2023年2月23日木曜日

2022年で読んで良かった本③ 「漢方概論」

 「漢方概論」

今年のはじめくらいに、私、不意に、伝統医学というのは人工知能と相性が良いんじゃないか、と思いあたったのです。伝統医学っていうのは、多くは、なぜ効果があるのか、はっきりしない多数の薬や治療法の組み合わせで治療を行うものですけれど、そういう、なぜ効果があるのかよくわからないブラックボックスをうまく扱うこととか、多数の相互作用をする因子をうまく調整することとかって、コンピュータの得意分野なんですね。
では、人工知能と一番相性が良さそうなロジックを使っている伝統医学の流派というか先生を探してみよう、と、思って、色んな本を読み漁った結果、たどり着いたのが、この本の著者、藤平健先生。
これは!と思って、ぜひ本人と会って、弟子入りさせてもらえるように、お願いしなくては、と思ったのですが、調べてみると、もう、20年以上も前にお亡くなりになっている人なんですね。残念。
私が無知で知らなかっただけで、なんか、日本の東洋医学の世界では、すごく有名な人だったみたいです。
というわけで、ちまちま、勉強しているところです。来年は、これと、人工知能とうまく組み合わせて面白いことできるといいなぁ。

2023年2月21日火曜日

2022年に読んでよかった本②「マニ教」

この記事は、2022年12月にFacebookに投稿した記事の転載です。


 「マニ教」

なんだか、テーブルトークRPGの設定に出てきそうな、やたら細かな設定がある宗教だな、というのが、読後の印象。おそらく、マニ教がそういう宗教である、というよりも、そういう語られ方をしやすい宗教である、ということなんだと思う。
おそらく、それは、マニ教は、すでに絶滅してしまった宗教だから、だろうと思う。
特定の宗教について書かれた研究書は、多くの場合、その宗教を信じている人自身によって書かれるか、その宗教を信じている人たちへの取材によって書かれるか、どちらかである。著者自身が信じている宗教について書くのであれば、当然、その宗教の価値観に否定的なことは書きにくいし、仮に、本人が信じていなくとも、信じている人たちへの取材によって書かれた本であれば、著作に協力した人たちへの配慮から、その信仰へのリスペクトが文の中に現れる。そういうものです。
だから、たとえば、仮に、その宗教の歴史の中で深く尊敬されている人物に、いかがわしい側面があったとしても、あけすけに、いかがわしいとは書かれないのが普通であるし、その宗教の経典に、他宗教からの大きな影響、さらにありていにいえば「盗作」と言いたくなるような部分があっても、それをあけすけには書かないのが普通である。
この本には、そういう忖度が全くない。
これは、おそらく、マニ教が、すでに滅んでしまった宗教だから、だと思う。この本が題材にするマニ教という宗教は、3世紀にマーニーによって創始され、遅くとも14世紀頃までには、信者がいなくなってしまった、既に滅んだ宗教なのである。
だから、著者は、もちろん、マニ教の信者ではないし、マニ教の信者に取材したわけでもない。忖度しなくてはならない教団も、現代社会には存在しない。
配慮は全く不要なのである。
また、この本には、マニ教を信じている人たちの内面に迫る話も、全くない。こういう儀式がある、こういう神話や教義がある、というだけで、なぜ、彼らがそれを信じたか、という、信じている人たちの気持ちがさっぱり書かれていない。教祖であるマーニーについても、多くの人を引き付ける神話的な物語を作った才能豊かなクリエイターとして描写される。奇跡や救済をもたらす聖者とか、人間の悩みに応える宗教家とか、そういう描き方はされないのである。
でも、これも、考えてみれば、当たり前のことで、マニ教の信者が、何百年も前に絶滅しているからだろう。おそらく、信者の心の中のドラマは、ほとんど記録に残っていないのである。
そういうわけで、この本に書かれたマニ教は、私が中学生や高校生の頃に結構流行った、少し昔のファンタジーRPGの設定に出てきたような神様や経典や儀式のごった煮みたいな薄っぺらさで、なぜ、信者が、それを信じているのか、よくわからない宗教なのだ。
でもね、この宗教が、千年ほど前には、キリスト教や仏教、イスラム教と並ぶ、世界宗教だったのだよ。民族を超えて、ものすごく沢山の人が、それを真実だと信じていたのだ。そして、それが、なぜ信じられたのか、千年後の我々には、わからなくなってしまっている。
それは、つまり、私達が今信じていることも、千年後には、なぜ昔の人(つまり私達)がそれを信じているのか、さっぱりわからず、薄っぺらになってしまっているかもしれない、ということなのじゃないでしょうかね。
なんか、そういうふうに不安になる本でした。

2022年に読んだ良かった本①「ピダハン」

この記事は、2022年の12月にFacebookに投稿した記事の転載です。


今年読んだ、良かった本のリストでも作ろうか。

1冊目。「ピダハン」

南アメリカのピダハン族の言語や生活についての記録。

著者は、言語学者で、キリスト教の教師。南アメリカの原住民の社会に入り、原住民にキリスト教を伝える仕事をしながら、原住民の言語について研究していた。そういう立場の人物による、アマゾン川上流に住むピダハンと言われる部族についての記録である。

このピダハン、我々から見ると、非常にユニークな言語を持っている。

たとえば、ピダハンの言葉には数詞がない。この人達は、基本的に、数を数えることがないのだ。彼らの言語には色の名前もない。方角(東西南北)を表す名詞もない。数や色、方角など、具体的に触れることができないものについて表現する名詞はない、という言語なのである。

ピダハンには、時刻や季節を表す単語もない。これは、ピダハンの住む熱帯雨林が、一日中薄暗い、昼も夜も区別がつかない森の中で、また、一年中、同じように温かい赤道近くであることが関係しているのかもしれない。そのため、ピダハンは、ごく短命であるにも関わらず、自分たち人間の寿命に関する知識もないし、お互いの年齢も知らないのである。

ピダハンの言語の文法には、再帰構文(「Aさんは学校に行ったとBさんが言った」というような、文の中に、別の文が入れ子になるような構文)がない。そのため、ピダハンは、お互いに、人から聞いた情報を伝えることが難しい。普通の言語では、伝聞の構文は、文が入れ子にできることを利用して作られているものだから。だから、基本的に、ピダハンが話すことができるのは、彼ら自身が自分の目で見たものだけである。特に、遠い過去のことについての伝聞情報、つまり、歴史とか神話のような、を伝えることは、ピダハンには、非常に難しい。そのため、ピダハンは、独自の神話を持たない。

ピダパンにキリスト教を伝えようとする主人公にとっては、この最後の問題が決定的な障害になった。ピダハンは、自分で直接見たことがない遠い過去の事件については語ることができない言語でコミュニケーションを取る。そういう人たちに、2000年前のイエス・キリストの話を説明するのは、非常に困難だったのである。

また、言語は、それを使う人達の思考に影響を与える。過去の歴史について語れない言語を持つピダハンは、イエス・キリストについて、たとえ、何かを聞いたとしても、興味をもつことができないのである。

このピダハンについての記録は、言語学の世界に衝撃を与えた。当時、言語学の世界の最大の権威であったチョムスキーが、すべての言語には再帰構造があるはずだ、と主張しており、多くの言語学者は、それを疑っていなかったからである。

一方、言語学の世界には大きな影響を与えた著者であるが、本人は、アマゾンの上流で苦悩を続けた。キリスト教の教義を説明できない言語がある、ということを見せつけられた彼は、彼自身の血肉であったキリスト教の教えの普遍性を信じられなくなっていくのである。しかも、彼の目の前にいるキリスト教を理解できないピダハンは、彼には、悩みなく、幸せに見える人たちなのである。彼は、ピダハンの悩みのなさを、ピダハンが、今ここにあるもの以外を表現できない言語を使っていることと関連付けて考えている。今ここにあるもの以外を表現できない人たちは、未来のことを不安に感じたり、過去のことを悔やんだり、今ここにない物事によって悩むことはできない、というのである。

本の最後で、彼は、悩んだ挙げ句、キリスト教の信仰を棄てる。その結果、彼自身と同じように熱心なキリスト教徒であった彼の家族とは、絶縁してしまう。

今年読んだ一番すごい本である。


ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観 ダニエル・L・エヴェレット (著), 屋代 通子 (翻訳)


薬効のある植物は、なぜ、薬効があるのか?

これは、2022年11月に、Facebookに投稿した記事の転載です。


植物は、自身に危険が迫っているときに、それを察知して、様々の反応する。特に、大きな危険があるときには、多くの植物は、新しい芽を出したり枝を作ったりということを一旦止めて、眼の前の危険に対応しようとするらしい。当然、そういう危険の情報を植物の全身の細胞に伝えるための、植物のホルモンのようなものがある。で、コーヒーという植物は、それをハックしているらしい。

コーヒーの実は、多くの植物が危険を感じたときに放出するホルモンににた成分を、大量に含んでいるらしいのだ。そのため、コーヒーの木が、実を落とすと、その周辺の、他の植物のタネは、危険があるものと誤認し、発芽を、いったん延期する。その結果、コーヒーのタネは、周囲の他の植物が芽を生やさないうちに、自分だけ発芽し、太陽光を独り占めし、大きく成長できる。

我々は、その、危険を知らせる植物ホルモンに似た成分を、「カフェイン」と呼んでいる。我々は、そのコーヒーの実を炒って、その抽出液をお湯で薄めて飲んで、我々の神経を覚醒させる効果を楽しんでいる。

植物が、危険の際に放出するホルモンと、人間の交感神経を刺激する成分が、お互いに非常に似通っているらしい、ということの不思議さも面白いが、ここで、当たり前に気づくことは、コーヒーがカフェインを作ることは、本来は、コーヒー好きの人間のためではなくて、コーヒー自身が、成長し、子孫を残し、繁栄するための戦略の中で、必要なものである、ということである。

コーヒー以外にも、人間や動物の体に強い影響を与える物質を作る植物は、たくさんある。そういう植物は、たいていは、植物自身にとって、そういう物質を作ることのメリットが大きいから、そうしているのだと思う。

