2019年6月27日木曜日

天才について

最近、FBで、「天才」についてはなしをした。少し面白かったので、記録しておこうと思う。

1、分野ごとの天才
天才であると認められるためには、何か、圧倒的な能力を周囲に見せる必要がある。そして、能力を証明するために必要な条件は、分野によって異なる。スポーツや数学など、能力証明に必要なルールが整備されている分野では、天才は生まれやすい(サッカーの天才、将棋の天才、数学の天才、など)。反対に、ルールが複雑な、医学とか文学とかでは、天才は生まれにくい。そういう分野では、たいてい、「天才」ではなくて、「天才的」にとどまる(天才的な作家、天才的な外科医、天才的なピアニスト、など)。

2,ビジネス分野にも、「天才」と呼ばれている人が、ときどきいる。スティーブ・ジョブズとか、松下幸之助とか。ただ、あれは、1で言うような天才とは少し意味が違うように思う。というのは、ビジネスにおける天才というのは、個人の圧倒的に卓越した能力でもって天才と呼ばれているのではなくて、世の中を変えたとか、お金を稼いだとか、ビジネスにおける成功をもって天才と呼ばれているように見えるからだ。だから、無名で貧乏な天才将棋指し、とか、無名で貧乏な天才サッカー選手、というのは、存在しうるけれど、無名で貧乏な天才ビジネスマン、というのは、存在し得ない。また、天才的ビジネスマンは能力よりも成功によって天才と呼ばれるから、その天才を引き出す右腕役のような存在を必要とすることもある。能力によって天才と呼ばれる人は、本質的に、補佐役を必要としない(能力による天才は極端に社会性がないこともあるので、生活上のサポーターを必要とする場合はありうるが、あれは、補佐役というより介護役だと思う)。

2、天才の欠落
天才(あるいは天才的な人)を何人か見た経験からすると、天才は、普通人に天才的な能力を追加したような感じではなくて、普通人よりも何かが不足している、何かバランスの欠けた感じに見える人が多い。
おそらく、多くの天才は、元々、人並みよりも高い能力を与えられるわけではなくて、何か、大きな能力の欠落があって、その欠落を埋め合わせる形で、天才的能力を発達させるのだと思う。その結果が、あの、バランスの崩れなのではないか。

3、天才とひとりごと
私の知る天才のかなりの部分が、ひとりごとを話す。壁に向かって話したり、人形に話す人もいる。あれは、ルーチーンなのか、脳内会議みたいなものなのか。

2019年6月21日金曜日

likebook MARSの使用感

今年3月に、e inkディスプレイのタブレット、Likebook MARSを買いました。
買ってしばらくの後、FBにレビューをアップしていたのですが、このあたりで、もう一度、使用感をまとめておこうと思います。

この製品は、かなり尖った製品で、買ってからわかった長所や短所がたくさんあります。使い勝手の問題点は、その後、使い方の工夫によって改善できた部分もありますが、最終的に、なんともできなかった部分もあります。

1,眼精疲労やドライアイなどのVDT症状は、ほぼなくなります。
e inkに関心を持っている人の多くが、スマホやタブレットの使いすぎでの眼精疲労に悩んでいると思います。この点では、このガジェットは、本当に期待通りです。また、私の場合、この製品をタブレットとして使うようになってから、夜、寝付きが良くなり、また、夜間に目が覚めてしまう中途覚醒がなくなりました。これは、これまでは夜寝る前に、タブレットの光るディスプレイを見ていたのが、強く光らないe inkに変わったからだと思います。
この点、私としては、VDT対策としてe inkディスプレイが役に立つのではないかと思っているのですが、これ、説明しても、この点で困っていない人(や、e inkを経験したことがない人)には反応が薄いのですよね。

