubella-epidemics-in-japan-and-poland.html?smid=fb-share&_r=0http://www.qlifepro.com/news/20130628/wary-us-cdc-japan-rubella-prevention-measures-deficiencies-and-attention-your-travel-to-japans-call-for.htmlこの状況の原因は風疹をはじめとする予防接種政策全般の不作為によるものです。

そこで鈴木候補にお聞きします。
この現状について、ご当選の暁にはどのような政策を実行していただけますか?
特に風疹の「排除」に向けて海外製ワクチンの緊急輸入も含めてどのような抜本的な政策を実行していただけますか?東京選挙区の有権者として、率直にお尋ね申し上げます。最後まで読んでいただきありがとうございました。

先日、これに対する回答がfacebookのノートでかえってきました。

【すずきかんが答えます】風疹予防接種について医師からのご質問

【回答】高田様、ご質問ありがとうございました。
今回の風しんの流行に関して、多くの先天性風しん症候群(CRS)のお子さんが生まれていること、およびその背景には、表に出ない、風しん感染を理由としての妊娠中絶の増加という、悲しい事態が起きています。ワクチンで予防可能な感染症で、このような事態を招いたことを、立法府の一員として、大変申し訳なく感じています。

2009年の新型インフルエンザ流行時に、私は民主党政権の一員として、海外からのワクチンを特例承認として、迅速に輸入すべく奔走した経験があります。今回の風しん流行を抑え、今後は二度とこのような大流行を起こさないためには、ワクチン接種の気運が高まっている現在において、特例承認もしくは、すでに提出されて何年も経っている MMRII の審査を速める、などの方法にて、速やかにワクチンを提供することが必要と考えています。

ワクチン政策に関しては、従来の厚労省下の検討会でなく、米国の Advisory Committee of Immunization Practice; ACIP のように、独立した諮問機関が必要であり、科学的な議論によってワクチン実施の是非が決定されるべきです。現在、厚労省は厚生科学審議会などの、従来のシステムに、このような機能を持たせることを考えているようですが、それでは不十分と考えています。

一方で、社会を守るためのワクチンで、一部の方が不幸にして副反応に遭われた際は、十分に救済してあげることが必要です。日本では補償が不十分なため、民事訴訟での賠償請求が行われています。これは、被害者にとってはハードルが高いことですし、企業側にとって訴訟リスクが大きいことは、ワクチン開発が進まない一因です。米国の Vaccine Injury Compensation Program; VICP など、見倣うべきと考えております。

2013年7月8日 鈴木寛
まず、本当に回答が帰ってきたことに驚きました。実は、あまり返事は期待していなかったのです。
議員というのは、こういった細かい政策一つ一つについて専門家というわけではありませんし、この質問は、いいかげんに回答するにはデリケートな質問です。変な答えをして、攻撃される可能性を考えると、ダンマリを決め込む可能性が高いと思っていました。
たとえ返事がなくとも、候補者に、自分のような人間の声を伝えるだけでも有意義であろうと考えて質問したのですが、嬉しい誤算でした。

内容については、質問した風疹ワクチンの輸入については記載はありません。しかし、MMRIIの審査の話しや、日本版ACIPの話など、ちょっと普通の人は知らない話しも触れられていて、この人が、この問題に熱心であることがよくわかりました(もちろん、優秀なブレーンもいるのでしょう)。

残念ながら、この人、現在、野党なんですよね。
感染症予防のような分野は、党派を超えて協力しあって議論できる分野ではないかと思っています。
期待しています。

投票を棄権したっていいんじゃないの?