唐辛子の実は辛い。唐辛子はカプサイシンという成分を含んでいるからである。ほとんどの哺乳動物は、だから、唐辛子を食べることを避ける。哺乳動物は、カプサイシンが粘膜に触れると、痛みや熱に似た刺激を感じるからである。しかし、鳥類は、カプサイシンでそういう刺激を感じないらしい。だから、鳥は、唐辛子を食べる。唐辛子は、そうして、鳥にだけ食べられる。鳥は、空を飛ぶから、哺乳動物よりも行動範囲が大きい。そうして、鳥は、哺乳動物よりも広い範囲に糞を落とす。唐辛子は、鳥の専用の食品になることで、他の類縁植物よりも、より遠くに、鳥の糞に混ざってタネをバラまくことができる。カプサイシンは、唐辛子の繁殖のための戦略なのであり、別に、唐辛子は、人間の食卓を豊かにするためにカプサイシンを作っているわけではないのだ。

彼岸花の根は、毒を持つ。だから、ネズミやモグラなどの地中の小動物は、彼岸花を植えてあるところには、穴を掘らない。墓の近くに彼岸花を植えるのは、昔、土葬が普通だった時代、そういう小動物が遺体をかじって、墓の近くで繁殖することを防ぐための工夫であった。もちろん、彼岸花は、人間の墓を守るために毒を作るわけではない。彼岸花は、夏までに葉をつけ、光合成し、その栄養で、秋に花をつける植物である。秋に花をつける頃には、彼岸花には葉はないのだ。つまり、光合成する時期と、花をつけて繁殖する時期に、明確な時間差がある植物なのである。その時間差の間、栄養は、彼岸花の根茎に蓄えられる。繁殖のための栄養を蓄えた根茎を地中の小動物や昆虫から守るのは、彼らにとっては死活問題なのだ。そのための毒である。

さて、病気や怪我の治療に使える効果を持つ成分をつくる植物は、たくさんある。「薬草」なんて呼ばれる。おそらく、こういった薬草が、薬として利用できる成分をつくるのは、本来は、人間の医療に役立つためではないはずである。植物は、その植物自身が繁殖し成長するために、なにかメリットがあるから、薬を作っているはずだ、と思う。

麻黄という薬草がある。エフェドリンという成分を含み、それを服用した人間の心拍数を増やし、気管支を拡張し、発汗を促す。その性質を利用して、喘息の薬などに使われる。

あるいは、桂皮(桂枝、シナモン)という植物がある。血行を促進し、体温を上げ、発汗を促す効果がある。それを利用して、感冒の薬などに使われる。

「こういう薬用植物は、どういう生存戦略で、こんな成分を作っているのでしょうか?」「こういう薬用植物が繁殖するために、薬の成分を作ることは、どういうメリットがあるのでしょうか?」と、最近、色んな人に意見を聞いてみたのだけれど、みんな、そんなこと考えたこともない。という。文献も探してみたが、見つかった範囲では、そんなことを書いている人は、どうもいないらしい。

でも、薬を作ることは、植物自身にとっても、かなりコストがかかることのはずなのだ。であれば、植物自身にとっても、そのコストに見合うメリットがあるはずだ、と思う。

だれか、そういう事を考えている人、いないでしょうか?

2022年6月23日木曜日

linux on vbox on winをアップデートしたときに、重たいと感じたらすること

ずっと、lubuntuをvbox on win上で開発環境として使っています。

メインの開発環境以外は、直接ハードウェア上にインストールしたubuntuですが、メインだけは、vbox上です。

vboxなのは、手軽なのと、あと、開発環境がポータブルだと、やっぱり別のマシン上に移動するときに便利だからです。

で、最近、lubuntuを18から一気に22にアップデートしました。急に重たくなった。で、色々やったのですが、まあ、たぶん、次にアップデートするときにも、同じようなことをやるんだろうなぁ、と思うので、色々試したことを書いておきます。

書いてみると、結局、当たり前のことばかりですね。


1, 余計なサービスが動いていないか確認。

2, guest側window system で不要な設定がされていないか確認。

3, guest側の背景画像をなくして、背景は一色にすること。

4, guest側のディスプレイの設定、グラフィックコントローラの設定の確認。

5, guestに割り当てるメモリを増やす。


あと、おそらく、次は、lubuntuはないかなぁ、と思っています。だんだん、私が、最新のパッケージの機能を必要としなくなっているので、ubuntuの新しいパッケージに付いていくのがしんどいんですよ。自分で書いているスクリプトのたぐいを、いろいろ、最新の環境に合わせて書き換えなきゃならないの、大変ですからね。次からは、debianかねぇ。

2022年3月13日日曜日

ウクライナ危機について、今、思っていること

 2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。

この記事を書いている現在も、ロシア軍が、ウクライナの首都のキエフに迫っています。

この記事は、その状況下で、戦乱から遠く離れた東京で、私が考えていたことの記録です。一部、未来予測的な部分を含むので、あとから見直すことができると有意義だと思って、記事にして残しておくものです(最近、その時々にあたりまえのように考えていたことを記録に残しておくと、非常に良いと思うようになりました。自分の立場や健康状態などによって、あたりまえだ、当然だと思っていることは、大きく変わっていくからです。)

想定読者は、数年後の私ですから、ここに書いてあることに反論がある人がいらっしゃっても、特に議論するつもりはありません。私は、この分野には、素人ですから、まあ、間違ったことも書いていると思うのですが、それもまた、未来の自分に読ませるためです。

1,この戦争は、非常に珍しい戦争である。
たぶん、私は、子供の頃に聞いたのと思いますが、「マクドナルドが出店している国同士は、戦争はしない」という言い回しがありました。出典は知りません。実際、これまで、マクドナルドが出店している国同士で戦争が起こったことがあるかどうかも知りません。おそらく、この言葉の意味は、十分に国際経済の一部になった国同士は戦争しない、という程度の意味でしょう。十分に国際経済から恩恵を受けている国同士は、戦争で得るものよりも失うもののほうが多い。だから、戦争しない。そういうことだと思います。

ところが、今回起こっているのは、マクドナルドがある国同士の戦争です。ロシアにもウクライナにもたくさんのマクドナルドがあります。今回、我々は、そういう、グローバル経済の一部であるような、しかも、それなりに大きな国同士が戦争すると、どうなるか、を、見せられているわけです。

2,経済制裁等が思ったより効いている。
ウクライナは、NATO諸国に助けを求めています。しかし、NATO諸国も、その同盟国も、直接に軍隊を派遣するような支援はしていません。経済制裁と、武器供与だけです。ところが、思った以上に、この経済制裁や武器供与が効いている。ウクライナに入ったロシア軍は思った以上に苦戦していますし、制裁を受けたロシア経済は破綻寸前で、おそらく、それほど長く戦争を続ける力は残っていません。

経済制裁が効いているのは、これは、これまで以上に世界経済が一体化している、いわゆるグローバル化が進んでいること、また、武器供与が効いているのは、戦争が、これまで以上にハイテク兵器に頼るようになってきたこと、が理由でしょう。

ここ十数年で、世界の多くの国が、これまで以上に、諸外国との貿易や国際投資の恩恵を受けるようになりました。その結果、グローバル経済から切り離されることは、これまで以上に高くつくようになったのです。その結果、経済制裁は、より強く効くようになった。よく、「経済制裁だけで防げた侵略はない」という言い方がなされますが、今回は、その、初めての反例になるかもしれません。

3,ウクライナの宣伝がうまい。
事前に思っていたよりも遥かに、ウクライナの宣伝戦というか情報戦は、旨いと思います。対して、ロシアは、あまりうまくない。このあたりは、近い将来、いろんな分野の宣伝の、ひとつのモデルケースになるのではないでしょうか。

4,このあとどうなるか(1)
3月13日現在、私は、もう、ロシアは、勝てないだろうと思っています。仮に、キエフが陥落しウクライナが負けても、ロシアは、ごく一部のロシア人居住地域を覗いて、ウクライナを占領できないでしょう。なにより、当面、厳しい経済制裁は解除される見込みはありません。経済制裁が解除されなければ、ロシアは、どんどん貧乏な国になっていきます。ロシアは、今や、韓国よりもGDPの小さな国です。これが、北朝鮮よりもGDPの小さな国になれば、おそらく、NATO諸国の安全保障は、いまよりもずっと簡単になります。おそらく、そのあたりが落とし所になるのではないでしょうか。

グローバル経済が発達した時代において、経済的エンガチョは、爆弾よりもパワフルな攻撃力を持つ兵器なのです。

西欧にとっての脅威になりえないくらい程度の弱小貧困国になったロシアが、ウクライナから撤退し、周辺諸国に作った、いくつもの自称「共和国」への支援をすべて解除し、制裁を解除してもらう。そういうふうになる可能性が高いんじゃないかな、と思っています。

5,このあとどうなるか(2)
経済制裁だけで、侵攻を止め、一つの大国を無力化できることができるという前例ができれば、おそらく、欧米の次のターゲットになるのは、中国です。

口実は、たぶん、いくらでもありえるでしょう。ウイグル問題でも、チベット問題でも、なんでもいい。中国の人権侵害や侵略と感じられる問題に対して、経済制裁が行われる。おそらく、中国は、理不尽だと感じるでしょう。私の知る限り、多くの中国人は、チベットもウイグルも、中国の一部だと本気で信じていますから。しかし、中国の信念は、制裁を解除する理由にはなりえません。制裁する国々に通じる論理で正当性を説明できない限り、制裁は解除されないからです。

もちろん、ひょっとしたら、こんな制裁は、起こらないかもしれません。しかし、将来、経済制裁を受けるかもしれないという可能性だけで、資本は、中国を避けるようになるでしょう。そうなれば、中国の経済成長は、今後は、これまでよりも難しくなるのではないでしょうか。

6,「ならず者国家」を排除したら、世界は平和になるのか。
ならないでしょう。おそらく、中露が弱体化すれば、欧米諸国同士の醜い争いが起こるようになるだけです。


追記。
個人的には、この投稿で予想したようになればよいな、とも思っています。ですので、予想だけでなく希望も入っています。武力介入せずに、経済制裁だけで大きな戦争を封じ込められるなら、また、それで、自由で民主的な国家群を守ることができるなら、完全に平和ではなくても、それで充分です。

