この半年くらい、右手小指から薬指にかけての痺れに悩まされてきました。
おそらく肘部管症候群だとわかっていたのですが、多忙のため整形外科にかかる時間が取れず、そのまま、痺れているままで放置していました。
先日、Facebookで、このことを書き込んだら、知人の先生から、UpToDateに「夜眠るとき、痺れている方の手の肘をタオルで巻いて寝るといい」と記載があるとおしえてもらい、実践してみると、一晩でほとんど症状がなくなり、一週間もたたないうちに、完全に無症状になりました。
タオルで肘を巻くことで、寝ている間、肘関節を強制的に伸ばしたままにしておくんですね。
あまりに簡単な方法で治ってしまうことに驚いたのですが、実は、もう一つ、気がついたことがありました。
僕は、寝ている間、ものすごく強く右肘を曲げてアゴの下に右手のひらを当てた姿勢になるクセがあったみたいなんです。
タオルで巻かれた肘を無理に強く曲げようとすると、タオルがきつくて眼が醒めてしまうのですけれど、そういう姿勢でタオルがきつくて眼が醒めてしまうことが何度かあったんですね。で、タオルを巻いているうちにその妙なクセが矯正されて、その結果、手の痺れもなくなってしまいました。
肘部管症候群は、肘の肘部管というところを通る神経が、その肘部管が狭くなっているなどの理由で圧迫されて、そのために痺れが起こる病気です。なんですけれど、その、肘部管が狭くなっているというのは、レントゲンなどで見ても良く分からないことが圧倒的に多いそうです。学生時代にそう習って、えらく不思議なことだなぁ、と思ったことを思い出しました。大部分の患者では、実は本当は肘部管が狭くなっていないならば、どうして神経が圧迫されるのだろう?と。
で、自分でこれに出くわして、あ、これは、寝ている時の妙な姿勢でも起こるものなのかもしれないな、これなら、レントゲンに写ったりはしないわな、と、思った次第です。
専門外なので、今度、整外の先生にあった時に、この推測について、聞いてみようと思っています。
2013年5月27日月曜日
2013年5月6日月曜日
医者の世界から見るワークシフトの未来
仕事で会う、特に自分より若い人から、「専門知識を身につけて、組織に縛られない生き方」をしたいとか、「ノマド的な生き方」をしたいとか、そういう話を聞かされることが多くなりました。
僕は、たいてい、それを少し複雑な気持ちで聞いています。もちろん、そういう生き方は、それはそれで素晴らしいと思うのだけれど、彼が憧れながら思っているよりも、そういうノマド的専門家ってのは大変なんじゃないかな、本当に彼にできるのかな、とも思うわけです。とはいえ、そういう、「組織に縛られない専門家」というのは、これから増えていくんだろうな、という実感も持っています。
最近、「ワークシフト」という本を読みました。一読して、この世界で書かれている未来の仕事のスタイルは、医者の世界での現在の仕事のスタイルに非常に近いな、という印象を持ちました。
医者の世界での働きかたのスタイルは、普通の人たちの未来の働きかたの、特に、「ノマド的な、組織に縛られない専門家」のモデルになりうるのかも、別の言い方で言いますと、医者の世界は「すすんでいる」のかも、と思います。
そう思ったので、「医者の世界から見るワークシフトの未来」について、書いて見ることにしました。
1,あなたが高度な専門家になると、まず間違いなく、あなたの環境はブラックになる。
あなたが突出した専門知識を持つようになって、職場に、あなた以外には解決困難な問題が増えてきたとします。
そうすると、職場側は、あなたに配慮しなくてはならないことが増えるかもしれません。そうだとしたら、給与は上がり、残業は少なくなり、家族と過ごすプライベートの時間も増えるのでしょうか?
医師の世界が経験したことからすると、残念ながら、そうはいかないと思います。あなた以外には困難な仕事が増えるという事は、あなたの責任が増え、あなたの労働時間が増えるという事です。
だって、自分がいなくて困る同僚や患者を見ながら、自分一人だけ休暇を取ることなんてできないでしょう?
もし、あなたが、一人だけ休暇をとれるような人ならば、たぶん、あなたは同僚からの信用を失うでしょう。専門知識を持った人が集まって行う仕事というのは、当然、専門家同士の協力が必要ですから、周囲の他の専門家から信用を得られない人は、仕事を続けられません。
さらに、もし、あなたが来年以降も専門家であり続けようとしたら、自分の専門知識を維持し続けるために、仕事が終わった後の時間を費やして勉強し続けなくてはなりません。進歩の早い時代です。努力し続けなければ、あなたの専門知識は簡単に古びてしまうからです。
ですから、あなたは、ハードワーカーにならざるを得ません。
もちろん、責任や労働時間が増えるにつれて給与は多少上がるでしょう。でも、おそらく、それは、労働時間と責任に見合うほどのものではありません。
一般に、医師の世界では、高度な専門家ほど、労働時間は長くなります。そして、賃金は、時給に換算すると、高度な専門家ほど低いのが一般的傾向ではないかと思います。彼らは、多少大げさな言い方で言いますと、自分にしかできない仕事をするという使命感と情熱で働いているのです。
あなたが高度な専門家になり、あなた以外には困難な仕事が増えるほど、あなたの労働環境はブラックになります。
多くの医師は、普通のサラリーマン以上に「社畜」です。
2,しかし、どんな専門家でも、かわりはいる。
前項で、僕は、「あなた以外には困難な仕事」といいました。でも、あなた以外には困難な仕事でも、必ず、あなた以外にも、それができる人は存在します。世界は広いのです。どんな高度な技術でも、できる人は必ず見つかります。