多くの人がこういう意見に反対なのを知ってて、あえて書く。

別に、投票を棄権したい奴は、棄権してもいいよ。
投票しても投票しなくても、それは、僕達の自由だ。

参議院選挙が近づいて、選挙で棄権するのはいけないことっていう投稿があちこちで流れているんだけれど、僕は、正直、こういうのに違和感を感じてる。
投票に行く事は、別に悪いことじゃないけれど、棄権することだって取り立てて悪いことだとも思わないのだ。
投票権ってのは権利であって義務じゃない。
あれは、一種のオプションなんで、行使してもしなくてもいいってところに、良さがある。

投票に関しては、どんな権利の行使の仕方についても、「コレコレせねばならない」「コレコレするべきだ」といった言い方は慎むべきだと思う。たとえ、それが、「棄権すべきではない」ということであってもだ。それが自由というものだと思う。

棄権するのに、「多忙だから」とか、「誰に入れても変わらないから」とか、言い訳をする必要はない。また、「現状の政治や政党全体への不満の表明」なんて難しい理屈をこねる必要もない。単に、棄権したければ、堂々と棄権すればいい。それは、ひとつの正しい権利行使のありかたでしかないのだ。

投票率が下がれば、投票結果が国民全体の意見を反映しなくなるという批判もあるかもしれない。でも、全員が投票しなくても、国民全体の意見の分布を統計的に推測することは可能なはずだ。この種の統計推論は、各種の疫学調査やアンケートで使われている。
投票しない人の意見も反映するような選挙制度は技術的に可能だ。
現行の選挙制度のような、バイアスのかかった「全数調査」よりも、適切な少数サンプル調査のほうが、全体の意思の確認には、はるかに優れている。

本当に全員が投票に行く必要なんてあるんだろうか?

僕自身は、今回は投票には行くつもりだ。いまや崩壊寸前の、僕の支持する泡沫政党を応援するためにいく。でも、今後もずっと毎回投票に行くとは保証できないし、べつに、保証するつもりもない。それが悪いとも思っていない。

2013年6月10日月曜日

ノマドって案外大変だよ。

ここ何年か、ノマドってのが流行ってますよね。フリーランスのことだったり、会社のオフィス以外の場所で仕事するスタイルのことだったり、ちょっと多義的な感じの言葉ですが、今日は、その話をしようと思います。

僕は、医者とエンジニアの仕事を兼業するようになって、もう、10年近くになります。医者一本で仕事せずに兼業を始めた、そもそもの理由の一つは、ノマド的な仕事のスタイルに憧れたからなんですね。医者の仕事ってのは、どうしても時間と場所に制約があります。患者っていう相手に会わないと仕事ができないんだから当然のことです。診療のスタイルによって若干違いますが、どうしたって患者が来る/いる時間に合わせて診察室や、入院病棟や、あるいは患者の自宅に訪問したりして仕事をする必要があるわけです。
で、そういうのじゃなくて、自分の好きな時間に好きな場所で仕事がしたいな、と、数年前、ふと思ったのです。僕は、昔から、プログラムを書くのはソコソコ得意でしたので、プログラムを書くような仕事ならば、時間や場所の制約が少ないんじゃないかな、と思ったのでした。

最初のうちは、某企業におじゃまして仕事していました。ただ、オフィスでの仕事って、結構割り込みがあるのですね。
一心不乱にプログラムを書いている時に、他の仕事が割り込んでくると、結構、うっとおしい。それが重要なものならば、納得もできるのですが、たいていは、くだらない相談とか、くだらないミーティングのたぐいが割り込んできて仕事が中断する。と、もううんざりです。
大したことない割り込み仕事は、ちゃちゃっと終わらせるんですが、割り込み前の意識の集中を取り戻すのに、また、結構、時間がかかっちゃうんですね。

で、やっぱり自宅で仕事したほうがいいかな、と思うようになったわけです。
自宅で一人で仕事をしていれば、こういう面倒な割り込みを最小限にできるじゃないか、そうすれば、仕事の能率も最高度に上がるんじゃないか。好きな時間まで自由に仕事をして、好きな時間まで自由に休んで、時間に拘束されないなんて、理想の仕事のスタイルじゃないか。
そう思っていたのです。