2,画面のレスポンスの問題は、設定でどうにかできる。
画面の描画については、ある程度細かく設定できます。
まず、16階調と2階調の二種類のモードがあり(16階調のほうがきれいな表示になるが、描画速度がおそく、アニメはコマ落ちになる)、また、リフレッシュについて、通常モード、急速モード、Regalモード(リフレッシュにかかる時間やリフレッシュの範囲が、それぞれ、ことなる)と3種類のリフレッシュの方法を選ぶことができます。また、リフレッシュの頻度も選ぶことができます。
これらの設定は、アプリ毎に決めることもできるようになっていますし、いつでも、画面の上のツールバーをタップすることで、すぐに設定変更できます。einkのガジェットでは、動画やアニメーションを見るときなどのレスポンスが問題になることがあるのですが、そのアプリごとに最適の設定にすれば、多くのアプリは、そこそこ使えるようになります。
私の場合、たとえば、youtubeなど、描画速度が重要なケースでは2階調でリフレッシュなし、漫画を読むときなど、静止画がきれいであることが重要なケースでは、16階調でregalモードにしています。また、ウェブブラウザなどでは、ページの種類に応じて、ツールバーをタップして、その両設定を使い分けています。
下の動画は、2階調でyoutubeを見たときのものです。


3,どうしても使いにくいアプリもある
ほとんどのアプリでは、普通のスマホやタブレットよりも、ずっと目が疲れにくくなります。ただ、どうしても使いにくいアプリもいくつかあります。
たとえば、アプリの種類によっては、画面の大きな部分の明度が、急に変化したりしますが、そういうものは、画面がちらついて見にくいです。たとえば、私、「ぴよ将棋」というAndroidの将棋アプリをよく使っているのですが、この「ぴよ将棋」、ダイアログウィンドウが表示されるとき、ダイアログを強調するために、背景がパッと黒っぽく変わるUIになっています。このとき、普通のスマホやタブレットでは全く気にならなかったのですが、einkでだと、この背景が急に黒くなるたびに目が痛くなるのです。そういう、普通のディスプレイでは問題にならないことが、einkでは、どうしてもダメということがいくつかあります。また、モノクロですから、カラーだと見えやすいUI要素でも、要素と背景が同程度の明度であった場合、見えにくいこともあります。
とはいえ、Androidのアプリは多様ですから、多くの場面では、モノクロでも使いやすいUIのアプリを探すことができるだろうと思います。

4,スピーカーはない
スピーカーは付いていません。音を出したい場合は、スピーカーかイヤホンを繋ぐ必要があります。イヤホンジャックとBluetoothの両方が使えます。スピーカーがついていないのは、おそらく、メーカーとしては、音が出るゲームやアニメより、読書端末として使ってもらうつもりで設計したからなのでしょう。

5,読書端末としては、KindleやKoboの専用機のほうが良い。
GooglePlayが使えますので、KindleやKoboのアプリをインストールすれば、KindleやKoboの電子書籍を読むこともできます。ただ、KindleやKoboをつかった読書だけが目的であれば、購入はおすすめできません。というのは、読書端末としての使い勝手が、KindlePaperwhiteなどの専用端末に大きく見劣りするからです。というのは、現状、KindleアプリもKoboアプリも、einkに最適化されたUIを持っているわけではないからです。たくさんの書籍から目的の本を選ぶ画面では、画面切り替えでなくスクロールする方式ですし、ページめくりの際にはページめくりアニメーションがあります。スクロールやアニメーションは、e inkでは、ストレスになります。私の感覚では、読書は、わずかでもストレスが少ないほうがいいです。Kindleを読みたい人はKindleを買うべきですし、KindleとKoboを使い分けている人も、読書だけが目的であれば、本機ではなくて、KindleとKoboの二台持ちをしたほうが良いと思います。