職場と折り合いが悪くなって転職したことのある医者を、何人か知っています。そんなのは、普通のサラリーマンの世界でも、よくあることです。
そういう医者の中には、
「俺がいなくなったら、みんな困るくせに!」
「この職場は、俺の犠牲のおかげで動いているのに!」
「俺の代わりなんていないのに!」
そういってやめる人が、時々います。
気持ちはよくわかります。
確かに、急に辞められると、多くの職場が困ります。でも、しばらくすると、ほとんどの場合、職場は、彼と同じくらいに優秀な、彼と同じくらいに自己犠牲の精神を持った別の医者を探してきます。
情報化社会の現在、特定の人しか知らない秘伝の技術なんてものは、ほとんどありません。あなたがよほど突出した天才でなければ、必ず代わりはいます。
今後、縛られない生き方をしたい専門家が増えれば、その職場も、気難しい専門家を雇うことに慣れていきます。そういう職場は、間違いなく、こういう気難しい専門家の代わりを探しだすノウハウも磨いていくでしょう。
専門家になるという事は職場に対する交渉力を手に入れるという事でもあります。でも、その交渉力には限界があるのです。無理を通すために辞職をちらつかせて交渉をするのは、たいていはやっぱり無理です。
あなたの代わりは、常にいると思ってください。これは、必ずしも悲観するべきことではありません。あなたが普通に仕事をしていれば、あなたの仕事を引き継ぐひとは必ずいるという事でもあります。引き継ぐ人がいるという事は、あなたの仕事の責任がどんなに重たくとも、その責任には上限があるという事でもあります。気楽にいきましょう。
3,代わりがいるとはいえ、辞職するときには迷惑をかけないように振る舞いましょう。
あなたの代わりは必ずいるとはいえ、医者が別の医療機関に移るときは、やはり辞められる職場は大変です。代わりの医者を探さなくてはなりませんし、代わりの医者が見つかっていたとしても、患者や治療について、たくさんの情報の引継ぎをしなくてはいけません。この引き継ぎ資料の作成は大変で、多くの医者は、辞職(異動)前後には、残業時間が極端に増えることが多いです。
どうせやめる職場の都合に縛られる必要はない、なんて考えはやめましょう。同じ分野の専門家を続ける限り、学会や、様々な集まりで、別れた職場の医者とも顔を合わせなくてはいけませんし、同じ分野の専門家同士、なにかと協力しあわなくては仕事にならないのです。専門家の世界は狭いのです。一旦、悪い評判がつけば、どこの職場に移ったとしても仕事に差し支えます。
ただ、辞職間際というのは、どうしても余裕がないことも多いです。どうしても余裕がなければ、時には迷惑をかけてしまうのもやむを得ないかもしれません。後で迷惑をかけた人に会ったら謝りましょう。その時やむを得なかったことがわかれば、謝れば、たいていは相手は許してくれます。なぜなら、あなたが同じ分野の専門家である限り、相手にとっても、今後のあなたの協力が必要だからです。
結論
「ワークシフト」によると、現在起こっている働き方の変化をまとめると、「ゼネラリストから連続スペシャリストへ」「孤独な競争から協力して起こすイノベーションへ」「大量消費から情熱を傾けられる経験へ」だそうです。
この本で書かれている、未来の社会の働き方は、現在の医者の働き方によく似ていると思います。
そこでは、「職場に縛られない生き方」が実現しますが、現在の会社組織中心とは別の倫理観に従って、今以上にハードワークをしなくてはならないのです。そういう生き方は、今、「縛られない生き方」みたいなことを言っている人たちが想像しているより、厳しい部分も多いです。
そこには、専門家個人の努力と、専門家同士の協力が必要です。情熱をもってそういう生き方ができる人ならば、それはそれで素晴らしいと思うんですが、誰にでも簡単にできるものではないと思います。
僕は、たいてい、それを少し複雑な気持ちで聞いています。もちろん、そういう生き方は、それはそれで素晴らしいと思うのだけれど、彼が憧れながら思っているよりも、そういうノマド的専門家ってのは大変なんじゃないかな、本当に彼にできるのかな、とも思うわけです。とはいえ、そういう、「組織に縛られない専門家」というのは、これから増えていくんだろうな、という実感も持っています。
最近、「ワークシフト」という本を読みました。一読して、この世界で書かれている未来の仕事のスタイルは、医者の世界での現在の仕事のスタイルに非常に近いな、という印象を持ちました。
医者の世界での働きかたのスタイルは、普通の人たちの未来の働きかたの、特に、「ノマド的な、組織に縛られない専門家」のモデルになりうるのかも、別の言い方で言いますと、医者の世界は「すすんでいる」のかも、と思います。
そう思ったので、「医者の世界から見るワークシフトの未来」について、書いて見ることにしました。
1,あなたが高度な専門家になると、まず間違いなく、あなたの環境はブラックになる。
あなたが突出した専門知識を持つようになって、職場に、あなた以外には解決困難な問題が増えてきたとします。
そうすると、職場側は、あなたに配慮しなくてはならないことが増えるかもしれません。そうだとしたら、給与は上がり、残業は少なくなり、家族と過ごすプライベートの時間も増えるのでしょうか?
医師の世界が経験したことからすると、残念ながら、そうはいかないと思います。あなた以外には困難な仕事が増えるという事は、あなたの責任が増え、あなたの労働時間が増えるという事です。
だって、自分がいなくて困る同僚や患者を見ながら、自分一人だけ休暇を取ることなんてできないでしょう?