そういうわけで、一昨年くらいから、エンジニア的な仕事をするときには、完全に自宅で仕事をするように切り替えてしまいました。仕事の打合わせなどは外で行いますが、引き受けた仕事は、自宅で行うようにしたのです。

さて、自由に仕事ができるようになって、自分のしごとの能率は上がったのでしょうか。実際にやってみると、現実は、もう少し複雑でした。ノマドを始めた時には思ってもいなかった弊害がたくさん出てきたのでした。リストにしてみます。

1,集中力が持たない。
割り込みがなくても、誰も見ていない環境で長時間集中して仕事をするというのは、案外むつかしいのです。
上に書いたように、僕は、仕事中に集中が途切れるのは、周囲から邪魔が入るからだと思っていました。集中している時に限って、一緒に昼食を食べようと誘いが入ったりとか、緊急でどうでもいい会議が入ったりとか。
でも、実は、そういう邪魔が入らなかったとしても、長時間、一人で仕事に集中するというのは案外難しいのです。長時間一人でいると、つい、お菓子を食べたり、ボーッとしたり、部屋の片付けをしたり、気がつくと、一日過ぎていて、今日は本当は何をするつもりだったんだっけ?ってなことになりがちです。会社などに勤めている間はそれほど自覚しないでしょうが、僕以外の多くの人も、何も刺激がない中で集中力を維持するのは難しいのではないかと思います。

2、生活リズムが維持できない。
仕事を好きな時間に初めて、好きな時間に終わらせる。それが当初の理想でした。でも、そうなると、睡眠や食事、仕事の時間が、マチマチになります。
昼間ずっと眠っていた後、夜中に起きだして仕事して、そのまま翌日も一日パジャマで仕事して、気がつくと正しい生活のリズムなんて吹き飛んでしまうんですね。人間は、生活のリズムが乱れると、すぐに体調を崩してしまいます。大学生の頃は、そういうリズムの乱れた生活でも平気でした。でも、今の僕は大学生の時より年をとって、ずいぶん体力も落ちているんですね。「勤務時間」を決めないと体力が持ちません。

3,自分で決めた勤務時間を守れない
「勤務時間」を自分で決めたとしましょう。たとえば、仕事は必ず9時から17時までにする、という風に決めてしまうのです。これは、好きな時間に仕事をするより、ずっと体には良いようです。でも、案外、自分で自分の「労務管理」を行うというのは難しいのですね。誰かが監視していないと、仕事をはじめる時間も終わる時間も、簡単にずれてしまいます。

4、世間話は重要
人と話さないで仕事を黙々と行うというのは、案外つらいものです。少しだけでも、他の人と話す時間を作るというのは重要です。うまく言えないんですが、全く人と話さないでずっと仕事をしていると、何か、自分がおかしくなりそうになるんですよね。メールやツイッターなどは、会話の代替にはなりません。
あと、技術的な仕事をしていると、他の人の意見を聞いたり、質問したりというのは、非常に重要になります。そういうのって、普段の世間話の中で少しずつ自然になされるものなんですね。

5,自宅で仕事したって、案外、邪魔は入る。
あと、家族がいる自宅で仕事をするというのは、実は、想像以上に邪魔がはいるものです。

僕の場合、医者と兼業だったので、上記のような弊害は、比較的軽症だったとは思います。医者の仕事は、どのみち、時間を決めて、その時間に診察し、患者と話さなくてはなりませんから。だから、エンジニア部分でどんなにいい加減にやっても、完全に会話がなくなったり、勤務時間がなくなったりしたわけじゃないんですね。でも、本当にエンジニア一本で、自宅(あるいは、スタバとかのカフェで)で一人で仕事をしてたら、もっと苦しかったのじゃないかと思います。

というわけで、最近は、次のようにしています。

1,できるだけ、一人で仕事をする日が連続しないようにする。
あんまり何日も一人で集中して仕事を続けても、結局、効率がいいのは最初の一日だけです。あとは、ぼーっとしてしまうことが多いので、できるだけ、一人で何日も続けて仕事をしないように、スケジュールを調節しています。