6,入力が、結構たいへん。
私は、このガジェットを、仕事の際のメモに使いたかったのですが、本機は、画面のタッチの精度が、あまりよくありません。そのため、ソフトキーボードで長文を打つのは、少し難しいです(通常のタッチ操作であれば、ほとんど問題ありません。フリックで高速に文字入力するときだけ、問題が発生します)。これは、このタイプのディスプレイに、まだ、あまりこなれていないところがあるからでしょう。スタイラスも試したのですが、スタイラスにも、反応はいまひとつです。
そこで、今は、タブレットスタンドを買ってきて、タブレットを立たせて、bluetoothのキーボードとつないで使っています。この方法であれば、そこそこ使えます。ただ、タブレットですから、ペンや指でスラスラ入力できるようにしてほしいですね。

7,全体としては、私としては、このガジェットに満足しています。
ただ、いくつか改良してほしいところがあります。一番は、サウンドを聞けるようにスピーカーを付けてほしいことです。音声が聞こえるだけで、使える範囲は、ずいぶん広がりますからね。また、タッチ操作の精度も、もう少し良くしてほしいです。
あと、できれば、このディスプレイを使った、4インチサイズの小さいスマホもほしいですね。

2018年5月25日金曜日

摩訶大将棋の話

私の友達の中で、将棋と仏教と歴史が好きな人には、関心を持ってもらえそうな話題です。って、そんな人、あんまりいないか。将棋好き、仏教好き、歴史好きの友達は、それぞれいるんだけれど、その3つがダブっている友達は、あまり多くないですから。
何かと言うと、将棋の歴史と日本の宗教の歴史の交錯する話題です。

今の日本将棋の原型になったと思われるゲームをたどると、平安時代にプレイされていた、いくつかの種類のゲームにたどり着きます。平安将棋、大将棋、摩訶大将棋、天竺将棋と言ったゲームです。

これらのゲーム、かなり変なゲームで、また、日本近隣の国の他のチェス系ゲーム、中国のシャンチーやタイのマークルックなどともずいぶん異なるゲームです。なかでも、摩訶大将棋は、これは、プレイしたら、わかるひとはわかると思うんですけれど、明らかな宗教くささがあるのです。

摩訶大将棋は、今の将棋と同じく、自分の「玉将」というコマを守りながら相手の「玉将」というコマをやっつけるゲームです(現在の将棋では、玉将と、もう一方は、「王将」ですが、安土桃山時代までは、両方とも、「玉将」だったことがわかっています)。この「玉将」、どうも、周りのコマの配置から見ると、天皇をシンボリックに表現したものみたいなんですけれど、大して強いコマじゃありません。

そのかわり、玉将の周りには、いろんな強いコマがあります。さらに、玉将の周りにある強いコマに混じって、二つ、弱いけれど、重要な駒があります。一つが、「無明」というコマで、もう一つは「提婆」というコマです。この二つのコマは、ものすごく非力なコマなんですが、ゲーム中に成長して、「無明」は「法性」というコマに、「提婆」は「教王」というコマに変化します。この「法性」と「教王」は、めちゃくちゃ強いコマで、これが作れたら、このゲームでは圧倒的に有利になります。

なので、この摩訶大将棋というゲーム、前半は、お互いに、いろいろな強いコマを捨てながら、無明と提婆から、出来るだけ早く法性と教王を作ろうとする展開になります。で、後半は、そうやってできた法性と教王が天皇をサポートして敵を追い詰める、という展開になります。

これ、見る人が見れば分かりますけれど、明らかに、なんかの宗教が背景にあるわけです。で、これは、一体何なんだろう、当時の人は、どういう動機で、こんな変なゲームをやっていたんだろう、っての、私、昔から不思議だったんですよ。