2021年4月23日金曜日

ビザンチン将軍問題は、オスマン将軍問題に改名したほうがいい気がします

 ビザンチン将軍問題は、オスマン将軍問題に改名したほうがいい気がします、という話。長いよ。

計算機科学の分野の問題の一つに、「ビザンチン将軍問題」というのが、あるのです(リンクは、Wikipediaです。)
初めて、私が読んだ専門書では、この問題は、こんな感じの説明でした。
「ビザンチン帝国の軍隊が、とある敵国の都市を包囲している。包囲しているビザンチン帝国軍は、n個の軍団によって構成されていて、各軍団は、それぞれ、1人の将軍によって率いられている。帝国軍は、包囲している都市の攻撃を続行するか、それとも、撤退するか、を決めなくてはならない。もし、帝国軍全体で協力しあって攻撃したら、敵の都市を攻め落とすことができる。また、帝国軍全体で、協力しあって撤退作戦を行えば、犠牲を出さずに撤退することができる。ただし、一部の軍団だけが攻撃を続行し、残りの軍団が撤退しようとする、というようなことになれば、帝国軍は、敵に打撃も与えられず、被害だけを出し、戦争は敗北することになる。将軍たちは、攻撃か、撤退か、軍の全体の統一した方針を決めなくてはならない。無事に、全体で攻撃か撤退か、全軍で統一した行動が取れれば、将軍たちの勝ち、統一した行動を取れない軍団が出てくれば、将軍たちの負け、である。
ただし、問題点が2つある。
1,各将軍は、それぞれの率いる軍団を離れることはできない。したがって、全員で一箇所で会って話し合うのではなくて、お互いに手紙を出し合うことで、合意に至らなくてはならない。
2,将軍たちの中には、裏切り者がいる。裏切り者の将軍は、全体の統一した意思決定を妨害しようとするために、他の将軍に嘘の手紙を書くことがある。」
もちろん、計算機学者は、別段、ビザンチンの将軍の歴史の話に興味があるわけではありません。これは、コンピュータネットワークで、一部のコンピュータに故障が発生した場合にも、コンピュータネットワーク全体が、正常に動作を続けられるようにするにはどうしたらいいか、ということを考えるために、レスリー・ランポートという計算機学者が考えた例なのです。この例題の中の裏切り者の将軍は、故障したコンピュータの比喩で、また、例の中のビザンチン帝国軍は、ネットワーク全体の比喩なのです。計算機科学の世界には、このビザンチン将軍問題を解決するためのさまざまなアイデアがあります。
さて、この話を読んでから、ずっと疑問に思ってきたことがあるのです。それは、「ビザンチン将軍問題」に相当するような、ランポートの元ネタになるような戦争は、歴史上、どこかにあったのだろうか、ということでした。
複数の軍団が、お互いに会うこともできないほどの距離に布陣しないと包囲できないような都市、となると、かなり巨大な都市のはずです。ウィーンとか、ローマとか、おそらく、かなり大きな、つまり、現在でも有名な都市、でしょう。そんな巨大な都市を、ビザンチン帝国軍が包囲して、しかも、裏切り者がいて、そういう戦争というのは、歴史上、どこかであったのでしょうか?
先日、ネットフリックスの歴史ドキュメンタリー「オスマン帝国」を見ました。オスマン皇帝のメフメトの軍隊がコンスタンチノープルを陥落させる15世紀の戦いを描いたドキュメンタリーです。
皇帝に即位したばかりころ、メフメトの政権の基盤は弱く、メフメトは、自分の地位を守るためにも、自分が先代よりも優れた皇帝であることを周囲に示す必要がありました。メフメトは、そのために、コンスタンチノープル攻略を計画するのです。しかし、コンスタンチノープルは難攻不落の城塞です。この戦争が、若い皇帝の功名心からでた、成功の可能性が低い侵略だとみた大臣は、戦争に反対します。オスマン帝国では、メフメトの始めた戦争を支持する声は主流ではなかったのです。そういう中で、忠誠心の曖昧な軍を率いて、メフメトはコンスタンチノープルを包囲します。
包囲はしたものの、コンスタンチノープルは巨大な都です。包囲するオスマン軍の各軍団は、都の周囲の大きな湾や森、砦などに遮られ、お互いの連絡も十分に取れなくなります。そんな中、オスマン軍よりも遥かに小規模な軍隊でコンスタンチノープルを守るビザンチン皇帝は、オスマン軍にスパイを送り込み、調略によって逆転しようと試みます。オスマン軍の中には、本当か嘘かわからない情報が飛び交い、イスラム教徒からコンスタンチノープルを守るためにローマ法王が援軍を派遣したという噂が流れます。その一方で、オスマン帝国に新兵器を売り込もうとするキリスト教徒の発明家たちも現れます。むろん、信用できるものかはわかりません。そんな中、メフメトは、奇抜は作戦を秘密裏に進め、成功して、コンスタンチノープルを陥落させるのです。そして、勝利したメフメトは、戦争中に裏切った家臣たちを処刑し、自身の政権基盤を確固たるものにします。
さて、このコンスタンチノープルを包囲しているオスマン軍の様子、「ビザンチン将軍問題」に出てくるビザンチン軍に、似てませんか?
でね、思いついて、調べてみたんですよ。
この、「ビザンチン将軍問題」の元ネタは、「どこかの国の都市を包囲したビザンチン帝国の将軍たち」ではなくて、「ビザンチン帝国の首都であるコンスタンチノープルを包囲したオスマン帝国の将軍たち」だったのではないかと。それを、誰かが誤解して、ビザンチン帝国の将軍の話みたいに思って、いつの間にか、そっちの誤解が広がっちゃったんじゃないか(上でリンクしたwikipediaもビザンチン帝国の将軍の話として書いています)、って。まだ、ランポートの原著には当たれていないんですが、調べてみると、「ビザンチンを包囲するオスマンの将軍」の話として書いている本も、多いみたいなんですよね。

富山の四谷川

ふと思い出した話。長いよ。
小学生の頃、富山市の、割と中心部に住んでいたことがある。住んでいたところの近くには、四谷川(よつやがわ)、という小さな川が流れていた。
川は、細いところでは、助走をつければ飛び越せそうな程度の、小さなものだった。周囲の田んぼの排水は、だいたい、この川に流れ込んでおり、私の両親は、周囲の田んぼの水のための用水路だと思っていた。
実際、この川は、用水路のような感じというか、人工的な印象を与える川だったのである。川は、富山平野の中心部の、ほとんど水平な土地を流れていた。地面が水平なのに流れるのは、川が、深い溝の底を流れており、その溝が、川下ほど深くなるように掘られているからだった。また、川の流れる溝は、ほとんどのところで道に沿って真っ直ぐに流れ、ときどき、ほとんど直角に曲がっているのだった。つまり、どうみても自然な川には見えない、小さな川だったのである。
私が、この川が、見た目に反して、実は、ただの小さな川ではないと知ったのは、小学校の図書館でのことだった。図書館には、地域の郷土史の本がいっぱいあり、その中に、この四谷川が、昔は、もっとずっと大きな川だったと書かれていたものがあったのだ。
室町時代には、四谷川は、芋田川と呼ばれていたそうだ。当時の芋田川は、簡単には越えられない太い川で、富山城の南側の防壁の役割を担っていた。前田利家や佐々成政が率いる織田軍団が富山を征服した頃には、川の防衛上の機能を高めるために、川の北岸に沿って土の壁が作られ、また、川と壁を見張るために、川沿いに芋田城という小さな城が作られていたという。芋田城は、富山城の南を守る出城で屋形のような小さな城であった。場所は、今の中央保健福祉センター、少し前まで、星井町小学校があったところの近くだったという。
やがて、慶長の一国一城令により、芋田城は壊され、その代わりに、芋田川を見張るための小さな侍屋敷がいくつか作られた。侍屋敷は、時代によって増えたり減ったりしたようだが、最終的には4つに落ち着き、4つの侍屋敷が並ぶ芋田川は、四ツ家川、と呼ばれるようになった。やがて、周囲の住民は、昔、そこに屋敷があったことを忘れ、四ツ家川は四谷川と書かれるようになっていった。
当時、日本史、特に戦国期の歴史にハマっていた小学生の私は、この、自分の住んでいる近くに戦国の城があったという話に興奮した。しかし、それ以上に気になったのは、もし、四谷川が、昔、もっと大きな川だったとしたら、その水は、どこから流れてきて、どこに流れていたのか、ということだった。
川を流れる水は、山にふった雪や雨である。雪や雨の降る量は、この四百年でそう変わってはいないだろう。であれば、四百年前に、この川を流れる水が今より多かったのであれば、この四百年で川に流れ込む水の減った分と同じだけの水が、今は、上流のどこかから、別の川に流れ込んでいるはずなのだ。また、四百年前に、この川を、もっと多くの水が流れていたとしたならば、この川の下流、つまり、富山市の中心部に、大きな川の水の流れ込む、今はない大きな池なり川なり、があったはずなのだ。それは、どこだ?それが知りたくて、小学生の私は、四谷川の下流と上流の「探検」にでかけた。
下流については、その日のうちに謎が解けた記憶がある。四谷川を川下にたどると、子供の足でも20分くらいで、冷川(つめたがわ)という、四谷川より少し太い川と合流するところにでる。南部中学のちょっと北あたりである。その先は、川の名前が変わって、松川(まつかわ)となる。
松川については、小学校の授業で知っていた。昔の神通川である。神通川は、昔、富山市の中心部を蛇行して流れていた。その神通川の氾濫が頻繁なため、明治期に河川改修が行われた。その河川改修で、郊外に、新しい直線的な神通川が作られた。そして、それ以前に蛇行した神通川が流れていたところは、大部分が埋め立てられ、一部が、松川となった。この神通川改修と松川の由来の話は、富山市民にはよく知られている。そのため、松川には神通川の水が流れていると思っている人も多いが、実は、今の松川を流れているのは、四谷川と冷川の水である。いずれにせよ、いま、四谷川が松川に流れ込んでいるのであれば、昔の四谷川は、一級河川である神通川に流れ込んでいたはずなのだ。大きな川だった時代の四谷川の水の行き先は、これで、解決である。
上流の方は、なかなかわからなかった。四谷川の上流は、小学生の足では、少し遠すぎたのだ。わかったのは、中学1年生の夏である。自転車で、四谷川の上流をたどって、いくつもの用水を乗り換えながら行くと、上滝のあたりで、常願寺川に到達するのである。つまり、四谷川は、常願寺川の別れたものである。おそらく、四谷川の水量の減った分は、それよりも遥かに大きな川である一級河川の常願寺川に流れているのであろう。いつ頃、常願寺川から四谷川に流れ込む水量が変わったものか、よくわからない。ただ、四谷川の源流である常西用水が常願寺川から分かれるところには、佐々堤がある。佐々成政が作った堤防である。おそらく、四谷川の水量が減るのは、佐々成政が、ここに堤防を築いたよりも後であろうとおもっている。
さて、四谷川は、常願寺川から流れ出し松川に流れ込む、で、だいたいの話はおしまいなのだが、いまだに、よくわかっていないことがある。それは、最初に書いたとおり、四谷川の流路が、妙に人工的なことだ。四谷川も、また、四谷川と同じように常願寺川から分かれ、富山市内を流れて松川と合流する、いたち川も、どちらも、妙に深い溝を通っているところが多く、また、妙にまっすぐで、妙に直角に近い曲がり方をするところが多いのである。また、昔の富山の城下町を防御するのにも、田んぼの灌漑にも、自然の川にしては都合が良いところを流れすぎているのである。なんだか、やっぱり、誰かがつくったみたいではないか。四谷川も、いたち川も、前田利家や佐々成政が来た頃には、もう、今の流路であったというから、おそらく、それよりも前の時代に、誰かが川筋を今の場所にしたのだろうと思う。一体いつの時代のことか、誰が、工事したのか、おとなになった後も、何度か調べたのだけれど、いまだにわからないのである。

