2014年8月15日金曜日

分人によるリソース管理としての医療について

ここしばらくで、平野啓一郎さんの小説を読み返しています。

このひとの小説は、僕は、結構好きです。

好きな小説家の本を読むとき、たいていは、どの本を読んでも、その小説家らしい個性というか作風みたいなものを感じるものです。しかし、平野さんは、僕にとって、少し前まで、一作一作の作風がバラバラな印象の作家でした。どの本も、同じ小説家の小説とは思えないくらい、それぞれ、まるで作風が違う印象だったのです。
たぶん、生来、多芸というか、器用な人なんでしょう。長い間、自分に書ける小説の種類を試しているようにも見えました。

しかし、このしばらくで、彼の小説には、おそらく、これからも彼がずっと書き続けるだろうと思われるテーマがひとつ現れてきたように見えます。
それは、「人間の多面性」みたいなことです。

一人ひとりの人間には、それぞれ多様な側面があります。勤務先での彼と、家庭での彼、友人と付き合うときの彼、ネットで匿名で話している彼、それぞれ、少しずつ異なった性格の彼です。たとえば、家庭では、優しい父親だけれど、職場では厳しい上司で、普段の生活ではノンポリだけれど、ネットでは、ネトウヨまがいの活動をしている、なんて人は、僕達のまわりには、普通にいるわけです。こういう人をみると、僕達は、
「常識のある人かと思っていたけれど、ネットの活動をみると、『本当の彼』は、ネトウヨだったんだね。」
とか、あるいは、反対に、
「ネットでは、ああいうことを言っているけれど、普段の『本当の彼』は、こういう人だよね。」
といった具合に、そういう、彼の複数の側面のどれかを「本当の彼」だと考えてしまいがちですが、平野さんの考えでは、どの彼が、「本当の彼」というわけではないのです。どの彼も、それぞれ、「本当の彼」です。というか、そういう複数の人格の集合体が「個人」なのです。

彼は、そういう、「個人(individual)」の中にある、複数の人格のそれぞれを「分人(dividual)」と呼んでいます。 そういう人間の多様性を理解するために、人間の人格を表現する単位として、「個人」よりも小さい「個人をもう少し細かく分けた単位」が必要だと考えているからです。彼の考えでは、一人の人間の中には、「統一された人格」「本当の自己」のようなものがあるわけではなくて、それぞれの場面ごとにふさわしい「カスタマイズされた人格」がいくつも共存しているのです。

この分人という考え方は、一見、突飛な考え方ですが、よくよく考えてみると、個人という大きめの単位で人間を理解しようとするよりも、ずっと、 分人という、もう少し細かい単位で人間を理解しようとするほうが、様々な人間の問題を、より分かりやすく捉えることができるように思います。

最近、平野さんの小説を読み返しているのは、この、「分人」という考え方を思い出して、これは、医療とか、自己健康管理みたいなことに、非常に重要な考え方になるんじゃないかと思うようになったからです。

いくつか、考えていることを、箇条書きにして書いておこうと思います。

1,分人は、他の分人の行動をコントロールできない。
診察室で常々、感じていたことです。
仕事を持っているサラリーマンが受診するのは、しばしば、土日になります。
そういうサラリーマンの診察をしていて、彼の体調不良の理由の一つが、どうも、勤務先での行動にあるように思えることっていうのは、結構あります。
たとえば、極端に残業が多すぎたり、強いストレスを感じやすい職場環境であったり、勤務時間が不規則だったり、接待や、職場の同僚や上司とのつきあいでの、毎晩の飲酒の量が多すぎたり、そういうことが体調不良の原因であるように思えることっていうのは、多々あるわけです。
しかし、診察室で注意して、職場での行動や、職場の同僚との付き合いの上での行動に変化を与えることは、非常に難しいと思っています。注意しても、あまり聞いてもらえていないように感じることが多いのです。
もちろん、勤務時間を変更することや、仕事での得意先や上司との飲み会を断るのが難しいというのは、十二分に理解できます。しかし、仕事の終わった後にやっている、同僚と一緒のちょっとした飲酒などであっても、土日の診察室から彼の行動を変えるのは容易ではありません。それに比べれば、家庭での行動を少し変えてもらうことは、それほど難しくありません。
おそらく、多くのサラリーマンにとって、土日のプライベートの時間に会う相手から、仕事について(あるいは、仕事を一緒にしている同僚との行動について)口を出されることは、家庭での行動について注意されることに比べて、非常に不愉快なのです。また、多くの人は、プライベートの時間に会った人から注意されたことは、仕事中には、あまり、意識に上がらないのです。
逆もそうです。企業で産業医をやっていて、社員の体調不良について相談にのっていて、その社員の体調不良の原因が、家庭での過ごし方、たとえば、家族の介護による疲労や、自宅で食べる食事の内容、土曜日や日曜日の過ごし方に関係していると考えられることは、決して珍しくありません。そういう場合、こちらとしては、それを改善するためのなにがしかのアドバイスをするのですが、正直、それらのアドバイスは、あまり聞いてもらえていないように感じることが多いです。
おそらく、会社で会った人間から、家庭での行動についてアレコレ口に出されることは、多くの人にとって、あまり気持ちのいいものではないのです。また、その場では納得していても、家庭でのんびり休んでいる時には、会社で会った人間のことも、彼から言われたことも、あまり意識に上がらないのです。
こういうことは、常々感じていたのですが、この現象は、その人の、家庭での分人と職場での分人が違うのだと考えると、ずいぶんと簡単に整理できる気がします。人は、心の中に、いくつもの性格を抱えていて、状況に応じて複数の性格を使い分けているのです。ハードな仕事をしている人の場合、「仕事スイッチ」みたいなもののオンとオフを切り替えている人も多いかもしれません。そして、「仕事スイッチ」が入っているときは、「家庭スイッチ」が入っている時に起きたできごとは、あまり意識に上がってきませんし、逆に、「家庭スイッチ」が入っている時には、「仕事スイッチ」の時に起きたことは、あまり意識に上がってきません。
たぶん、そういうものなのです。