これについては、私なりの仮説があったのだけれど、今日、このブログを見つけて、私が思っていた仮説と似た議論だったので、思わず、興奮してしまったのでした。

摩訶大将棋のブログ4

著者自身、少しずつ調べながら、自分なりの仮説を作ってきたようで、最近になるほど仮説が完成してきて面白くなる。200前後からが、とくに面白い。

全部読むのは大変なので、著者の主張の私なりの要約。
1,平安将棋、大将棋、摩訶大将棋の3つでは、摩訶大将棋が一番、宗教的なシンボルを多く含んでいる。反対に、平安将棋が一番、宗教的なシンボルを含んでおらず、現在の将棋に近い。この3つは、通常は、平安将棋、大将棋、摩訶大将棋の順に作られたのではないかと考えられているが、著者は、逆に、摩訶大将棋、大将棋、平安将棋の順に作られたのではないかと考えている(これは、明確な証拠はないのだけれど、ゲーム内容を考えると、私は、かなり説得力がある仮説に思える。摩訶大将棋のルールから平安将棋を思いつくのに比べると、平安将棋のルールから摩訶大将棋を思いつくのは、遥かに難しいように思える。)。
2,摩訶大将棋の王将の前方にあるコマは、天皇の行列に出てくるものをシンボリックに表したものだと考えられる。つまり、このゲームの玉将は、天皇のシンボルである。
3,摩訶大将棋の玉将の左右のコマは、当時の薬師如来の荘厳をシンボリックに表したものと考えられる。したがって、玉将は天皇であるだけでなく薬師如来でもあった。薬師如来は東方の如来であり、日本の天皇は、中国から見て東方の国の王なので、それで、両者を同一視したのではないか、というのが著者の意見(ということは、「玉将」の「玉」というのは、薬師如来の東方瑠璃光浄土の「瑠璃」だったわけです)。
4,玉将の周辺には、3人の如来(釈迦、阿弥陀、大日)をシンボリックに表したと思われるコマがある。したがって、摩訶大将棋には、玉将である薬師を含め、ゲーム開始時点で4人の如来が登場していることになる。
5,摩訶大将棋には、他に、十二支を表現したコマ、陰陽五行を表現したコマなどがある。これは、たぶん、このゲームを作った人が、そういった呪術にも詳しい人達だったからではないか。
6,こんな変なゲームが、単純な娯楽としてプレイされたとは考えにくい。おそらく、このゲームは、当時の薬師如来信仰を背景にして、神事(仏事)としてプレイされたのではないか。
7,摩訶大将棋にくらべると、大将棋、さらに平安将棋と、徐々に宗教的なシンボルが少なくなっていく。提婆と無明はなくなり、また、十二支や陰陽五行を表現したコマもなくなる。また、如来を示すコマは、まず、釈迦と大日が消える。阿弥陀は、しばらくは残されたものの、やがて、阿弥陀も消える。それと同時に、如来の荘厳を表現していたコマも簡略化されていく。
8,この変化は、平安時代を通じて、薬師如来信仰が中心だった仏教が、阿弥陀如来信仰中心に変化してきたことと関係があるのではないか。このゲームをプレイする人たちの中で薬師如来信仰がマイナーになるにつれ、古いシンボルを表現したコマは、徐々に、プレイヤーたちにとって、わかりにくいものになっていったのではないか。というのが著者の主張(物証はなさそうに思えるが、個々のコマの変化を考えると、これも、説得力があるように思える)
9,で、ですね。この説が正しいと考えると、現在の将棋は、摩訶大将棋→大将棋→平安将棋→現在の将棋と変化してできたものなわけです。で、もうひとつ、現在の将棋の金将、銀将、桂馬、香車の4種類のコマは、これは、平安時代に仏様の前に置かれていたもの(金、銀、肉桂、香木)の名残なのです。

2018年4月16日月曜日

メモ:「電子しおり」について

「電子しおり」というものが欲しい気がする。紙の本に挟むしおりに、RFIDタグと、かんたんなメモ管理機能、einkの表示機能をつける。
パソコンかタブレットで動作する「しおり管理プログラム」とセット。
使い方。
本を読んでいて、気になるところがあったら、しおりにメモを書いて挟んでいく。
あとで、アレが書いてあるの、どこだったかな、なんて調べるとき、パソコンやスマホから検索。
本棚の中のどこにあるのかRFIDで探す。本を開いて、パラパラとしおりの挟まっているページをたぐる。
仕事の書類管理にもいいかな。大事な書類といっしょに封筒の中に入れておく。