2020年12月28日月曜日

2020年に買ったもので良かったもの(かもしれないもの)

 みなさん、ごきげんよう。

「2020年に買ったもので良かったもの」みたいなエントリーをあちこちで見て、ああ、買い物を通じて今年一年を振り返るというのもいいかなぁ、と思いましたので、それで、今年買ったもののなかで、いろんなひとにおすすめしたいものを並べる記事を書いてみようとおもったのです。

なんですけれど、私、あんまり、記事にしたくなるような良いもの、買っていないんですね。一番、おすすめしたいものは、無料のものだったりして。

というわけで、あまりおすすめしたい買い物でもないのですけれど、ダラダラと書いてみます。


1,スマホ版のCollabora Office
LibreOfficeベースのスマホやタブレット用のオフィススイートです。Android版とiOS版があます。無料ですので、買ったものじゃないんだけれど。ですが、たぶん、パソコンでオフィススイートを使うような作業をスマホやタブレットでやるなら、一番オススメです。


2,f-Droid
少し前まで、私は、スマホ用のメールソフト兼TODOリストとして、Googleのinboxを使っていたんです。非常に便利でした。なんですけれど、googleは、突然、inboxの提供を打ち切ってしまって、それ以降、ずっと、TODOリストの管理に困っています。それで、スマホで使うアプリやサービスが極端に固定化して、特定の製品に依存しすぎるようになるのは、避けなければならないな、と痛感したのです。スマホは、パソコンよりもはるかに、普通の生活の中に深く入り込んで使われるデバイスなので、依存しすぎた製品が突然なくなると、ダメージ大きいのですね。

というわけで、最近、これを導入しました。Android用のアプリケーションストアでして。まあ、Google Playみたいなもんです。なのですが、提供しているアプリがオープンソースのアプリに限られている、という、そういうアプリストアです。これなら、万一、アプリの提供が止まっても、自分でコンパイルすれば良いわけですね。いいんじゃないかな、と思っています。

まあ、無料なので、買ったものじゃないんですが。


3,グリッペン
3番目で、やっと、買ったものです。200~300円と、安いですが。これは、何かというと、鉛筆の補助軸です。ただ、少し変わっているのは、差し込んだ鉛筆をネジのように回転させて使いたい長さに細かく調節できる、という機能がついたものです。これが、案外、使い勝手がいいのです。鉛筆補助軸みたいな古くからあるジャンルに、進歩がありうるとは思っていませんでした。

これを使うまで、鉛筆の補助軸というのは、短い鉛筆を延長してつかうものだと思っていたのですが、補助軸の長さをこれだけ手軽に細かく調節できるとなると、単に延長するだけでなくて、鉛筆の長さを自分の手にあった長さに調節するために使うものに変わってくるのですね。

難点は、補助軸なので、鉛筆が短くないと使えないということでして。私は、これを使うようになってから、長い鉛筆よりも短い鉛筆のほうが便利と思うようになりました。


4,ノートパソコンスタンド
テレワークが増えて、自宅でのノートパソコンを使った作業が増えたころから、頭痛や首の痛みが強くなりまして、その対策として買いました。

テレワークが始まってから首が痛くなるという人が多いのですが、私の見ている範囲では、多くは、仕事中に猫背になるせいなのですね。テレワークと言っても、多くの人は、自宅に、オフィスのような大きなデスクを持っているわけではありません。たいていは、デスクより背の低い座卓や、食事用のテーブルの上で、オフィスで使うよりも小さなノートパソコンをおいて小さなディスプレイを覗き込みながら使っています。それで、猫背になって、首の後の筋肉が緊張するのです。

少しディスプレイを高くすれば、たいていは、改善します。というわけで、これは、おすすめです。

5,Matobuy 空気測定器
これは、訪問している事業所で使うために買ったものです。炭酸ガス、ホルムアルデヒト、PM2.5などの濃度を測定することができます。コロナ禍で、各事業所での換気の程度を測定するために炭酸ガス濃度を確認したくて買いました。

同種の機械のなかで、アマゾンで一番安かったので買いました。測定精度がどれくらいなのかは、よくわかりません。まあ、でも、事業所で使うと、働いている人たちに換気の重要性をわかってもらいやすいです。これは、良いものをかったかな、と思っています。


あとで、追加するかもしれませんが、とりあえず、こんな感じです。あんまり、紹介できるようなものは買ってませんね。そもそも、買い物に興味がないからかもしれません。


それでは、みなさん、ごきげんよう。

2020年4月26日日曜日

テレワークでの健康上の問題について

みなさん、ごきげんよう

今日は、テレワークの健康上の問題について、話したいな、と思います。

みなさんご存知のように、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、十分な準備なくテレワークが行われるケースが増えています。そのため、テレワークに伴って、様々な健康上の問題が起こってきています。そこで、今日は、テレワークで起こりやすくなりそうな健康問題、それから、その対策、についてお話しようと思います。

ここしばらく、テレワークを導入した会社で、社員の健康相談に応じてきて、ざっとみて、以下のような問題が起こっていると思っています。

1、各自の自宅で、適切な大きさの事務用デスクが準備できない。また、小さなノートパソコンで作業せざるを得ない。そのため、適切な作業姿勢がとりにくい。
これは、主に、肩や腰の痛みの原因になります。特に、住宅環境がそれほど良くない都市部では、自宅に自分の仕事用のデスクを持っていない人は、結構います。そうなると、小さな座卓や食事用のテーブルなどで仕事をするわけです。食事用のテーブルは、事務用デスクよりも少し低めに作られていますので、食事用のテーブルで作業しますと、どうしても、やや猫背気味になります。また、小さなノートパソコンを使わなくてはならないことも、この傾向を強めます。かといって、今から、テレワーク用の机やパソコンを買い足すことは非現実的です。
私がおすすめしているのは、とりあえず、パソコンのディスプレイの高さだけでも調節することです。パソコンのディスプレイを、猫背にならない状態で目線の高さよりもやや低くなるくらいの場所に調整しましょう。ディスプレイが横置きの人であれば、ディスプレイの上の辺の高さが、概ね、目線の高さと同じくらいになるように調節するのが良いと思います。ノートパソコンの場合は、そこまで高くすることは難しいですが、何かの台に乗せるなどして、少しでも高さを稼ぐと、多少、猫背は軽くなります。

2,作業に適切な明るさでない照明。
多くの家庭用の照明は、オフィスよりもやや暗く設定されています。ですから、ときどき、事務作業をするには照明が暗すぎる部屋でテレワークしている人がいるのです。これは、目の疲れの原因になります。これについては、デスクライトを用意することをおすすめします。

3,騒音、気温、湿度などの問題。
4,老人や子供などと同居しているスペースで仕事をしていることや、その世話のために仕事が中断されることによる集中困難。
この2つは、正直、簡単な解決方法がありません。各自の家で、家族で話し合って、解決方法を考えてください。

5,労働時間管理の困難。
テレワークになると労働時間が長くなる人、というのは、話を聞いていますと、ときどきいるようです。そういう人は、ときどき、意識して休憩をいれるようにしましょう。
簡単なストレッチなどをすると良いかと思います。
また、会社は、テレワークであっても、労働基準法や労働安全衛生法の労働時間の基準は適用されることを忘れないようにしてください。会社での仕事と同じく、一定以上の労働時間になれば、長時間労働として扱う必要があります。

6,運動不足。
自宅でできる簡単な運動、ググってみてください。結構たくさん引っかかりますよ。いろいろ試してみましょう。

それでは、みなさん、おげんきで。
ごきげんよう。

2019年7月19日金曜日

宗教家としての山本太郎(あるいは、スピリチュアル政党としてのれいわ新選組)

もうすぐ、参議院選挙です。
ここしばらく、私、山本太郎をウォッチしていました。
このエントリーは、そのウォッチの記録、選挙直前、私が彼を見て何を思っていたか、の記録です。あらかじめ、書いておきますが、山本を強く支持する人や、反対に、彼を強く批判している人は、このエントリーを読んで、不快になるかもしれません。

私が山本をウォッチし始めたのは、最初は、彼の政策への関心からだったのです。
ほう、日本にも、MMTをベースにした左派新党が登場したか。消費税を批判し、貧困層の救済を主張し、その財源として、大規模な国債発行を主張する。それなら、まさに日本のサンダースだな、と。そう思って見ていたのです。

しかし、見ているうちに、どうも、こいつはサンダースではない。それどころか、左翼ですらない。左翼系の学者たちをブレーンにつけているそうだけれど、どうも、この人は、左翼とか右翼とか、そういうポジションとはちょっとズレている。そう思うようになりました。

山本太郎は、一度、天皇に直訴したこともあるように、かなりの「尊王家」です。そう認識した上で話を聞くと、彼のスピーチは、かなり、普通の左翼とは違います。

日本では、左右対立の最大の争点の一つは、憲法であり、安保でした。
今回の選挙でも、憲法改正派が3分の2を維持できるかが一つのポイントになっています。しかし、山本は、この選挙戦の間、ほとんど、安保についても憲法についても発言していません。与党が3分の2取るかどうかにも無関心に見えます。3分の2とらせないという話の代わりに出てくるのは、「政権を取りたい」という劇画的なくらい非現実的な叫びです。おそらく、山本は、安保や憲法には、さして興味がないのだと思います。

また、彼のスピーチには、ほとんど安倍首相の批判が出てきません。左派政党の政治家のスピーチは、しばしば、右派から「アベガー」と揶揄されるように、スピーチの相当部分が安倍政権への批判で占められている事が多いのです。しかし、山本は、ほとんど安倍首相批判に言及しません。確かに、貧困や福島の問題には強い関心を持っている(それも、あまり、科学的に正しい理解を伴っているわけではないのですが)のは左翼っぽいのですが、その関心も、左翼的というより、非常にエモーショナルなもので、少し前の「次世代の党」などに似た右翼系ポピュリズムに近いニュアンスを感じるのです。もし、自民党が、消費税減税をするから憲法改正に賛成しろとバーターを持ちかけてきたら、山本は、その取引を受け入れる可能性があるのではないでしょうか?