もし、あなたが、一人だけ休暇をとれるような人ならば、たぶん、あなたは同僚からの信用を失うでしょう。専門知識を持った人が集まって行う仕事というのは、当然、専門家同士の協力が必要ですから、周囲の他の専門家から信用を得られない人は、仕事を続けられません。
さらに、もし、あなたが来年以降も専門家であり続けようとしたら、自分の専門知識を維持し続けるために、仕事が終わった後の時間を費やして勉強し続けなくてはなりません。進歩の早い時代です。努力し続けなければ、あなたの専門知識は簡単に古びてしまうからです。
ですから、あなたは、ハードワーカーにならざるを得ません。
もちろん、責任や労働時間が増えるにつれて給与は多少上がるでしょう。でも、おそらく、それは、労働時間と責任に見合うほどのものではありません。
一般に、医師の世界では、高度な専門家ほど、労働時間は長くなります。そして、賃金は、時給に換算すると、高度な専門家ほど低いのが一般的傾向ではないかと思います。彼らは、多少大げさな言い方で言いますと、自分にしかできない仕事をするという使命感と情熱で働いているのです。
あなたが高度な専門家になり、あなた以外には困難な仕事が増えるほど、あなたの労働環境はブラックになります。
多くの医師は、普通のサラリーマン以上に「社畜」です。
2,しかし、どんな専門家でも、かわりはいる。
前項で、僕は、「あなた以外には困難な仕事」といいました。でも、あなた以外には困難な仕事でも、必ず、あなた以外にも、それができる人は存在します。世界は広いのです。どんな高度な技術でも、できる人は必ず見つかります。
職場と折り合いが悪くなって転職したことのある医者を、何人か知っています。そんなのは、普通のサラリーマンの世界でも、よくあることです。
そういう医者の中には、
「俺がいなくなったら、みんな困るくせに!」
「この職場は、俺の犠牲のおかげで動いているのに!」
「俺の代わりなんていないのに!」
そういってやめる人が、時々います。
気持ちはよくわかります。
確かに、急に辞められると、多くの職場が困ります。でも、しばらくすると、ほとんどの場合、職場は、彼と同じくらいに優秀な、彼と同じくらいに自己犠牲の精神を持った別の医者を探してきます。
情報化社会の現在、特定の人しか知らない秘伝の技術なんてものは、ほとんどありません。あなたがよほど突出した天才でなければ、必ず代わりはいます。
今後、縛られない生き方をしたい専門家が増えれば、その職場も、気難しい専門家を雇うことに慣れていきます。そういう職場は、間違いなく、こういう気難しい専門家の代わりを探しだすノウハウも磨いていくでしょう。
専門家になるという事は職場に対する交渉力を手に入れるという事でもあります。でも、その交渉力には限界があるのです。無理を通すために辞職をちらつかせて交渉をするのは、たいていはやっぱり無理です。
あなたの代わりは、常にいると思ってください。これは、必ずしも悲観するべきことではありません。あなたが普通に仕事をしていれば、あなたの仕事を引き継ぐひとは必ずいるという事でもあります。引き継ぐ人がいるという事は、あなたの仕事の責任がどんなに重たくとも、その責任には上限があるという事でもあります。気楽にいきましょう。
3,代わりがいるとはいえ、辞職するときには迷惑をかけないように振る舞いましょう。
あなたの代わりは必ずいるとはいえ、医者が別の医療機関に移るときは、やはり辞められる職場は大変です。代わりの医者を探さなくてはなりませんし、代わりの医者が見つかっていたとしても、患者や治療について、たくさんの情報の引継ぎをしなくてはいけません。この引き継ぎ資料の作成は大変で、多くの医者は、辞職(異動)前後には、残業時間が極端に増えることが多いです。
どうせやめる職場の都合に縛られる必要はない、なんて考えはやめましょう。同じ分野の専門家を続ける限り、学会や、様々な集まりで、別れた職場の医者とも顔を合わせなくてはいけませんし、同じ分野の専門家同士、なにかと協力しあわなくては仕事にならないのです。専門家の世界は狭いのです。一旦、悪い評判がつけば、どこの職場に移ったとしても仕事に差し支えます。
ただ、辞職間際というのは、どうしても余裕がないことも多いです。どうしても余裕がなければ、時には迷惑をかけてしまうのもやむを得ないかもしれません。後で迷惑をかけた人に会ったら謝りましょう。その時やむを得なかったことがわかれば、謝れば、たいていは相手は許してくれます。なぜなら、あなたが同じ分野の専門家である限り、相手にとっても、今後のあなたの協力が必要だからです。
結論
「ワークシフト」によると、現在起こっている働き方の変化をまとめると、「ゼネラリストから連続スペシャリストへ」「孤独な競争から協力して起こすイノベーションへ」「大量消費から情熱を傾けられる経験へ」だそうです。
この本で書かれている、未来の社会の働き方は、現在の医者の働き方によく似ていると思います。
そこでは、「職場に縛られない生き方」が実現しますが、現在の会社組織中心とは別の倫理観に従って、今以上にハードワークをしなくてはならないのです。そういう生き方は、今、「縛られない生き方」みたいなことを言っている人たちが想像しているより、厳しい部分も多いです。
そこには、専門家個人の努力と、専門家同士の協力が必要です。情熱をもってそういう生き方ができる人ならば、それはそれで素晴らしいと思うんですが、誰にでも簡単にできるものではないと思います。
ブログタイトルを変更しました
ブログタイトルを変更しました。
新しいタイトルは、「高田の日記」
元々、このブログのタイトルは、「Dr'sTODO」でした(URLはそのままです)。
これは、以前、僕が別の目的で使っていたURLをそのまま流用して、ブログには、そのURLに合わせたタイトルをつけたためです。
元々、このURLは、僕が、自分のところに通ってくる患者の日常生活の改善のために、僕と患者本人とで話し合ってTODOリストをつくって、それを管理するサービスをやるために用意したものでした。そういうわけで、「ドクターズTODO」だったわけです。
そのサービスをやめた後も、なんとなく、自分のブログのために使い続けたわけです。
ただ、タイトルが、そういう明確なテーマを持ったタイトルだと、関係ない話題は、中々書きにくかったりします。そうなると更新も滞ります。
その一方で、自分の中には、ブログのテーマとは特に関係のない話題で、書いてみたい話題が、少しずつ溜まっていきます。
ああ言う事も書いてみたいな、こういうことも書いてみたいな、と思いながら、一方で、更新のとまったブログを維持し続けているというのも、なんだか変な感じがしてきましたので、この際、ブログのタイトルを、特にテーマを定めないものに変えようと思い立ちました。
皆様、今後とも宜しくおねがいします。
新しいタイトルは、「高田の日記」
元々、このブログのタイトルは、「Dr'sTODO」でした(URLはそのままです)。