2,分人は複数であっても、体は一つである。
人間の行動が、たとえ、複数の分人によってコントロールされているのだとしても、 体は一つです。ですから、健康管理というのは、ことなる目標を掲げ、ことなる性格を持った、互いに大雑把な連絡しか取り合っていないことも多い、複数の主体による、「共有リソース」の管理です。
複数の事業を営む大きな会社が、一枚のバランスシートを共有しているのと、似たようなものです。

3,分人が多いと、行動変容は比較的困難だけれど、 「幸福度」は、安定する。
サラリーマンや学生など、家庭と勤務先や家庭と学校のように、複数のコミュニティに属し、複数の顔を持っている人は、したがって、なにか健康上の問題があって、それが、その人の行動や習慣に原因がある場合でも、中々、その人の生活全体にわたる行動の変化を起こすのは難しいことが多いように思います。それに比べて、定年後の方や、特に外での仕事をしていない専業主婦などは、生活全体の変化を起こしやすいように思います。
しかし、複数の事業を行っている会社が、単一の事業しかやっていない企業に比べて、業績が安定しやすいのと同様、複数のコミュニティに属して、複数の顔を持っている人は、「幸福感」を安定させやすいように思います。複数のコミュニティに属している人は、どこか一つで、大きなダメージを受けた場合、たとえば、会社の仕事で大きな失敗をしてしまったなどの場合でも、他のコミュニティ、たとえば、家庭であるとか、趣味の友人であるとか、での幸福感を支えに、なんとか立ち直ることができることが多いように思うのです。

4,軽症のうちは、「プロブレムリスト」は、分人ごとに作ったほうがよいかもしれない。
症状が重くなればともかく、軽い症状の場合は、「通勤中にだけ、つらい」とか、「夜遅く、自宅でのんびりしている時だけ、気になる」など、限られた場面でだけ症状を感じるということも多いように思います。土曜日のオフの時間に受診した人は、ある程度促さないと、会社で勤務中に困っている症状については、思い出せないことも多いです。逆に、会社で、従業員の面談している時には、オフの日に困っている症状については、多くの人は、意識に上がりにくいように思います。
そう考えますと、その症状が、どういう分人に起こったか、ということをきちんと記録しておくと良いかもしれません。また、将来、複数の医療機関での電子カルテのデータ共有が進んだ場合、その症状は、どこで、どういう局面で起こったか、だけでなく、その症状は、どこで、どういう局面で(どういう医療機関で)語られたか、も、重要な所見になるかもしれません。

5,PHRの見せる範囲と、影響を与えるべき行動の範囲は、関係する。
自分の健康管理のために、ユーザー自身が様々な身体データの記録を行うサービスやデバイスが、次々と登場しています。そういったサービスをPHR(Personal Health Record)と総称しています。PHRには、ユーザーが、自分の健康記録をSNSなどに投稿できるようになっているタイプのものも多くあります。
ここまで考えてきたことから考えると、この種のサービスの良し悪しは、その投稿が、どのようなコミュニティに対して、どのような名前で(実名なのか、匿名なのか、匿名ならば、どういうイメージの名前なのか)投稿するのかが、かなり重要なものになってくるのではないかと思います。

以上、現在、考えていることのまとめです。

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