健康を食い物にするメディアたち

やや過激なタイトルなのですが、内容は、メディアについての落ち着いた現状認識で、非常に好感を持てる内容でした。
たぶん、Welq事件の話を書いたのだろうと思っていたのですが、そういう、ネットメディアの話だけでなくて、既存の新聞やテレビなどにも目を向けたかなり広い視野の議論の本です。
この本、とくに良いと思ったのは、医学の素人である一般の人が、どうやって信頼できる健康情報と信頼できない健康情報を区別するか、また、なぜ、信頼できないいい加減な情報を多くの人が信じてしまうか、など、とくに一般の人に大切と思われる話に、ちゃんと言及していることです。
これは、私、常々、自分の患者に言っていることなのですが、
煽ったり脅かしたりするような言い方をする「専門家」の解説は眉に唾をつけて聞かなくてはいけません。本当に信用できる専門家は、科学が確実でないということを嫌という程知ってるからです。だから、これが真実だと著者の主張を押し付けようとしたり、煽ったりする人は、たいてい、あまり科学的には正しくありません。自分の意見と違う意見を持つ素人の患者に攻撃的になる医者は、あまり信用しないほうが良いと思っています。逆に、信用できるような人ほど、慎重で、曖昧で、奥歯に物が挟まったような言い方になります。医学の結論は、たいてい確率的なものであり、医学は、何かを断定することができるほど決定的な結論を出せる学問ではないからです。
特に、「絶対に」「奇跡の」「百%」「最先端」「最新の」あたりはNGワードです。
そういう話が、丁寧に書かれています。
もう一つ、良いなと思ったのは、こういう「健康を食い物にするメディア」を信じてしまう「非科学的」な人たちにも攻撃的になることなく、やさしく、その心理について分析していることです。私は、常々、非科学的な態度を取る素人に大して優しい態度を取れない医療者がいることが、そういう人を、逆に非科学的な治療の方向に追いやってしまっていると感じていました。ですので、そのへんを丁寧に書いてくれていることも、大変ありがたいと思いました。
この辺は、医療に関心のある人だけでなく、カルト宗教とか、詐欺的な商法とか、そのへんを相手に苦労している人にも読んでほしいかな、と思います。
あと、この著者の書くこれだけの量の纏まった文章は、私は初めて読んだのですが、この人、ライターの仕事、文章を書いて何かを伝えるということが本当に好きなんだなぁ、と思いました。私、どこかで、この人に、「あなたは医者よりもライターのほうが向いていると思う」というようなことを言った記憶があるのですが、これだけライターが好きなら、やっぱり、医者ではなくて、そっちが天職だと思います。
であれば、この人は、もう少し、自分だけは「健康情報を食い物に」していくことを考えて良いのではないかなぁ。メディアで一生食っていくということは、それはそれで大変なことだし、それに、こういう良心的な文章を書く人に食いものにされることは、健康や医療にとっても大きなメリットであるはずだと思うのです。

2017年10月27日金曜日

スマートスピーカーの非実用的な用途

スマートスピーカーというものに興味があります。
GoogleHomeとか、Clovaとか、そういうやつです。
とはいえ、買いたいとは思っていないのです。部屋が散らかっていて、置く場所がないものですから。
ですけれども、このデバイスの未来に興味があるものですから、いろんなところでスマートスピーカーをさわってみています。

さて、今日話したいのは、スマートスピーカーの非実用的な用途のことです。

普及するような情報機器は、たいてい、実用に使われる以上に、娯楽などの非実用的な用途で使われています。
多くの人のスマホはゲームとSNSの専用機になっていますし、パソコンだって、ゲームやら何やらがなかったら、こんなに普及したかわかりません。