これは、以前、僕が別の目的で使っていたURLをそのまま流用して、ブログには、そのURLに合わせたタイトルをつけたためです。
元々、このURLは、僕が、自分のところに通ってくる患者の日常生活の改善のために、僕と患者本人とで話し合ってTODOリストをつくって、それを管理するサービスをやるために用意したものでした。そういうわけで、「ドクターズTODO」だったわけです。
そのサービスをやめた後も、なんとなく、自分のブログのために使い続けたわけです。
ただ、タイトルが、そういう明確なテーマを持ったタイトルだと、関係ない話題は、中々書きにくかったりします。そうなると更新も滞ります。
その一方で、自分の中には、ブログのテーマとは特に関係のない話題で、書いてみたい話題が、少しずつ溜まっていきます。
ああ言う事も書いてみたいな、こういうことも書いてみたいな、と思いながら、一方で、更新のとまったブログを維持し続けているというのも、なんだか変な感じがしてきましたので、この際、ブログのタイトルを、特にテーマを定めないものに変えようと思い立ちました。
皆様、今後とも宜しくおねがいします。
2013年2月10日日曜日
今年の目標
久し振りのエントリーです。
新年あけましておめでとうございます。旧正月(春節)です。
いえ、別に、旧正月を祝う習慣はないのですが、元旦から今日まで、エントリー一つも書けなかったので、今日が元旦という事で。ひとつ。
今年の抱負です。
1,世間様のルールをきちんと理解した上で守る
いや、今までだってルールを破ってたつもりはないんですが、本当に全部厳密に守ってたかというと微妙なところもあるというか。そういうの、今年からは、きちんと詰めて行こうと思ってます。
2,自分の成長に繋がらない仕事をやめる
今引き受けている仕事の中には、惰性で続けているだけで、自分の成長に繋がらない仕事も多いのですが、今後は、できるだけそういう仕事をやめていこうと思っています。
3,作っているサービスをリリースする
昨年から、構想しているサービスがいくつかあります。このブログでいつも書いてる健康レシピのキュレーションみたいのもそうですけれど。他にもいくつかあって、どれも、他の仕事が忙しくて店晒し状態ですが、これらを、できる限り世の中に出したいと思ってます。
4,いろんな人と会う
今年は、できるだけいろんな分野の人と会いたいと思っています。これまで僕と会ったことのない人、長い間合っていなかった人なども、できるだけ会おうと思っています。今年も、よろしくおねがいします。
新年あけましておめでとうございます。旧正月(春節)です。
いえ、別に、旧正月を祝う習慣はないのですが、元旦から今日まで、エントリー一つも書けなかったので、今日が元旦という事で。ひとつ。
今年の抱負です。
1,世間様のルールをきちんと理解した上で守る
いや、今までだってルールを破ってたつもりはないんですが、本当に全部厳密に守ってたかというと微妙なところもあるというか。そういうの、今年からは、きちんと詰めて行こうと思ってます。
2,自分の成長に繋がらない仕事をやめる
今引き受けている仕事の中には、惰性で続けているだけで、自分の成長に繋がらない仕事も多いのですが、今後は、できるだけそういう仕事をやめていこうと思っています。
3,作っているサービスをリリースする
昨年から、構想しているサービスがいくつかあります。このブログでいつも書いてる健康レシピのキュレーションみたいのもそうですけれど。他にもいくつかあって、どれも、他の仕事が忙しくて店晒し状態ですが、これらを、できる限り世の中に出したいと思ってます。
4,いろんな人と会う
今年は、できるだけいろんな分野の人と会いたいと思っています。これまで僕と会ったことのない人、長い間合っていなかった人なども、できるだけ会おうと思っています。今年も、よろしくおねがいします。
2012年12月3日月曜日
医者に向かない医者を雇うこと
自分で会社を作れたら、「医者に向かない医者を雇うこと」を目標の一つにしようと思っています。医者って、給与の単価が高いので、なかなか難しいのですけれど。
少し前、山中教授がノーベル賞を受賞された時、彼が、研修医時代に「ジャマナカ」と言われて邪魔者扱いされ、結局、最初に入った医局を追い出されるようにやめたっていうおはなしが、メディアなどで取り上げられました。あれは、ひょっとしたら、山中先生のリップサービスかもしれません。でも、僕には、非常にもっともらしく思えます。医者の世界では、そういう風に、自分の就職した診療科から追い出される若手の医者って案外多いのです。たぶん、少なく見積もっても、新人医師の3〜5%くらいは辞めていくんじゃないかと思います。たとえ、辞めなくても、自分がこの分野の適性がないと思いながら、イヤイヤ医者を続けている医者もいっぱいいます。世間では、医者ってのは、結構「憧れの仕事」みたいに思われていることも多いので、イヤイヤ医者をやっているなんて本当かよ?って思うかもしれませんが、そういう人は案外多い、というのが僕の印象です。
別に、彼らが無能だというわけではありません。医者に向かないだけで、他の仕事では、いいパフォーマンスを発揮するのではないかと思える人も多いのです。
お医者さんの仕事は、ある程度学力がないと難しいと思います。でも、それと同じくらい、性格上の適性の有無が結構重要なのですね。それは、よく言われるような、客商売的な人当たりの良さとか、そういう種類の話ではありません。人当たりなんて言うのは、ある程度努力すれば大抵の人が身につけられる話ですので、人付き合いが苦手なので医者ができない、なんて言う人は案外稀なのです(全くないとは、言いませんが)。
医者のしごとが苦手な医者、医者の仕事を苦痛に感じている医者には、いくつかタイプがあります。僕は、これまで見た医者の苦手な医者を、自分の独断で分類してきました。
リスクテイカー型、数学者型、空想家型、あたりが、メジャーなタイプでしょうか?
他にもいるかもしれませんが。。
リスクテイカー型
新規のチャレンジを好み、同じ事を繰り返すことを嫌うタイプです。検査結果などで、予想外の結果が出るとうれしさを隠せず、不安がる患者への配慮が出来無くなることがあります。また、妙なスタンドプレーや、ハイリスクな治療を好む傾向があります。どうも普通の医者をしていないように見える一方で、メディアへの露出が多かったり、著書が多かったりする、その先生やあの先生は、多分このタイプです。
世の中には、リスクを取ることが好ましい仕事と、好ましくない仕事があります。たとえば、テレビ記者や、ベンチャー投資家などは、リスクを取らなければいけない仕事でしょう。でも、逆に、銀行員や公務員などは、自分の勝手な判断でリスクを取られては困る仕事なんですね。
医療も、基本的にはリスクをとってはいけない仕事です。
医療では、簡単にリスクを取られては患者が危険なのです。(あなたは、処方するときにリスクを取りたがるような人に診察してもらいたいですか?)