おそらく、政治家になる前の山本太郎のもともとの立ち位置は、安倍アッキーなんかと似た、科学や政治に対して不信感を持ち、自然に近いものや伝統的なものに好感を持つ、薄めのスピリチュアル左翼(あるいは、厨二左翼とでも言うべきか)とでもいうべきポジションだったのだと思うのです。それが、福島原発事故を契機に、政治に関心をもつようになって、ああいうふうに変わっていったのでしょう。

政治家になってからの山本の成長は著しく、特に、ここしばらくで国会質問は急にサマになってきました。同時に、街頭でのスピーチも抜群にうまくなってきました。しかし、今でも、本質的には、彼は、もともとの厨二スピリチュアル政治家のままなのです。

私は、今度の「れいわ新選組」の、消費税廃止とかなんとかは、左翼的なポピュリズムというより、厨二感覚で立案された政策なんじゃないかと疑っています。おそらく、ネット上で山本の新党について語っている人の多くは、劇画でも読んでいる感覚で見ているんじゃないでしょうか?支持者の多くも、おそらく、彼の語る政策が実際に実現すると考えているわけではなくて、その、非現実的だけれど痛快な政策一覧を見て、劇画的に楽しんでいるのではないかと思うのです。

彼のスピーチのキメ台詞、「あなたをしあわせにしたいんだ」「あなたは、そこに存在するだけで価値がある」も、左翼的なアジテーションというより、スピリチュアルな叫びだと思います。

ネットでは、山本を支援する人の多くが、彼の街頭演説の動画を拡散して、フォロアーたちに見るように勧めています。その際、かなりの山本支持者が、「投票しなくてもいいから、これを見ると元気になるから」見てほしいと言っています。政治家の応援で、「動画を見ると元気になるから」といって演説動画を勧めている人たちは、私は初めてみました。自民党や民主党や共産党の支持者では、ある政治家を応援すると元気になれるなんて言って応援していた人たちは、おそらく、これまで、ほとんどいなかったのじゃないかと思います(実は、これまでだって、「政治家を応援する会に行くと元気になる」という話は、まったくないというわけではありません。「元気がほしいから、アントニオ猪木の応援に行ってビンタをしてもらう」といっていた人を、私は一人知っています。)。確かに、山本のスピーチは、熱量が大きくて、人によっては、元気が出る人も多いでしょう。

元気になるというご利益のある演説会、というのは、非常に宗教的です。私は、山本太郎という人は、宗教家としての才能がある人ではないかと思っています。また、彼の新党には、宗教団体のようなカラーがあると思っています。その新党が、東京選挙区で、先輩格の宗教政党の党首にケンカを売るような選挙戦を演じているのは、単にプロレス的に面白い選挙エンターテイメントではなくて、おそらく、かなり考えた上でやっていることだと思います。

さて、もうすぐ選挙です。私は、山本の新党に投票するつもりはありません。彼らの非現実的な政策に賛成出来ないからです。しかし、彼らを、非常に強い関心を持ってみています。おそらく、れいわ新選組は、今回、数議席確保するでしょう。

今回の選挙でれいわが集めたユニークな候補者の面々は、山本の人脈作りの能力の高さを示しています。今は非現実的な政策を掲げている山本ですが、政党要件を満たせば、今後、もっとよいブレーンを集めて、もっと現実的な政策を作る能力を持つようになる可能性も十分にあると思います。

今後、どうなっていくか、引き続き、見ていこうと思います。

2019年6月27日木曜日

天才について

最近、FBで、「天才」についてはなしをした。少し面白かったので、記録しておこうと思う。

1、分野ごとの天才
天才であると認められるためには、何か、圧倒的な能力を周囲に見せる必要がある。そして、能力を証明するために必要な条件は、分野によって異なる。スポーツや数学など、能力証明に必要なルールが整備されている分野では、天才は生まれやすい(サッカーの天才、将棋の天才、数学の天才、など)。反対に、ルールが複雑な、医学とか文学とかでは、天才は生まれにくい。そういう分野では、たいてい、「天才」ではなくて、「天才的」にとどまる(天才的な作家、天才的な外科医、天才的なピアニスト、など)。

2,ビジネス分野にも、「天才」と呼ばれている人が、ときどきいる。スティーブ・ジョブズとか、松下幸之助とか。ただ、あれは、1で言うような天才とは少し意味が違うように思う。というのは、ビジネスにおける天才というのは、個人の圧倒的に卓越した能力でもって天才と呼ばれているのではなくて、世の中を変えたとか、お金を稼いだとか、ビジネスにおける成功をもって天才と呼ばれているように見えるからだ。だから、無名で貧乏な天才将棋指し、とか、無名で貧乏な天才サッカー選手、というのは、存在しうるけれど、無名で貧乏な天才ビジネスマン、というのは、存在し得ない。また、天才的ビジネスマンは能力よりも成功によって天才と呼ばれるから、その天才を引き出す右腕役のような存在を必要とすることもある。能力によって天才と呼ばれる人は、本質的に、補佐役を必要としない(能力による天才は極端に社会性がないこともあるので、生活上のサポーターを必要とする場合はありうるが、あれは、補佐役というより介護役だと思う)。

2、天才の欠落
天才(あるいは天才的な人)を何人か見た経験からすると、天才は、普通人に天才的な能力を追加したような感じではなくて、普通人よりも何かが不足している、何かバランスの欠けた感じに見える人が多い。
おそらく、多くの天才は、元々、人並みよりも高い能力を与えられるわけではなくて、何か、大きな能力の欠落があって、その欠落を埋め合わせる形で、天才的能力を発達させるのだと思う。その結果が、あの、バランスの崩れなのではないか。

3、天才とひとりごと
私の知る天才のかなりの部分が、ひとりごとを話す。壁に向かって話したり、人形に話す人もいる。あれは、ルーチーンなのか、脳内会議みたいなものなのか。

2019年6月21日金曜日

likebook MARSの使用感

今年3月に、e inkディスプレイのタブレット、Likebook MARSを買いました。
買ってしばらくの後、FBにレビューをアップしていたのですが、このあたりで、もう一度、使用感をまとめておこうと思います。

この製品は、かなり尖った製品で、買ってからわかった長所や短所がたくさんあります。使い勝手の問題点は、その後、使い方の工夫によって改善できた部分もありますが、最終的に、なんともできなかった部分もあります。

1,眼精疲労やドライアイなどのVDT症状は、ほぼなくなります。
e inkに関心を持っている人の多くが、スマホやタブレットの使いすぎでの眼精疲労に悩んでいると思います。この点では、このガジェットは、本当に期待通りです。また、私の場合、この製品をタブレットとして使うようになってから、夜、寝付きが良くなり、また、夜間に目が覚めてしまう中途覚醒がなくなりました。これは、これまでは夜寝る前に、タブレットの光るディスプレイを見ていたのが、強く光らないe inkに変わったからだと思います。
この点、私としては、VDT対策としてe inkディスプレイが役に立つのではないかと思っているのですが、これ、説明しても、この点で困っていない人(や、e inkを経験したことがない人)には反応が薄いのですよね。

2,画面のレスポンスの問題は、設定でどうにかできる。
画面の描画については、ある程度細かく設定できます。
まず、16階調と2階調の二種類のモードがあり(16階調のほうがきれいな表示になるが、描画速度がおそく、アニメはコマ落ちになる)、また、リフレッシュについて、通常モード、急速モード、Regalモード(リフレッシュにかかる時間やリフレッシュの範囲が、それぞれ、ことなる)と3種類のリフレッシュの方法を選ぶことができます。また、リフレッシュの頻度も選ぶことができます。
これらの設定は、アプリ毎に決めることもできるようになっていますし、いつでも、画面の上のツールバーをタップすることで、すぐに設定変更できます。einkのガジェットでは、動画やアニメーションを見るときなどのレスポンスが問題になることがあるのですが、そのアプリごとに最適の設定にすれば、多くのアプリは、そこそこ使えるようになります。
私の場合、たとえば、youtubeなど、描画速度が重要なケースでは2階調でリフレッシュなし、漫画を読むときなど、静止画がきれいであることが重要なケースでは、16階調でregalモードにしています。また、ウェブブラウザなどでは、ページの種類に応じて、ツールバーをタップして、その両設定を使い分けています。
下の動画は、2階調でyoutubeを見たときのものです。


3,どうしても使いにくいアプリもある
ほとんどのアプリでは、普通のスマホやタブレットよりも、ずっと目が疲れにくくなります。ただ、どうしても使いにくいアプリもいくつかあります。
たとえば、アプリの種類によっては、画面の大きな部分の明度が、急に変化したりしますが、そういうものは、画面がちらついて見にくいです。たとえば、私、「ぴよ将棋」というAndroidの将棋アプリをよく使っているのですが、この「ぴよ将棋」、ダイアログウィンドウが表示されるとき、ダイアログを強調するために、背景がパッと黒っぽく変わるUIになっています。このとき、普通のスマホやタブレットでは全く気にならなかったのですが、einkでだと、この背景が急に黒くなるたびに目が痛くなるのです。そういう、普通のディスプレイでは問題にならないことが、einkでは、どうしてもダメということがいくつかあります。また、モノクロですから、カラーだと見えやすいUI要素でも、要素と背景が同程度の明度であった場合、見えにくいこともあります。
とはいえ、Androidのアプリは多様ですから、多くの場面では、モノクロでも使いやすいUIのアプリを探すことができるだろうと思います。