2,たとえ、一人で仕事をするときでも、簡単な仕様書や工程表を作る。
自分で自分の労務管理をするには必須です。それに、自分だけで仕事をしていると、仕事が本当に前に進んでいるのかわかりにくくなることがあるんです。そういう不安を軽減するためにも、必須です。

3,労働時間をタイマーなどで計る。
次の30分〜1時間に何をするか決めて、時間を区切って仕事しています。一応、キッチンタイマーで時間をはかっています。その時間が終わったら、仕事が残っているかどうかに関係なく、原則として短時間の休憩を入れるようにしています。

最後に、これだけやっても、やっぱり一人で仕事しているとダレてくるんですね。というわけで、できるだけ早いうちに脱ノマドをしようと思っています。ノマドが向く人もいるんでしょうけれど、僕は、ノマドが向かないんですね。きっと、こういう人は結構多いんじゃないかと思います。

2013年5月29日水曜日

よく似た名前の薬

Facebookで流れてきたんだけれど、「医薬品の取り違えミスを防止するための薬名類似度の定量的指標の構築」という論文。

面白いんだけれど、この指標はイマイチかな。

よく似た名前の薬っていうのは、結構多くて、有名なところでは、サクシン(筋弛緩薬)とサクシゾン(炎症を抑える薬)とか、アマリール(糖尿病の薬)とアルマール(高血圧の薬)とかが混乱されやすい。両方共、取り違え事故につながったこともある(ちなみに、アルマールについては、あまりに紛らわしく取り違えが多いため、昨年、名称変更された)。

こういうよく似た名前の薬については、僕もしばしば、「どっちがどっちだっけ?」と、混乱する。
あと、字面は似ていないので不思議がられるのだけれど、ノルバスク(高血圧の薬)とビソルボン(痰をとる薬)とか、時々、一瞬わからなくなることがある。混乱する都度、アンチョコみたいので確かめているので、実際に間違えたことはないけれど。

この種の、混乱しやすいものについて、なんらかの指標があれば、
Googleの「もしかして」みたいのを電子カルテに実装することができるんじゃないか。

あと、患者が薬の名前をうろ覚えのことって結構あるんだよね。

「いま、なにか、ウチで処方したもの以外で薬とか飲んでますか?」
「あー、なんか飲んでる。ノルなんとかっていう名前で、錠剤で、確か、血圧の薬って言ってなかったっけかな?」
「ノルなんとか?薬の名前の分かるもの、何かありませんか?(薬の飲み合わせによってトラブルが発生することがあるので、一応、きちんと聞いておかなくちゃいけない)」
「うーん、持ってないなぁ。確か、カタカナ五文字で、最後が『ク』か『ス』だったような。」

こんなとき、うろ覚えの薬の名前で検索して、さらに、剤型(錠剤か、カプセルか、粉末か、とかみたいな)で絞り込んで、薬の正しい名前と薬の写真の一覧とかを表示してくれたら、すごく助かる。
スマホのアプリになっててくれたら、診察室だけじゃなくて往診時にも持っていけるから、より便利かな。

だれか、作らないかな。

こういう指標があれば、いろいろ面白いことできそうなんだけれど、リンクした論文の指標は、少し微妙な気もする。なんというか、薬の名前について、僕が似ていると感じる組み合わせと、この指標で高い値が出る組み合わせが、微妙に違う気がするんだよね。

2013年5月27日月曜日

医師をターゲットにしたウェブサービスでの医師免許のチェックについて

先日、自宅でボーッとテレビを見ていると、渡辺純一の「雲の階段」のドラマが放映されていた。

医師不足の僻地でやむを得ず医者の代わりに治療行為を行う主人公が、やがて、免許がないことを隠して医師として出世コースを歩みはじめ、そして、最後には、無免許医であることがバレて破綻する、そういう筋の小説である。