ところが、世の中には、生来リスクをとるのが苦手な人や、反対に、生来リスクを取るのが好きな人がいるものです。
リスクを取れない性格の人が戦場カメラマンに向かないのと同じように、新規のチャレンジが極端に好きなリスクテイカーは普通の医者を続けることが苦しくなるのですね。
このタイプは、派手なイメージの私大出身者にも多いですが、案外、地方の進学校でない高校から国立大学に進んだ学生にも多いです。おそらく、周囲の多くが進学しないような高校から、一人だけ受験勉強して医学部に進むというのは、それ自体が本人にとっては大きなリスクを伴う決断だからなんでしょうね。
数学者型
彼らのほとんどが、「高校時代、得意科目は数学で、苦手科目は英語でした。」と言う事から命名しました。
一見、医師としての専門知識に難があり、しばしば、周囲の医師からは不勉強だと思われていることが多いです。記憶力に問題があるように見えることもあるのですが、話していると頭は悪くないように感じられます。つまり、ロジカルなのだけれど暗記が苦手なのです。医学は、極端に暗記が中心の学問です。医学は、科学技術の仲間、理科系の学問とみなされていることが多いですが、どちらかというと、医学の習得は外国語の習得に近いのです。外国語に文法があるように、医学にも理屈はあるのですが、外国語の文法と同じように、例外も多いのです。つまり、こういう患者にはこういう対応をする、と一つ一つ覚えていく必要があるのですね。外国語の習得で、場面ごとの適切な文例を、一つ一つ覚えていく必要があるのに似ています。
医学はこういう学問ですので、どうしても、暗記が苦手な人は医学を習得するのが難しくなります。暗記が苦手だけれど、数学などの理科系の科目に秀でていたため大学入試を突破したというような彼らは、学生時代に、医療以外の資格、例えば、法律や会計なんかの資格を取っていることも多いです。おそらく、学生時代から、自分が医学に向いていないと自覚して、他の進路を模索するからでしょうね。でも、たいていは、アブハチ取らずで、どっちも専門家としては中途半端になってしまうことが多いです。医学部での勉強をしながら他の勉強をするというのは難しいのです。
元々医学が不得意な彼らですが、時間をかければ多くの人が外国語を習得できるように、彼らも中年に差し掛かるころには、そこそこの技術を持った医師になれるようです。でも、僕としては、他分野に行けばもっと活躍できたろうにと、勿体なく思います。また、せっかく医学とそれ以外のジャンルの両方をおさえているのであれば、純粋な医者ではなくて、医学の関連分野の、両方の知識が必要とされる分野で仕事をすればいいのに、とも思います。
空想家型
良く言えばイマジネーションが豊富、悪く言えば妄想癖があるタイプです。あまり多くありません。なぜ、彼らが医者に向かないのか良く分からないのですが、どうも、極度にイマジネーションが豊富だと、医療現場の仕事は苦痛を感じることがあるようです。有名な小説家や漫画家で、医者の世界をドロップアウトしてから大成した人が何人もいますが、そういう人達はこのタイプなんじゃないかな、と思っています。
診療科によっては、このタイプは問題にならないことも多いようで、精神科など一部の診療科に集中して存在しているようでもあります。
3つほど、医者に向かない医者のタイプを挙げてきました。この種のタイプの人の多くは、確かに医者には向かないのですが、決して他の医者よりも知的能力が劣っているというわけではなく、また、社会人として問題があるというわけでもありません。
最近、普通のビジネスをしている人と多く会うようになって、そういう、医者に向かない医者の性質の多くは、ビジネスの世界では長所になることが多いんじゃないだろうか、と思うようになりました。連中を雇い上げて、医療関連ビジネスで戦力として使えば、彼ら自身も、病院で働いているより生き生きと楽しく働けるんじゃないだろうか、と思っています。もし、自分で会社を作るなら、そういう人達を雇うような仕事をしたいな、と思っています。
少し前、山中教授がノーベル賞を受賞された時、彼が、研修医時代に「ジャマナカ」と言われて邪魔者扱いされ、結局、最初に入った医局を追い出されるようにやめたっていうおはなしが、メディアなどで取り上げられました。あれは、ひょっとしたら、山中先生のリップサービスかもしれません。でも、僕には、非常にもっともらしく思えます。医者の世界では、そういう風に、自分の就職した診療科から追い出される若手の医者って案外多いのです。たぶん、少なく見積もっても、新人医師の3〜5%くらいは辞めていくんじゃないかと思います。たとえ、辞めなくても、自分がこの分野の適性がないと思いながら、イヤイヤ医者を続けている医者もいっぱいいます。世間では、医者ってのは、結構「憧れの仕事」みたいに思われていることも多いので、イヤイヤ医者をやっているなんて本当かよ?って思うかもしれませんが、そういう人は案外多い、というのが僕の印象です。
別に、彼らが無能だというわけではありません。医者に向かないだけで、他の仕事では、いいパフォーマンスを発揮するのではないかと思える人も多いのです。
お医者さんの仕事は、ある程度学力がないと難しいと思います。でも、それと同じくらい、性格上の適性の有無が結構重要なのですね。それは、よく言われるような、客商売的な人当たりの良さとか、そういう種類の話ではありません。人当たりなんて言うのは、ある程度努力すれば大抵の人が身につけられる話ですので、人付き合いが苦手なので医者ができない、なんて言う人は案外稀なのです(全くないとは、言いませんが)。
医者のしごとが苦手な医者、医者の仕事を苦痛に感じている医者には、いくつかタイプがあります。僕は、これまで見た医者の苦手な医者を、自分の独断で分類してきました。
リスクテイカー型、数学者型、空想家型、あたりが、メジャーなタイプでしょうか?