4,スピーカーはない
スピーカーは付いていません。音を出したい場合は、スピーカーかイヤホンを繋ぐ必要があります。イヤホンジャックとBluetoothの両方が使えます。スピーカーがついていないのは、おそらく、メーカーとしては、音が出るゲームやアニメより、読書端末として使ってもらうつもりで設計したからなのでしょう。

5,読書端末としては、KindleやKoboの専用機のほうが良い。
GooglePlayが使えますので、KindleやKoboのアプリをインストールすれば、KindleやKoboの電子書籍を読むこともできます。ただ、KindleやKoboをつかった読書だけが目的であれば、購入はおすすめできません。というのは、読書端末としての使い勝手が、KindlePaperwhiteなどの専用端末に大きく見劣りするからです。というのは、現状、KindleアプリもKoboアプリも、einkに最適化されたUIを持っているわけではないからです。たくさんの書籍から目的の本を選ぶ画面では、画面切り替えでなくスクロールする方式ですし、ページめくりの際にはページめくりアニメーションがあります。スクロールやアニメーションは、e inkでは、ストレスになります。私の感覚では、読書は、わずかでもストレスが少ないほうがいいです。Kindleを読みたい人はKindleを買うべきですし、KindleとKoboを使い分けている人も、読書だけが目的であれば、本機ではなくて、KindleとKoboの二台持ちをしたほうが良いと思います。

6,入力が、結構たいへん。
私は、このガジェットを、仕事の際のメモに使いたかったのですが、本機は、画面のタッチの精度が、あまりよくありません。そのため、ソフトキーボードで長文を打つのは、少し難しいです(通常のタッチ操作であれば、ほとんど問題ありません。フリックで高速に文字入力するときだけ、問題が発生します)。これは、このタイプのディスプレイに、まだ、あまりこなれていないところがあるからでしょう。スタイラスも試したのですが、スタイラスにも、反応はいまひとつです。
そこで、今は、タブレットスタンドを買ってきて、タブレットを立たせて、bluetoothのキーボードとつないで使っています。この方法であれば、そこそこ使えます。ただ、タブレットですから、ペンや指でスラスラ入力できるようにしてほしいですね。

7,全体としては、私としては、このガジェットに満足しています。
ただ、いくつか改良してほしいところがあります。一番は、サウンドを聞けるようにスピーカーを付けてほしいことです。音声が聞こえるだけで、使える範囲は、ずいぶん広がりますからね。また、タッチ操作の精度も、もう少し良くしてほしいです。
あと、できれば、このディスプレイを使った、4インチサイズの小さいスマホもほしいですね。

2018年5月25日金曜日

摩訶大将棋の話

私の友達の中で、将棋と仏教と歴史が好きな人には、関心を持ってもらえそうな話題です。って、そんな人、あんまりいないか。将棋好き、仏教好き、歴史好きの友達は、それぞれいるんだけれど、その3つがダブっている友達は、あまり多くないですから。
何かと言うと、将棋の歴史と日本の宗教の歴史の交錯する話題です。

今の日本将棋の原型になったと思われるゲームをたどると、平安時代にプレイされていた、いくつかの種類のゲームにたどり着きます。平安将棋、大将棋、摩訶大将棋、天竺将棋と言ったゲームです。

これらのゲーム、かなり変なゲームで、また、日本近隣の国の他のチェス系ゲーム、中国のシャンチーやタイのマークルックなどともずいぶん異なるゲームです。なかでも、摩訶大将棋は、これは、プレイしたら、わかるひとはわかると思うんですけれど、明らかな宗教くささがあるのです。

摩訶大将棋は、今の将棋と同じく、自分の「玉将」というコマを守りながら相手の「玉将」というコマをやっつけるゲームです(現在の将棋では、玉将と、もう一方は、「王将」ですが、安土桃山時代までは、両方とも、「玉将」だったことがわかっています)。この「玉将」、どうも、周りのコマの配置から見ると、天皇をシンボリックに表現したものみたいなんですけれど、大して強いコマじゃありません。

そのかわり、玉将の周りには、いろんな強いコマがあります。さらに、玉将の周りにある強いコマに混じって、二つ、弱いけれど、重要な駒があります。一つが、「無明」というコマで、もう一つは「提婆」というコマです。この二つのコマは、ものすごく非力なコマなんですが、ゲーム中に成長して、「無明」は「法性」というコマに、「提婆」は「教王」というコマに変化します。この「法性」と「教王」は、めちゃくちゃ強いコマで、これが作れたら、このゲームでは圧倒的に有利になります。

なので、この摩訶大将棋というゲーム、前半は、お互いに、いろいろな強いコマを捨てながら、無明と提婆から、出来るだけ早く法性と教王を作ろうとする展開になります。で、後半は、そうやってできた法性と教王が天皇をサポートして敵を追い詰める、という展開になります。

これ、見る人が見れば分かりますけれど、明らかに、なんかの宗教が背景にあるわけです。で、これは、一体何なんだろう、当時の人は、どういう動機で、こんな変なゲームをやっていたんだろう、っての、私、昔から不思議だったんですよ。

これについては、私なりの仮説があったのだけれど、今日、このブログを見つけて、私が思っていた仮説と似た議論だったので、思わず、興奮してしまったのでした。

摩訶大将棋のブログ4

著者自身、少しずつ調べながら、自分なりの仮説を作ってきたようで、最近になるほど仮説が完成してきて面白くなる。200前後からが、とくに面白い。

全部読むのは大変なので、著者の主張の私なりの要約。
1,平安将棋、大将棋、摩訶大将棋の3つでは、摩訶大将棋が一番、宗教的なシンボルを多く含んでいる。反対に、平安将棋が一番、宗教的なシンボルを含んでおらず、現在の将棋に近い。この3つは、通常は、平安将棋、大将棋、摩訶大将棋の順に作られたのではないかと考えられているが、著者は、逆に、摩訶大将棋、大将棋、平安将棋の順に作られたのではないかと考えている(これは、明確な証拠はないのだけれど、ゲーム内容を考えると、私は、かなり説得力がある仮説に思える。摩訶大将棋のルールから平安将棋を思いつくのに比べると、平安将棋のルールから摩訶大将棋を思いつくのは、遥かに難しいように思える。)。
2,摩訶大将棋の王将の前方にあるコマは、天皇の行列に出てくるものをシンボリックに表したものだと考えられる。つまり、このゲームの玉将は、天皇のシンボルである。
3,摩訶大将棋の玉将の左右のコマは、当時の薬師如来の荘厳をシンボリックに表したものと考えられる。したがって、玉将は天皇であるだけでなく薬師如来でもあった。薬師如来は東方の如来であり、日本の天皇は、中国から見て東方の国の王なので、それで、両者を同一視したのではないか、というのが著者の意見(ということは、「玉将」の「玉」というのは、薬師如来の東方瑠璃光浄土の「瑠璃」だったわけです)。
4,玉将の周辺には、3人の如来(釈迦、阿弥陀、大日)をシンボリックに表したと思われるコマがある。したがって、摩訶大将棋には、玉将である薬師を含め、ゲーム開始時点で4人の如来が登場していることになる。
5,摩訶大将棋には、他に、十二支を表現したコマ、陰陽五行を表現したコマなどがある。これは、たぶん、このゲームを作った人が、そういった呪術にも詳しい人達だったからではないか。
6,こんな変なゲームが、単純な娯楽としてプレイされたとは考えにくい。おそらく、このゲームは、当時の薬師如来信仰を背景にして、神事(仏事)としてプレイされたのではないか。
7,摩訶大将棋にくらべると、大将棋、さらに平安将棋と、徐々に宗教的なシンボルが少なくなっていく。提婆と無明はなくなり、また、十二支や陰陽五行を表現したコマもなくなる。また、如来を示すコマは、まず、釈迦と大日が消える。阿弥陀は、しばらくは残されたものの、やがて、阿弥陀も消える。それと同時に、如来の荘厳を表現していたコマも簡略化されていく。
8,この変化は、平安時代を通じて、薬師如来信仰が中心だった仏教が、阿弥陀如来信仰中心に変化してきたことと関係があるのではないか。このゲームをプレイする人たちの中で薬師如来信仰がマイナーになるにつれ、古いシンボルを表現したコマは、徐々に、プレイヤーたちにとって、わかりにくいものになっていったのではないか。というのが著者の主張(物証はなさそうに思えるが、個々のコマの変化を考えると、これも、説得力があるように思える)
9,で、ですね。この説が正しいと考えると、現在の将棋は、摩訶大将棋→大将棋→平安将棋→現在の将棋と変化してできたものなわけです。で、もうひとつ、現在の将棋の金将、銀将、桂馬、香車の4種類のコマは、これは、平安時代に仏様の前に置かれていたもの(金、銀、肉桂、香木)の名残なのです。

2018年4月16日月曜日

メモ:「電子しおり」について

「電子しおり」というものが欲しい気がする。紙の本に挟むしおりに、RFIDタグと、かんたんなメモ管理機能、einkの表示機能をつける。
パソコンかタブレットで動作する「しおり管理プログラム」とセット。
使い方。
本を読んでいて、気になるところがあったら、しおりにメモを書いて挟んでいく。
あとで、アレが書いてあるの、どこだったかな、なんて調べるとき、パソコンやスマホから検索。
本棚の中のどこにあるのかRFIDで探す。本を開いて、パラパラとしおりの挟まっているページをたぐる。
仕事の書類管理にもいいかな。大事な書類といっしょに封筒の中に入れておく。