で、見てると、今回のテレビドラマ版では、厚生労働省の「医師等資格確認検索」のサービスを使って、ニセ医者であることがばれるという筋になっていた。

ウェブ検索で無免許医がバレるっていう設定は、今風といえば今風。
なんだけれど、このシステム、関係者の間では、欠陥が多くて信用できないという評価が一般的なように思う。
欠陥というのは、平たく言うと、検索に引っかからない医者が多いのだ(これについては、Yahoo知恵袋とか発言小町にもこういう質問とかこういう質問が上がっていた)。
さらに、検索して無事に該当があったとしても、そういう苗字と名前の医者がいるということが分かるだけで、同姓同名の医者を騙ったニセ医者がいたら、もう、それは、この検索システムではチェックできないわけで、なんとも、行政が作ったらしい中途半端なシステムだと思う。

なんで検索に引っかからない人が多いのか?

このシステムは、2年に一回医者自身が行う届出のデータを使って検索しているのだけれど、案外、この届出を忘れる医者が多いのである。まあ、多くの医者は多忙であるから、ついつい忘れてしまう、ということなんであろう。

かくいう私も、前回の届出時(約3年前)には届出を忘れて、システム上は「該当なし」の医者になってしまった。どうせ関係者はほとんど信用していないシステムなので、「該当なし」でも、実害はないのだけれど、なんとなく気持ち悪いので今回はちゃんと届出を行ったのである。でも、先ほど自分の名前を入力してみたところ、依然、「該当なし」である。もう届出してから半年ちかく経つのに、まだデータ更新してないのかな、気持ち悪いなぁ。

まあ、そういうわけで、現状では、オンラインで、医者が自分が医者であることを確実に証明するのは案外難しい。当然、オンライン上の自称医者について、ニセモノかホンモノかを識別することも困難なのである。

こういうアバウトなシステムを放置するからニセ医者が横行するんだろうと思うんだけれど、まあ、行政の怠慢ってのは、今に始まったことじゃないから、仕方がない。

今、個人的に困っているのは、そういうニセ医者による犯罪をどうやって防ぐか、みたいな話に比べると小さな問題で、タイトルに書いた、「医者をターゲットにしたウェブサービスでの免許のチェック」という問題なのだ。

つまり、ウェブで医者相手のサービスを行うときに、相手が正規の医者であることを確認したいことがある。そういう時、どうするのがいいだろうか、という問題。

たとえば、法律などで、相手が正規の医者や医療機関でないと販売できないことになっている商品というのがいくつかある。また、法律では特に規制がなくとも、正規の医者以外に売ってしまうと、少々危険だという商品もある。そういう商品を医者相手にネットで販売したいというケースがあるわけだ。
あるいは、医者のSNS(例えば、治療困難な病気の治療法について、医者同士で討論する場を提供するなどするわけだ)とか、医者向けの会員制ニュースサイトみたいのもある。この手のサイトは、通常は、医者向けにターゲットを絞った広告を打ちたいという製薬会社や医療機器メーカーなどからの広告料で収益を上げている。なので、サイト運営者としては、会員登録している数万人のユーザーたちについて、本当に免許を持っている医者なのだと説明出来なくては、スポンサーからサイト広告料をいただけなくなってしまうわけだ。

で、僕もしばしば、その手のサイトを使うのだけれど、免許のチェックの厳しいサイトからゆるいサイトまで、結構バラバラである。勤務先の病院名とか出身の医科大学の入力を要求されて、その後、勤務先病院に電話や郵便で確認するというサイトもあるし、「あなたは本当に医者ですか」みたいなフォームに「はい」とボタンを押したら、後はノーチェックというものもある。

いま、この手の医者向けサービスを作ろうとしている人から相談を受けているんだけれど、どうも、一番の悩みどころは、この、「免許のチェックをどうするのか」になりそうなのだ。