逆に、どんな実用的な情報機器でも、工夫して娯楽のネタとして使う人は、かならずいるものです。

実用的な道具でも、変な遊びに使う想像力豊かなやつがいる、ということに、私が初めて気がついたのは、中学生の時、友人のK君がワープロの日本語変換に変な単語を教えこんでいるのを見たときでした。
彼の家にあったワープロは、かなで、「わたしのくつをおなめ」と打つと、「はい。ご主人様。」と漢字変換してくれるようになっていました。私が覚えているのは、その一単語だけなのですが、他にも、たくさんのイカガワシイ単語を登録してあったように思います。彼は、そういう単語をワープロに登録することを、「調教」と呼んでいました。彼は、そうやって、登録された単語を変換して、ワープロ専用機との怪しい「会話」を楽しんでいたようなのですね。まあ、実用一点張りのワープロ専用機だって、想像力を持った人間が変なことに使おうと思えば、娯楽の可能性は無限大なのです。
(ところで、あの日、私が彼の家でみたワープロは、彼の父親が仕事で使っていたものらしく、後日、彼は、「調教」に気がついた父親にひどく怒られたと聞きました)

そういうわけで、いずれ、スマートスピーカーも、普及し始めたら、アプリをインストールできるようになって、いろいろな非実用的なアプリが出て来るに決まっています。
スマートスピーカーを使った娯楽となれば、きっと、多くが会話を楽しむものになるでしょう。もちろん、人間との会話のような自然な会話はスマートスピーカーには、難しいでしょうから、会話と言っても、一種の決まり文句を楽しむだけかもしれません。でも、多くの人が面白いと思うような会話は、決まり文句の範囲でも、できるのではないでしょうか。

そういうわけで、今の時点で考えられる非実用アプリを考えてみました。

1,アニメやドラマの「あの会話」アプリ
アニメや、ドラマの有名なシーンを、ユーザーと一緒に演じてくれるアプリです。
たとえば、
「○○がないな?」
とユーザーが言ったら、スピーカーが、
「あんなのかざりです。偉い人にはそれがわからんのですよ。」
と答えてくれる、とか。
もちろん、こういう、一言だけの会話から、望むなら、台本一冊分くらいの長い会話もできるはずです。ユーザーは、そういう会話をすることで、あのアニメやあのドラマの登場人物になりきって遊ぶことができるわけです。
あ、ちなみに、上記の会話をしてくれるスピーカーには、ハロの形をしたケースを付けることをおすすめします。

2,ポルノ会話アプリ
ユーザーがエッチなことをいうと、いやらしい声でエッチな言葉で返事してくれるアプリです。
ユーザーは、そのアプリを使うことで、エッチな気分に浸るのです。往年のギャルゲー声優の声を使うと、そのスジの人には、特に楽しんでもらえるのではないかと思います。
これも、きっと、面白がる人が多いアプリではないでしょうか。

3,宗教的アドバイスアプリ
たとえば、何か、ユーザーが悩んでいることを言うと、その中のキーワードに関連した聖書の一節を話してくれる、というようなアプリです。
真面目なキリスト教の信徒であれば、喜ぶ人は案外いるのではないかと思います。仏教なんかでも、比較的、教義を言語で表現する度合いの大きい宗派、たとえば、上座部仏教とか浄土真宗とか日蓮宗とかだと、似たような、ユーザーの状況に応じた法語や仏語を言ってくれるアプリは作れるのではないでしょうかね。

4,サウンドノベルゲームのアプリ
一昔前のサウンドノベル、「弟切草」とか「かまいたちの夜」みたいなゲームを、朗読の音声のみで楽しむようなゲームです。
プレーヤーは、スピーカーに、どのように行動するかを言葉で伝え、スピーカーは、その選択の結果を、朗読と効果音、音楽で表現する形でゲームが進みます。
ホラーっぽいゲームを、真っ暗な中で音声プレイすると、きっと楽しいのではないかと思います。