健康を食い物にするメディアたち

やや過激なタイトルなのですが、内容は、メディアについての落ち着いた現状認識で、非常に好感を持てる内容でした。
たぶん、Welq事件の話を書いたのだろうと思っていたのですが、そういう、ネットメディアの話だけでなくて、既存の新聞やテレビなどにも目を向けたかなり広い視野の議論の本です。
この本、とくに良いと思ったのは、医学の素人である一般の人が、どうやって信頼できる健康情報と信頼できない健康情報を区別するか、また、なぜ、信頼できないいい加減な情報を多くの人が信じてしまうか、など、とくに一般の人に大切と思われる話に、ちゃんと言及していることです。
これは、私、常々、自分の患者に言っていることなのですが、
煽ったり脅かしたりするような言い方をする「専門家」の解説は眉に唾をつけて聞かなくてはいけません。本当に信用できる専門家は、科学が確実でないということを嫌という程知ってるからです。だから、これが真実だと著者の主張を押し付けようとしたり、煽ったりする人は、たいてい、あまり科学的には正しくありません。自分の意見と違う意見を持つ素人の患者に攻撃的になる医者は、あまり信用しないほうが良いと思っています。逆に、信用できるような人ほど、慎重で、曖昧で、奥歯に物が挟まったような言い方になります。医学の結論は、たいてい確率的なものであり、医学は、何かを断定することができるほど決定的な結論を出せる学問ではないからです。
特に、「絶対に」「奇跡の」「百%」「最先端」「最新の」あたりはNGワードです。
そういう話が、丁寧に書かれています。
もう一つ、良いなと思ったのは、こういう「健康を食い物にするメディア」を信じてしまう「非科学的」な人たちにも攻撃的になることなく、やさしく、その心理について分析していることです。私は、常々、非科学的な態度を取る素人に大して優しい態度を取れない医療者がいることが、そういう人を、逆に非科学的な治療の方向に追いやってしまっていると感じていました。ですので、そのへんを丁寧に書いてくれていることも、大変ありがたいと思いました。
この辺は、医療に関心のある人だけでなく、カルト宗教とか、詐欺的な商法とか、そのへんを相手に苦労している人にも読んでほしいかな、と思います。
あと、この著者の書くこれだけの量の纏まった文章は、私は初めて読んだのですが、この人、ライターの仕事、文章を書いて何かを伝えるということが本当に好きなんだなぁ、と思いました。私、どこかで、この人に、「あなたは医者よりもライターのほうが向いていると思う」というようなことを言った記憶があるのですが、これだけライターが好きなら、やっぱり、医者ではなくて、そっちが天職だと思います。
であれば、この人は、もう少し、自分だけは「健康情報を食い物に」していくことを考えて良いのではないかなぁ。メディアで一生食っていくということは、それはそれで大変なことだし、それに、こういう良心的な文章を書く人に食いものにされることは、健康や医療にとっても大きなメリットであるはずだと思うのです。

2017年10月27日金曜日

スマートスピーカーの非実用的な用途

スマートスピーカーというものに興味があります。
GoogleHomeとか、Clovaとか、そういうやつです。
とはいえ、買いたいとは思っていないのです。部屋が散らかっていて、置く場所がないものですから。
ですけれども、このデバイスの未来に興味があるものですから、いろんなところでスマートスピーカーをさわってみています。

さて、今日話したいのは、スマートスピーカーの非実用的な用途のことです。

普及するような情報機器は、たいてい、実用に使われる以上に、娯楽などの非実用的な用途で使われています。
多くの人のスマホはゲームとSNSの専用機になっていますし、パソコンだって、ゲームやら何やらがなかったら、こんなに普及したかわかりません。

逆に、どんな実用的な情報機器でも、工夫して娯楽のネタとして使う人は、かならずいるものです。

実用的な道具でも、変な遊びに使う想像力豊かなやつがいる、ということに、私が初めて気がついたのは、中学生の時、友人のK君がワープロの日本語変換に変な単語を教えこんでいるのを見たときでした。
彼の家にあったワープロは、かなで、「わたしのくつをおなめ」と打つと、「はい。ご主人様。」と漢字変換してくれるようになっていました。私が覚えているのは、その一単語だけなのですが、他にも、たくさんのイカガワシイ単語を登録してあったように思います。彼は、そういう単語をワープロに登録することを、「調教」と呼んでいました。彼は、そうやって、登録された単語を変換して、ワープロ専用機との怪しい「会話」を楽しんでいたようなのですね。まあ、実用一点張りのワープロ専用機だって、想像力を持った人間が変なことに使おうと思えば、娯楽の可能性は無限大なのです。
(ところで、あの日、私が彼の家でみたワープロは、彼の父親が仕事で使っていたものらしく、後日、彼は、「調教」に気がついた父親にひどく怒られたと聞きました)

そういうわけで、いずれ、スマートスピーカーも、普及し始めたら、アプリをインストールできるようになって、いろいろな非実用的なアプリが出て来るに決まっています。
スマートスピーカーを使った娯楽となれば、きっと、多くが会話を楽しむものになるでしょう。もちろん、人間との会話のような自然な会話はスマートスピーカーには、難しいでしょうから、会話と言っても、一種の決まり文句を楽しむだけかもしれません。でも、多くの人が面白いと思うような会話は、決まり文句の範囲でも、できるのではないでしょうか。

そういうわけで、今の時点で考えられる非実用アプリを考えてみました。

1,アニメやドラマの「あの会話」アプリ
アニメや、ドラマの有名なシーンを、ユーザーと一緒に演じてくれるアプリです。
たとえば、
「○○がないな?」
とユーザーが言ったら、スピーカーが、
「あんなのかざりです。偉い人にはそれがわからんのですよ。」
と答えてくれる、とか。
もちろん、こういう、一言だけの会話から、望むなら、台本一冊分くらいの長い会話もできるはずです。ユーザーは、そういう会話をすることで、あのアニメやあのドラマの登場人物になりきって遊ぶことができるわけです。
あ、ちなみに、上記の会話をしてくれるスピーカーには、ハロの形をしたケースを付けることをおすすめします。

2,ポルノ会話アプリ
ユーザーがエッチなことをいうと、いやらしい声でエッチな言葉で返事してくれるアプリです。
ユーザーは、そのアプリを使うことで、エッチな気分に浸るのです。往年のギャルゲー声優の声を使うと、そのスジの人には、特に楽しんでもらえるのではないかと思います。
これも、きっと、面白がる人が多いアプリではないでしょうか。

3,宗教的アドバイスアプリ
たとえば、何か、ユーザーが悩んでいることを言うと、その中のキーワードに関連した聖書の一節を話してくれる、というようなアプリです。
真面目なキリスト教の信徒であれば、喜ぶ人は案外いるのではないかと思います。仏教なんかでも、比較的、教義を言語で表現する度合いの大きい宗派、たとえば、上座部仏教とか浄土真宗とか日蓮宗とかだと、似たような、ユーザーの状況に応じた法語や仏語を言ってくれるアプリは作れるのではないでしょうかね。

4,サウンドノベルゲームのアプリ
一昔前のサウンドノベル、「弟切草」とか「かまいたちの夜」みたいなゲームを、朗読の音声のみで楽しむようなゲームです。
プレーヤーは、スピーカーに、どのように行動するかを言葉で伝え、スピーカーは、その選択の結果を、朗読と効果音、音楽で表現する形でゲームが進みます。
ホラーっぽいゲームを、真っ暗な中で音声プレイすると、きっと楽しいのではないかと思います。

まあ、他にも色々ありうると思うのですが、こういうの、いかがでしょうかね。

2017年10月22日日曜日

衆院選の投票日に思ったこと

いくつか、思ったことを記録しておきたくて書いています。

0,投票と棄権の是非について
今回は、積極的に棄権をしようと訴える著名人がいたりして、棄権の是非について話題になりました。
SNSでは、棄権を批判する意見が散見されたように思います。
棄権はしてはいけない。投票は義務だ。

私は、そういう考え方に違和感があるのですね。
私、今は、合理的に考えた末の結論として毎回投票してますけど、昔は、やはり合理的に考えた末の結論として棄権を続けていたこともあります。
その頃の考えかたは、それはそれで間違っていなかったと思っています。
投票に行くことが絶対的に正しいと思っている人は、なかなか理解し難い考え方かもしれませんが、投票に行くことが絶対的に正しいかどうかは、自明ではないと思うのです。
大事なことは、その都度、自分で納得できるまで考えて判断することじゃないですかね。
で、自分の結論を、簡単に人に押し付けてはいけない。そう思っています。

投票しない人は、政治に文句を言ってはいけない、という人も多かった。
私は、そういう意見にも反対です。
代議制というのは、面倒なことを他人に任せる委託の一種です。散髪屋に散髪を頼んで、髪を切ってもらいながらゆっくり休んだり、タクシー運転手に運転を頼んで自分は酒を飲むとか言うのと同じことだと思っています。

専門家に頼んでなにか注文する時、客の意思表示がはっきりしない場合でも、それなりに普通に処理してくれるのが正しい姿です。そう考えると、投票しなくても結果に不満があれば言っても良いし、言うべきだと思うのです。

散髪屋で、「普通に適当に」なんて言っても、目が覚めたらモヒカンになってたら、文句を言うにきまっています。
「シェフのおまかせコース」を頼んでウンコが出てきたら、文句を言うにきまってます。
時価の寿司を頼んだ客にも、大体、常識的な請求してよい値段の相場感みたいなものがあるはずで、寿司屋は理不尽な値段を吹っ掛けていい訳ではないのです。

あたりまえのことですよね。

で、私は、特に意思表示がなくても、あるいは、おかしな意思表示があったとしても、少なくとも、このルールの通りにやりますよ、という話が憲法だと思っているわけです。
だから、憲法というのは、簡単に変えられないようになっている。
人によって解釈が違うかもしれませんが、これが、いまのところの、私の代議制民主主義の理解です。

1,期日前投票がこれだけ普及したのであれば、期日前投票を、普通の「投票」にしてはどうか?
これだけ、期日前投票が増えたんだから、もう、期日前投票は、いちいち期日前と言わないで、単に「投票」と呼んでも良いんじゃないかな?と思っています。
投票日当日のほうは、「千秋楽投票」とでも呼べばいい。


2,選挙を、もっと簡単なサンプリングによる世論調査に置き換えられないか?
これは、昔から思っています。
選挙というのは、私の考えでは、国勢調査のような、全数調査によるアンケートのようなものです。国民の意志を調べて国民の支持する政治家を選出するのが目的です。
であれば、もっと小規模なランダムサンプリング調査で、どの選挙区では、どの政治家が支持されているか、かなりの精度で調べることができるはずですなのですから、もっとローコストで簡単な方法で代替することが可能なはずです。
ランダムサンプリングで、「棄権しそうな人も含む全有権者」の傾向を調べることは容易ですから、投票率に関する面倒な問題も回避できます(むろん、ランダムにチョイスされた有権者に実際に投票所に来てもらう方法を取れば、「棄権しそうな人を除く有権者」の意見も調べることができるでしょう)。
そのほうが選挙よりもずっとローコストな方法だと思うのですが、どうでしょうか?