他にもいるかもしれませんが。。
リスクテイカー型
新規のチャレンジを好み、同じ事を繰り返すことを嫌うタイプです。検査結果などで、予想外の結果が出るとうれしさを隠せず、不安がる患者への配慮が出来無くなることがあります。また、妙なスタンドプレーや、ハイリスクな治療を好む傾向があります。どうも普通の医者をしていないように見える一方で、メディアへの露出が多かったり、著書が多かったりする、その先生やあの先生は、多分このタイプです。
世の中には、リスクを取ることが好ましい仕事と、好ましくない仕事があります。たとえば、テレビ記者や、ベンチャー投資家などは、リスクを取らなければいけない仕事でしょう。でも、逆に、銀行員や公務員などは、自分の勝手な判断でリスクを取られては困る仕事なんですね。
医療も、基本的にはリスクをとってはいけない仕事です。
医療では、簡単にリスクを取られては患者が危険なのです。(あなたは、処方するときにリスクを取りたがるような人に診察してもらいたいですか?)
ところが、世の中には、生来リスクをとるのが苦手な人や、反対に、生来リスクを取るのが好きな人がいるものです。
リスクを取れない性格の人が戦場カメラマンに向かないのと同じように、新規のチャレンジが極端に好きなリスクテイカーは普通の医者を続けることが苦しくなるのですね。
このタイプは、派手なイメージの私大出身者にも多いですが、案外、地方の進学校でない高校から国立大学に進んだ学生にも多いです。おそらく、周囲の多くが進学しないような高校から、一人だけ受験勉強して医学部に進むというのは、それ自体が本人にとっては大きなリスクを伴う決断だからなんでしょうね。
数学者型
彼らのほとんどが、「高校時代、得意科目は数学で、苦手科目は英語でした。」と言う事から命名しました。
一見、医師としての専門知識に難があり、しばしば、周囲の医師からは不勉強だと思われていることが多いです。記憶力に問題があるように見えることもあるのですが、話していると頭は悪くないように感じられます。つまり、ロジカルなのだけれど暗記が苦手なのです。医学は、極端に暗記が中心の学問です。医学は、科学技術の仲間、理科系の学問とみなされていることが多いですが、どちらかというと、医学の習得は外国語の習得に近いのです。外国語に文法があるように、医学にも理屈はあるのですが、外国語の文法と同じように、例外も多いのです。つまり、こういう患者にはこういう対応をする、と一つ一つ覚えていく必要があるのですね。外国語の習得で、場面ごとの適切な文例を、一つ一つ覚えていく必要があるのに似ています。
医学はこういう学問ですので、どうしても、暗記が苦手な人は医学を習得するのが難しくなります。暗記が苦手だけれど、数学などの理科系の科目に秀でていたため大学入試を突破したというような彼らは、学生時代に、医療以外の資格、例えば、法律や会計なんかの資格を取っていることも多いです。おそらく、学生時代から、自分が医学に向いていないと自覚して、他の進路を模索するからでしょうね。でも、たいていは、アブハチ取らずで、どっちも専門家としては中途半端になってしまうことが多いです。医学部での勉強をしながら他の勉強をするというのは難しいのです。
元々医学が不得意な彼らですが、時間をかければ多くの人が外国語を習得できるように、彼らも中年に差し掛かるころには、そこそこの技術を持った医師になれるようです。でも、僕としては、他分野に行けばもっと活躍できたろうにと、勿体なく思います。また、せっかく医学とそれ以外のジャンルの両方をおさえているのであれば、純粋な医者ではなくて、医学の関連分野の、両方の知識が必要とされる分野で仕事をすればいいのに、とも思います。
空想家型
良く言えばイマジネーションが豊富、悪く言えば妄想癖があるタイプです。あまり多くありません。なぜ、彼らが医者に向かないのか良く分からないのですが、どうも、極度にイマジネーションが豊富だと、医療現場の仕事は苦痛を感じることがあるようです。有名な小説家や漫画家で、医者の世界をドロップアウトしてから大成した人が何人もいますが、そういう人達はこのタイプなんじゃないかな、と思っています。
診療科によっては、このタイプは問題にならないことも多いようで、精神科など一部の診療科に集中して存在しているようでもあります。
3つほど、医者に向かない医者のタイプを挙げてきました。この種のタイプの人の多くは、確かに医者には向かないのですが、決して他の医者よりも知的能力が劣っているというわけではなく、また、社会人として問題があるというわけでもありません。
最近、普通のビジネスをしている人と多く会うようになって、そういう、医者に向かない医者の性質の多くは、ビジネスの世界では長所になることが多いんじゃないだろうか、と思うようになりました。連中を雇い上げて、医療関連ビジネスで戦力として使えば、彼ら自身も、病院で働いているより生き生きと楽しく働けるんじゃないだろうか、と思っています。もし、自分で会社を作るなら、そういう人達を雇うような仕事をしたいな、と思っています。
2012年11月18日日曜日
診断機器としてのスマートフォン
昨日、診療時間のかなり遅くになってから、副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)が疑われた患者が来院した。
その子の母親が副鼻腔炎を心配していて、で、たしかに、僕の印象(「診察した医者の印象」というのは、検査などと比べても馬鹿にならないのだ)としても、副鼻腔炎っぽい。
でも、その時には、それを確かめるための検査や診察のための機械などは、手元になかったのだ。なぜか、いつも使っているペンライトすら電池切れに近い状態(本当に用意の悪い診療所なのだ。まあ、土曜日だからってのもあるんだけど)。
とりあえず、iPhoneの懐中電灯アプリで照らして咽頭を見ると、膿性の後鼻漏がある(つまり、黄色っぽい鼻水が、喉に落ちてきて、ベッタリとついている状態だったのだ)。やはり、それっぽい。
うーむ。ここには検査の機械なんてないし、僕は耳鼻科医ではないし、とりあえず耳鼻科に受診してもらうのがいいかな、と思ったのだけれど、なんせ、土曜日の午後のことだ。別の医者を受診しろっていっても、母親もなんとなく渋る感じ。
で、ちょっと思いついてiPhoneの懐中電灯アプリで、transillumination testをやってみた。