まあ、他にも色々ありうると思うのですが、こういうの、いかがでしょうかね。

2017年10月22日日曜日

衆院選の投票日に思ったこと

いくつか、思ったことを記録しておきたくて書いています。

0,投票と棄権の是非について
今回は、積極的に棄権をしようと訴える著名人がいたりして、棄権の是非について話題になりました。
SNSでは、棄権を批判する意見が散見されたように思います。
棄権はしてはいけない。投票は義務だ。

私は、そういう考え方に違和感があるのですね。
私、今は、合理的に考えた末の結論として毎回投票してますけど、昔は、やはり合理的に考えた末の結論として棄権を続けていたこともあります。
その頃の考えかたは、それはそれで間違っていなかったと思っています。
投票に行くことが絶対的に正しいと思っている人は、なかなか理解し難い考え方かもしれませんが、投票に行くことが絶対的に正しいかどうかは、自明ではないと思うのです。
大事なことは、その都度、自分で納得できるまで考えて判断することじゃないですかね。
で、自分の結論を、簡単に人に押し付けてはいけない。そう思っています。

投票しない人は、政治に文句を言ってはいけない、という人も多かった。
私は、そういう意見にも反対です。
代議制というのは、面倒なことを他人に任せる委託の一種です。散髪屋に散髪を頼んで、髪を切ってもらいながらゆっくり休んだり、タクシー運転手に運転を頼んで自分は酒を飲むとか言うのと同じことだと思っています。

専門家に頼んでなにか注文する時、客の意思表示がはっきりしない場合でも、それなりに普通に処理してくれるのが正しい姿です。そう考えると、投票しなくても結果に不満があれば言っても良いし、言うべきだと思うのです。

散髪屋で、「普通に適当に」なんて言っても、目が覚めたらモヒカンになってたら、文句を言うにきまっています。
「シェフのおまかせコース」を頼んでウンコが出てきたら、文句を言うにきまってます。
時価の寿司を頼んだ客にも、大体、常識的な請求してよい値段の相場感みたいなものがあるはずで、寿司屋は理不尽な値段を吹っ掛けていい訳ではないのです。

あたりまえのことですよね。

で、私は、特に意思表示がなくても、あるいは、おかしな意思表示があったとしても、少なくとも、このルールの通りにやりますよ、という話が憲法だと思っているわけです。
だから、憲法というのは、簡単に変えられないようになっている。
人によって解釈が違うかもしれませんが、これが、いまのところの、私の代議制民主主義の理解です。

1,期日前投票がこれだけ普及したのであれば、期日前投票を、普通の「投票」にしてはどうか?
これだけ、期日前投票が増えたんだから、もう、期日前投票は、いちいち期日前と言わないで、単に「投票」と呼んでも良いんじゃないかな?と思っています。
投票日当日のほうは、「千秋楽投票」とでも呼べばいい。


2,選挙を、もっと簡単なサンプリングによる世論調査に置き換えられないか?
これは、昔から思っています。
選挙というのは、私の考えでは、国勢調査のような、全数調査によるアンケートのようなものです。国民の意志を調べて国民の支持する政治家を選出するのが目的です。
であれば、もっと小規模なランダムサンプリング調査で、どの選挙区では、どの政治家が支持されているか、かなりの精度で調べることができるはずですなのですから、もっとローコストで簡単な方法で代替することが可能なはずです。
ランダムサンプリングで、「棄権しそうな人も含む全有権者」の傾向を調べることは容易ですから、投票率に関する面倒な問題も回避できます(むろん、ランダムにチョイスされた有権者に実際に投票所に来てもらう方法を取れば、「棄権しそうな人を除く有権者」の意見も調べることができるでしょう)。
そのほうが選挙よりもずっとローコストな方法だと思うのですが、どうでしょうか?