結局のところ、完全な免許のチェックはできないし、でも、まあ、ある程度厳しいチェックをすることで、完全ではないにせよ、そこそこニセ医者が登録することを避けることはできるはずである。でも、厳しいチェックをすればするほどコストがかかるのだ。そのあたり、どうするかというのが結構悩ましいわけだ。

以下、この問題についてのメモ。

医師免許のチェックが必要なサイトの分類

1,医師向けの有料ニュース配信
たとえば、医楽座など。ちょっと考えてみたけれど、ほとんど免許のチェックは必要無いような気がする。仮にユーザーにニセ医者が混じったとしても、サービス内容に問題が出るわけでもないし、ビジネスに問題が生じるわけでもない。自分で登録していないので、どういうチェックがあるのかも知らない。だれか医楽座のユーザーの方、教えて欲しい。

2,医師向けの物販系
具体的なサイトにはあえてリンクしない。たぶん、チェックの必要性は売るものの種類による。つまり、仮に、医者以外に商品を売ったとして、どれくら重要なトラブルが発生するか、によって、どれくらい厳しいチェックをするべきか変わってくる。それから、どういうつもりでビジネスをやってるのかにもよるだろう。つまり、仮に、ニセ医者に売ってしまうと、なんらかの事故が起こる可能性があるような商品を売るとしても、販売者は、自分は「ニセ医者に騙された被害者」だと主張して責任を回避することができるだろうから。
販売者としては、そういった事故を防ぐために、自社がどれほどのコストをかけていいか、冷静に計算するだろう。

3,無料のニュース配信
日経メディカルとか。多くは広告料をとって利益を上げている。ということは、広告主にユーザーの質について説明出来なくてはいけないだろう。自分の登録した範囲内では、ほとんどのニュースサイトは、サービス提供開始時点から、かなり厳しいチェックをしていたように思う。僕が日経メディカルに登録した時には、ユーザー登録時に、出身大学と勤務先病院を入力した。で、最初にログインする時に必要なパスワードは、勤務先の病院宛に郵送されてきた。
CBニュースなどは、広告料を得るビジネスという感じじゃなくて、人材派遣とか転職支援が本業みたいな感じで、どちらかというと、ニュースは、登録会員へのサービスとして流している感じなので、このカテゴリとは少し違う気がする。

4,無料のSNSなど
たとえば、m3とかメドピアとか。当然、広告収入でビジネスをしているわけで、3と同じように、ユーザーの質について、広告主に説明できなきゃいけないだろう。でも、昔は、3ほど厳しいチェックはしていないものが多かった気がする。だんだん、最近は厳しいチェックをするようになってきたかな。
ずいぶん昔のことで、ハッキリ覚えていないけれど、僕がm3に登録した時には、何もチェックらしいチェックはなかったような気がする。たぶん、これは仕方がない部分もある。3のニュース配信は、大手のメディア企業がスタートさせることが多いのに対して、SNSは資本力の小さい企業がスタートさせることが多いから、たぶん、コストがかかるチェックはできないことが多いんだと思う。大きな企業になってからのm3は、チェックが厳しくなったと聞いているけれど、たぶん、初期に乱発した質の悪いアカウントは、今後も、この会社のネックであり続けるんじゃないかと思う。後発の代表格のメドピアは、このチェックはきちんとしているらしい。たぶん、先行事例の失敗に学んだんじゃないかな。僕は、自分で登録したんじゃないのでよくわからないけれど。

5,無料ユーザーである医師に患者向けコンテンツを作成してもらい、そのコンテンツでビジネスをするタイプ
いくつか実例があるんだけれど、まだ、ビジネスとしては未知数かな。でも、これは、可能なビジネスだと思う。たぶん、やるとしたら、それなりに厳しいチェックが必要なんじゃないかと思う。