transillumination testっていうのは、鼻の横辺りの皮膚に強いライトを当てながら、口の中を覗きこむ診察方法だ。鼻の横辺りの骨も口の中の天井部分の骨も、非常に薄っぺらい骨なので、鼻の横に強い光を当ててやれば、副鼻腔の中の様子を、影絵みたいに、口の天井に映して見ることができる。
ふむ。なるほど。これはかなりのものだ。
スマホのライトってのは、それくらいのことができる程度には強力なライトなのだ、と思った。
結局、やはり副鼻腔炎が強く疑われるし、とりあえずそれ用の薬を出しておいて、それで、月曜には耳鼻科に行けって言って帰したんだけれど、あとで考えてみると、あれで、ほぼ確定診断になっているんじゃないかな、と思えてきた。
少なくとも、かなり高い確率で、副鼻腔炎と言えるまで証拠を集められたんじゃないかと思う。(参考:http://rockymuku.sakura.ne.jp/zibika/fukubikuuennnosinndann.pdf)
以前、iPodを聴診器が割りに使う話があって、一時期試してみていたんだけれど、今のスマホの音質は、普通の聴診器よりも遥かにいいと思う。
というわけで、スマートフォンを万能簡易診察機器として使う、みたいな話を少し集めてみたいな、と思っている。案外、日常診療に使えるんじゃないか、こいつ。
その子の母親が副鼻腔炎を心配していて、で、たしかに、僕の印象(「診察した医者の印象」というのは、検査などと比べても馬鹿にならないのだ)としても、副鼻腔炎っぽい。
でも、その時には、それを確かめるための検査や診察のための機械などは、手元になかったのだ。なぜか、いつも使っているペンライトすら電池切れに近い状態(本当に用意の悪い診療所なのだ。まあ、土曜日だからってのもあるんだけど)。
とりあえず、iPhoneの懐中電灯アプリで照らして咽頭を見ると、膿性の後鼻漏がある(つまり、黄色っぽい鼻水が、喉に落ちてきて、ベッタリとついている状態だったのだ)。やはり、それっぽい。
うーむ。ここには検査の機械なんてないし、僕は耳鼻科医ではないし、とりあえず耳鼻科に受診してもらうのがいいかな、と思ったのだけれど、なんせ、土曜日の午後のことだ。別の医者を受診しろっていっても、母親もなんとなく渋る感じ。
で、ちょっと思いついてiPhoneの懐中電灯アプリで、transillumination testをやってみた。
transillumination testっていうのは、鼻の横辺りの皮膚に強いライトを当てながら、口の中を覗きこむ診察方法だ。鼻の横辺りの骨も口の中の天井部分の骨も、非常に薄っぺらい骨なので、鼻の横に強い光を当ててやれば、副鼻腔の中の様子を、影絵みたいに、口の天井に映して見ることができる。
ふむ。なるほど。これはかなりのものだ。
スマホのライトってのは、それくらいのことができる程度には強力なライトなのだ、と思った。
結局、やはり副鼻腔炎が強く疑われるし、とりあえずそれ用の薬を出しておいて、それで、月曜には耳鼻科に行けって言って帰したんだけれど、あとで考えてみると、あれで、ほぼ確定診断になっているんじゃないかな、と思えてきた。
少なくとも、かなり高い確率で、副鼻腔炎と言えるまで証拠を集められたんじゃないかと思う。(参考:http://rockymuku.sakura.ne.jp/zibika/fukubikuuennnosinndann.pdf)
以前、iPodを聴診器が割りに使う話があって、一時期試してみていたんだけれど、今のスマホの音質は、普通の聴診器よりも遥かにいいと思う。
というわけで、スマートフォンを万能簡易診察機器として使う、みたいな話を少し集めてみたいな、と思っている。案外、日常診療に使えるんじゃないか、こいつ。
2012年10月28日日曜日
これは皆さん見たほうがいい。映画「終の信託」を見てきました。
映画「終の信託」、見てきました。
終末期医療がテーマの映画です。ストーリーは、概ね実話(川崎協同病院事件)を元にしており、非常にリアリティがあります。
終末期医療に関心のある人は必見と思いました。この問題について丁寧に扱った貴重な映画です。
この映画の批評などをウェブで探すと、尊厳死の映画と思っている人が多いですが、これは、尊厳死の映画ではありません。この映画で扱われている事件は、「植物状態の患者を尊厳死させようとしたときに、突然患者が息を吹き返して暴れだし、それを慌てて鎮静させようとした医師が、結果として患者を殺してしまった」という事件です。この事件は、「尊厳死」や「安楽死」のカテゴリには入りません。
作中に出てくる患者は、長い闘病生活の中で、肉体的な苦痛に苦しみ続け、さらに自分の闘病のために家族に負担をかけていることに申し訳ないと思いつづけています。そして、自分の主治医を信頼しており、自分がいよいよ助からないとなったら無理な延命治療は望まない。その時には自分の治療を止めて死なせて欲しいと主治医に言い残します。これが、表題の「終の信託」、いわゆるリビングウィルです。
この、患者の終の信託に基づいた「尊厳死」であれば、法律上は、それほど大きな問題はなかったのでしょう、しかし、尊厳死をさせようとした瞬間、患者は息を吹き返し、最後の最後で事件は普通の尊厳死を飛び越えて、結果として「殺人事件」になってしまうわけです。
実のところ、このような突然の患者の病状のゆらぎといいますか、予想外の変化は、医療では珍しいことではありません。医療は、基本的に予想外の変化をする生き物を扱っているわけですから、普通の医療と殺人事件は常に隣り合わせにあり、境目は、常にゆらゆらと揺れています。こうした医療の「ゆらぎ」を法律がどのように扱うか、というのが、この映画のテーマなのだと思います。
当然、法律で生死の問題を扱うときには、生と死の定義、脳死状態とは何か、終末期とはどのような状態か、といったような厳密な法律上の定義が必要です。ですから、法律には、このような「ゆらぎ」を受け入れ難いのです。
この映画では、この2つの正義、大沢たかおの演じる検事の規範的で法律的な正義と、草刈民代の演じる女医のゆらいでいる曖昧な正義が衝突します。
難しい問題を考えさせられるいい映画です。
以下、少し苦言っぽい話。
医療従事者の視点から見ると、こんな治療はいまどきやらないだろうというような少々首を傾げるような「喘息治療」が出てきました。