最近、政府の機能を人工知能に任せようなんて言っている人も出てきていますが、まずは、私としては、このような有権者の意見を推測するシステムを導入できるかどうかが、人工知能政府の導入の試金石になるのではないかと思っています。

3,立憲民主党の支持の広がりは、どれくらい本物か?

このエントリーを書いている時点では、まだ、投票が続いているのですが、どうも、枝野幸男氏が作った新党、立憲民主党が、かなりの支持を集めそうです。
この現象が、何を意味しているものか、私は、少し判断に迷っています。
できたばかりのこの政党は、どうみても計画的に作られたものではなく、予想外の政局の動きが生み出したものであり、おそらく、枝野氏自身、直前まで、新党を作る予定はなかったのではないかと思います。
このような急造の政党が急激に支持を集めているのは、単に、もう一つの新党に失望した人が流れ込んでいるだけの一過性の突風のようなものなのでしょうか。
それとも、多くの人が、潜在的に、ずっと、このようなポジションの政党を望んでいて、たまたま、偶然できた新党が、このニッチなポジションに命中したのでしょうか。
民進党よりもやや福祉重視で、やや左だけれど、共産党や社民党ほどではない、というポジションの政党は、ここしばらくは、ほとんどありませんでしたので(強いて言えば、少し前に一時期存在していた「日本未来の党」でしょうか)、このポジションを求める人は、ずっと自分のための政党がないと感じていたのかもしれません。
もし、この枝野新党が、ずっと求められていたニッチを埋めたということなのであれば、このポジションの支持者の規模は、どれくらいの大きさなんでしょうか?
二大政党の一翼を占める程度の大きさのあるニッチでしょうか?
そういうことが、すごく気になっています。

4,ネットで政治を語る人同士の汚い罵倒が減って、少しずつ相手の言うことを聞くようになってるような気がして少し嬉しい。
これは、私の観測範囲での印象です。
ネットで政治の議論をする人たちの間では、まあ、意見の違う人同士、汚い言葉で罵倒し合うのが、この数年、普通になっています。
とくに、大きな選挙の直前になると、その争いが激しくなります。
支持政党が違う人同士、相手のことをネトウヨだのパヨクだのと罵り合ったり、歴史問題について自分と見解の違う人を反日とか売国奴とか言う人がいたり、反原発論者と原発推進論者がお互いの悪口を言い合ったり、グローバルな自由市場を推進する人と、ローカルな昔からの産業秩序を守ろうとする人が、汚い言葉で相手を黙らせようとしたりします。
そして、そういう議論のときには、だいたい、お互いに相手の言うことを全然聞いていません。

さて、私のネット上での観測範囲での印象ですが、今回の選挙、ネット上での、そういう汚い言葉が急激に減っている印象があります。ひょっとしたら、これは、みんなが、反日だの、売国奴だの、守銭奴だの、ファシストだの、レイシストだの、そういうふうに罵倒し合うことに飽きてきているということなのかもしれません。

私には、支持政党の異なる友人がたくさんいますが、意見は違っても、ほとんどは、どのようにして日本を良くしていくか、どのようにしてみんなが幸せに暮らしていけるかを、それなりに真面目に考えている人ばかりです。
そして、どういう社会を理想だと思うか、という話をすると、多くの人は、伝統的な社会の良さもそこそこ残し、過激な格差もなく、そこそこ自由に商売でき、生活も自由で、民主的で、安全で、とまあ、かなり一致する社会像をイメージしています。ただ、どうやってそこにもっていくか(あるいは、それを維持するか)、という方法論についてだけ、ひとによって多少意見が違うだけという気がするのですね。外国政府の手先だとか、電力会社の走狗だとか、そういう人は、基本的にいないわけです。

であれば、私としては、それなりに一致できる話は話し合って、お互いに一致できる「真ん中」はどこなのか、丁寧に話し合ってほしいと思うわけです。

ひょっとしたら、そういうことができそうな雰囲気ができつつあるのかな、って言う気がしています。だとしたら嬉しいな、と思います。