いくつかの免許チェックの方法(コストのかからない方法から)
0,全くチェックしない。
「あなたは本当に医者ですか?」なんていう質問とボタンを設置する。それだけ。

1,ユーザー登録時に、名前、勤務先、出身大学、専門、所属学会などを入力させる。
電話で勤務先に在籍確認などしなくても、入力を求めるだけで、ニセ医者の登録に対する相当の抑止力になるんじゃないかと思う。一応、該当の勤務先や学会が実在するかどうかくらいはチェックしてもいいかもしれない。また、その名前について、医師等検索サイトでチェックしてもいい。

2,すでに会員である医者から紹介させる。
要するに、招待制SNSのノリだ。SNSだったら、これはアリだと思う。

3,多くの医者が参加する団体のメールアドレスなどを持っていれば、登録してもらう。
たとえば、UMINみたいな団体のアドレスを持っていれば、それを登録してもらう。これも、完全な方法ではないけれど、強い抑止力になると思う。

4,ユーザー登録時に、医師免許証をスキャンして画像データとして送信させる。
こういう登録方法のサイトを見たことがある。決定的な方法だけれど、登録するユーザーとしては面倒だ。たかがSNSに参加するために、そんな面倒なことをするユーザーなんて、滅多にいないんじゃないかと思う。僕は、自分の医師免許証については、スキャンして、jpegとpdfの形式でDropboxにおいてある。だから、そういう僕にとってはそんなに面倒じゃないはずなんだけれど、それでも、このサイトには登録しなかった。面倒だから。

5,勤務先の病院を入力させて、当該の病院に電話で在籍確認するか、郵送で初期パスワードを送るか、する。
これも、強力な方法。でも、面倒だし、サイト運営者としてはコストが高くつく方法だと思う。

たぶん、ゆるいサイトであれば、1,3の方法と、2,の方法を選べるようにするのが一番楽だろうと思う。つまり、信頼できるユーザーからの紹介と保証があれば、運営側はノーチェック。紹介なしの新規ユーザーについては、細かな入力をさせて、運営側で簡単なチェックする。というような。

肘部管症候群

この半年くらい、右手小指から薬指にかけての痺れに悩まされてきました。
おそらく肘部管症候群だとわかっていたのですが、多忙のため整形外科にかかる時間が取れず、そのまま、痺れているままで放置していました。
先日、Facebookで、このことを書き込んだら、知人の先生から、UpToDateに「夜眠るとき、痺れている方の手の肘をタオルで巻いて寝るといい」と記載があるとおしえてもらい、実践してみると、一晩でほとんど症状がなくなり、一週間もたたないうちに、完全に無症状になりました。

タオルで肘を巻くことで、寝ている間、肘関節を強制的に伸ばしたままにしておくんですね。

あまりに簡単な方法で治ってしまうことに驚いたのですが、実は、もう一つ、気がついたことがありました。
僕は、寝ている間、ものすごく強く右肘を曲げてアゴの下に右手のひらを当てた姿勢になるクセがあったみたいなんです。
タオルで巻かれた肘を無理に強く曲げようとすると、タオルがきつくて眼が醒めてしまうのですけれど、そういう姿勢でタオルがきつくて眼が醒めてしまうことが何度かあったんですね。で、タオルを巻いているうちにその妙なクセが矯正されて、その結果、手の痺れもなくなってしまいました。

肘部管症候群は、肘の肘部管というところを通る神経が、その肘部管が狭くなっているなどの理由で圧迫されて、そのために痺れが起こる病気です。なんですけれど、その、肘部管が狭くなっているというのは、レントゲンなどで見ても良く分からないことが圧倒的に多いそうです。学生時代にそう習って、えらく不思議なことだなぁ、と思ったことを思い出しました。大部分の患者では、実は本当は肘部管が狭くなっていないならば、どうして神経が圧迫されるのだろう?と。


で、自分でこれに出くわして、あ、これは、寝ている時の妙な姿勢でも起こるものなのかもしれないな、これなら、レントゲンに写ったりはしないわな、と、思った次第です。


専門外なので、今度、整外の先生にあった時に、この推測について、聞いてみようと思っています。