あと、喘息のような自宅でのケアが重要な疾患で、患者の自宅での生活の様子が全く描かれないのは、少し問題かな、とも思いました。作中の女医さんは、一人で病院で奮闘しており、作中では病院に来た時の患者しか描かれません。これが、この映画の医療に関する認識なのかもしれませんが、もし、病院だけでなく在宅医療等の活用があれば、もう少しマシな経過をたどったのではないかとも思います。そういう意味では、この映画の事件は、現在の極端に病院中心の医療が起こしてしまったトラブルとも感じます。
原作者は、特に医療が専門というわけではなく法律が専門の人ですので、医療に関する細かい描写には少しどうかと思うところもありますが、瑣末なことと思います。そういったことで価値が減ずることのない良い映画と思います。
最後に
僕自身は、リビングウィルというのは、本当のところどうなんだろうと少し疑問に思っています。
自分が重たい病気にかかると、人生に対する考え方というのは大きく変わります。
単なる延命治療は受けたくない、チューブがたくさんつながって、ただ生きているだけになるのは嫌だ、と元気なときに言っていた人が、いざ死を目の前にすると、少しでも長く生きたいと言う意見に変わるのも何度も見てきました。理由は様々です。チューブだらけになっても孫の小学校の入学式まで生きていたい、娘の結婚式までは生きていたい、みたいなことを言う人はたくさんいます。そういった理由はなくても、死を前にすると、死布は怖くなる、死ぬのは嫌だ、というふうに考え方が変わるのはごく普通なことです。
逆に、少しでも長く生きたいと言っていた人が、こんなふうになってまで生きたくなかった、と言い出すこともあります。
ハンコをついた書類の上での「本人の意志」と違って、本当の本人の意志というのは、非常に移ろいやすいものです。
もちろん、本人の意志が変わってしまう以上に、本人の意識が混濁し、本人が今どう考えているかがわからなくなってしまうというケースのほうが圧倒的に多いのも事実です。
どうしたらいいものか、僕の結論は、まだ出ていません。
終末期医療がテーマの映画です。ストーリーは、概ね実話(川崎協同病院事件)を元にしており、非常にリアリティがあります。
終末期医療に関心のある人は必見と思いました。この問題について丁寧に扱った貴重な映画です。
この映画の批評などをウェブで探すと、尊厳死の映画と思っている人が多いですが、これは、尊厳死の映画ではありません。この映画で扱われている事件は、「植物状態の患者を尊厳死させようとしたときに、突然患者が息を吹き返して暴れだし、それを慌てて鎮静させようとした医師が、結果として患者を殺してしまった」という事件です。この事件は、「尊厳死」や「安楽死」のカテゴリには入りません。
作中に出てくる患者は、長い闘病生活の中で、肉体的な苦痛に苦しみ続け、さらに自分の闘病のために家族に負担をかけていることに申し訳ないと思いつづけています。そして、自分の主治医を信頼しており、自分がいよいよ助からないとなったら無理な延命治療は望まない。その時には自分の治療を止めて死なせて欲しいと主治医に言い残します。これが、表題の「終の信託」、いわゆるリビングウィルです。
この、患者の終の信託に基づいた「尊厳死」であれば、法律上は、それほど大きな問題はなかったのでしょう、しかし、尊厳死をさせようとした瞬間、患者は息を吹き返し、最後の最後で事件は普通の尊厳死を飛び越えて、結果として「殺人事件」になってしまうわけです。
実のところ、このような突然の患者の病状のゆらぎといいますか、予想外の変化は、医療では珍しいことではありません。医療は、基本的に予想外の変化をする生き物を扱っているわけですから、普通の医療と殺人事件は常に隣り合わせにあり、境目は、常にゆらゆらと揺れています。こうした医療の「ゆらぎ」を法律がどのように扱うか、というのが、この映画のテーマなのだと思います。
当然、法律で生死の問題を扱うときには、生と死の定義、脳死状態とは何か、終末期とはどのような状態か、といったような厳密な法律上の定義が必要です。ですから、法律には、このような「ゆらぎ」を受け入れ難いのです。
この映画では、この2つの正義、大沢たかおの演じる検事の規範的で法律的な正義と、草刈民代の演じる女医のゆらいでいる曖昧な正義が衝突します。
難しい問題を考えさせられるいい映画です。
以下、少し苦言っぽい話。
医療従事者の視点から見ると、こんな治療はいまどきやらないだろうというような少々首を傾げるような「喘息治療」が出てきました。
あと、喘息のような自宅でのケアが重要な疾患で、患者の自宅での生活の様子が全く描かれないのは、少し問題かな、とも思いました。作中の女医さんは、一人で病院で奮闘しており、作中では病院に来た時の患者しか描かれません。これが、この映画の医療に関する認識なのかもしれませんが、もし、病院だけでなく在宅医療等の活用があれば、もう少しマシな経過をたどったのではないかとも思います。そういう意味では、この映画の事件は、現在の極端に病院中心の医療が起こしてしまったトラブルとも感じます。
原作者は、特に医療が専門というわけではなく法律が専門の人ですので、医療に関する細かい描写には少しどうかと思うところもありますが、瑣末なことと思います。そういったことで価値が減ずることのない良い映画と思います。
最後に
僕自身は、リビングウィルというのは、本当のところどうなんだろうと少し疑問に思っています。
自分が重たい病気にかかると、人生に対する考え方というのは大きく変わります。
単なる延命治療は受けたくない、チューブがたくさんつながって、ただ生きているだけになるのは嫌だ、と元気なときに言っていた人が、いざ死を目の前にすると、少しでも長く生きたいと言う意見に変わるのも何度も見てきました。理由は様々です。チューブだらけになっても孫の小学校の入学式まで生きていたい、娘の結婚式までは生きていたい、みたいなことを言う人はたくさんいます。そういった理由はなくても、死を前にすると、死布は怖くなる、死ぬのは嫌だ、というふうに考え方が変わるのはごく普通なことです。
逆に、少しでも長く生きたいと言っていた人が、こんなふうになってまで生きたくなかった、と言い出すこともあります。
ハンコをついた書類の上での「本人の意志」と違って、本当の本人の意志というのは、非常に移ろいやすいものです。
もちろん、本人の意志が変わってしまう以上に、本人の意識が混濁し、本人が今どう考えているかがわからなくなってしまうというケースのほうが圧倒的に多いのも事実です。
どうしたらいいものか、僕の結論は、まだ出ていません。
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