最近、政府の機能を人工知能に任せようなんて言っている人も出てきていますが、まずは、私としては、このような有権者の意見を推測するシステムを導入できるかどうかが、人工知能政府の導入の試金石になるのではないかと思っています。

3,立憲民主党の支持の広がりは、どれくらい本物か?

このエントリーを書いている時点では、まだ、投票が続いているのですが、どうも、枝野幸男氏が作った新党、立憲民主党が、かなりの支持を集めそうです。
この現象が、何を意味しているものか、私は、少し判断に迷っています。
できたばかりのこの政党は、どうみても計画的に作られたものではなく、予想外の政局の動きが生み出したものであり、おそらく、枝野氏自身、直前まで、新党を作る予定はなかったのではないかと思います。
このような急造の政党が急激に支持を集めているのは、単に、もう一つの新党に失望した人が流れ込んでいるだけの一過性の突風のようなものなのでしょうか。
それとも、多くの人が、潜在的に、ずっと、このようなポジションの政党を望んでいて、たまたま、偶然できた新党が、このニッチなポジションに命中したのでしょうか。
民進党よりもやや福祉重視で、やや左だけれど、共産党や社民党ほどではない、というポジションの政党は、ここしばらくは、ほとんどありませんでしたので(強いて言えば、少し前に一時期存在していた「日本未来の党」でしょうか)、このポジションを求める人は、ずっと自分のための政党がないと感じていたのかもしれません。
もし、この枝野新党が、ずっと求められていたニッチを埋めたということなのであれば、このポジションの支持者の規模は、どれくらいの大きさなんでしょうか?
二大政党の一翼を占める程度の大きさのあるニッチでしょうか?
そういうことが、すごく気になっています。

4,ネットで政治を語る人同士の汚い罵倒が減って、少しずつ相手の言うことを聞くようになってるような気がして少し嬉しい。
これは、私の観測範囲での印象です。
ネットで政治の議論をする人たちの間では、まあ、意見の違う人同士、汚い言葉で罵倒し合うのが、この数年、普通になっています。
とくに、大きな選挙の直前になると、その争いが激しくなります。
支持政党が違う人同士、相手のことをネトウヨだのパヨクだのと罵り合ったり、歴史問題について自分と見解の違う人を反日とか売国奴とか言う人がいたり、反原発論者と原発推進論者がお互いの悪口を言い合ったり、グローバルな自由市場を推進する人と、ローカルな昔からの産業秩序を守ろうとする人が、汚い言葉で相手を黙らせようとしたりします。
そして、そういう議論のときには、だいたい、お互いに相手の言うことを全然聞いていません。

さて、私のネット上での観測範囲での印象ですが、今回の選挙、ネット上での、そういう汚い言葉が急激に減っている印象があります。ひょっとしたら、これは、みんなが、反日だの、売国奴だの、守銭奴だの、ファシストだの、レイシストだの、そういうふうに罵倒し合うことに飽きてきているということなのかもしれません。

私には、支持政党の異なる友人がたくさんいますが、意見は違っても、ほとんどは、どのようにして日本を良くしていくか、どのようにしてみんなが幸せに暮らしていけるかを、それなりに真面目に考えている人ばかりです。
そして、どういう社会を理想だと思うか、という話をすると、多くの人は、伝統的な社会の良さもそこそこ残し、過激な格差もなく、そこそこ自由に商売でき、生活も自由で、民主的で、安全で、とまあ、かなり一致する社会像をイメージしています。ただ、どうやってそこにもっていくか(あるいは、それを維持するか)、という方法論についてだけ、ひとによって多少意見が違うだけという気がするのですね。外国政府の手先だとか、電力会社の走狗だとか、そういう人は、基本的にいないわけです。

であれば、私としては、それなりに一致できる話は話し合って、お互いに一致できる「真ん中」はどこなのか、丁寧に話し合ってほしいと思うわけです。

ひょっとしたら、そういうことができそうな雰囲気ができつつあるのかな、って言う気がしています。だとしたら嬉しいな、と思います。

2017年9月14日木曜日

子供の勉強のつまづいたところを見つけるのは、大人が思っているよりずっと難しいよ、というお話。

誰もがどこかでつまずいた→小学校の算数から大学数学まで126の難所を16種類に分類したというエントリーを見ました。

算数/数学の、つまずきやすいポイントが一覧になっています。
私自身は、ここに出ているようなポイントにつまずいたことは一度もありませんでした。しかし、なるほど、これを見ると、たしかに、誤解しやすい、また、一度誤解すると、丁寧に説明してもらわないとなかなか自力で抜け出すのは困難な落とし穴ばかりのように思えます。
誤解している子どもたち本人は、どう間違えているか、自分で言語化して説明することは難しいでしょう。子供を教えている教師たちにも、なかなか、子供がどのように誤解しているか、推測することも、また、誤解を解くように説明することも難しいのではないでしょうか。

そんなことを考えているうちに、ふっと思い出しました。
私、算数/数学では、あまり誤解したことがないのですが、他の分野では、ひどい誤解をして、おかげで、勉強についていけなったことが、何度かありました。
その話をしましょう。

小学校の一年生から二年生の頃、私は、何度教えられても「ひらがな」を覚えられませんでした。

それは、今から考えると、ひらがなの1文字が、おおむね日本語の1音節に対応するという、音節文字というコンセプトを理解できなかった(つまり、1文字で5音節くらいの単語を表したり、5文字くらいで1音節の発音を表すひらがなも存在すると思い込んでいた)からだったと思うのです。

でも、そういう誤解をしているということを、当時、自分では言語化して説明できませんでしたし、学校の先生も、その誤解を分かってもくれませんでしたし、もちろん、わかりませんから修正もしてくれませんでした。

で、なんで、私が、こういうおかしな誤解をしたのかと思い出してみますと、小学校に入学した頃、私の住んでいたところの近くに、大きなマルハの看板があって、当時のマルハのロゴ、ひらがなの「は」をマルで囲ったやつが、大きく書かれていたんです。
私は、周囲の大人の会話から、あの看板にかかれている「は」をマルで囲ったマークは、「ひらがな」の一種であると思っていました。また、あのマークは、「マルハ」と読むのだと思っていたのです。

そして、一文字で「マルハ」と読む「ひらがな」があるのであれば、一文字で、「大洋ホエールズ」を表す「ひらがな」も、当然あるものだと(この球団が、マルハとなんらかの関係がある球団だというのは、すでに当時の私は知っていました)思っていましたし、そういう連想から、当時、私は、アルファベットのHとTを組み合わせた阪神タイガーズのマークは、一文字で、「阪神タイガーズ」と読む「ひらがな」なのだとも思っていました。
それと同じように、1文字で私の名前を表す「ひらがな」もあっても良いと思っていました。きっと、マルハのような会社が自分たちの会社を表す、一文字の「ひらがな」を決めているように、人間も、大人になったら、自分のシンボルになる「ひらがな」を決めるのだろうと思っていました。なぜか、私の両親は、自分を表す「ひらがな」を決めていないようでしたが、当時の私は、そこを疑問に思ったことはなかったように思います。
そうして、ひらがなに関する壮大な誤解にもとづいて、私は、私にしか読めない不可解な「ひらがな大系」を作り上げていました。そのおかげで、学校で習うひらがなは、全く覚えられませんでした。

「ひらがなというのは、音節文字の一種であって、、」というような説明を誰かがしてくれたら、こういう誤解は、簡単に解消されたのでしょうが、普通、小学校の一年生に、そういうややこしい説明はしませんよね。

どのように、誤解が解けたのか、今ではよく覚えていません。
気がついたら、読めも書けもしなかったひらがなは、全部書けるようになっていました。
学校の授業で、漢字を教え始めて、そのときに、教師が「漢字」と「ひらがな」がどう違うかを教壇の上で説明していたことは鮮明に覚えています。たぶん、学校で漢字の勉強がはじまったことが、私のひらがなに対する誤解を解くきっかけになったような気がしています。

2017年5月1日月曜日

片付けられる人のパターン3つ

イケハヤ氏の文章としては、久しぶりに、まあ、そのとおりだと思った文章。
「片付けられない人は、捨てられないから」は、外見上の現象としては、そのとおりだと思うのだけれど、たぶん、もう少し、根本的な問題。
実のところ、「捨てられない」人は、結局のところ、自分にとって、必要なものとそれほど必要でないものを見分けられないから、捨てられないのだと思っています。
必要なものとそうでないものを見分けられるためには、当たり前ですけれど、これから、どういう生活をするのかの見通しがかなりはっきりしている必要性があります。これから何をするのか決まっていなければ、これからの生活に必要なものなんてわからないのです。
片付けられる人は、つまるところ、今後、自分が、どういう生活をするのか、自分なりの見通しが分かる人なのです。
で、私の見るところ、先の生活の見通しが分かる(分かるつもりになる)には、幾つかのパターンがあります。私は、「保守的パターン」「ワガママパターン」「追随者パターン」くらいに分類しています。

1,保守的パターン:ずっと、同じような生活を続けるという人です。
長期に渡って、だいたい同じような生活をしていて、この先も、だいたい同じような生活をするだろうと想像できるという人は先の生活の見通しが立ちます。そういうわけなので、たとえば、サラリーマンの家族の人は、だいたい、自営業者(あるいは自由業)の人の家族に比べて、片付けるのが上手になります。それは、本人の生得的な片付け能力というより、サラリーマンの人生のほうが、波風が少ないということなのだと思います。

2,ワガママパターン:自分が、これからの数年の間、何をしたいか、ビジョンが明確な人は、片付けるのが上手になります。
大抵は、ビジョンが明確なのは、良いことです。所詮、自分の人生ですからね。でも、ビジョンが明確というのは、必ずしも良いことばっかりというわけではありません。どうにもならない馬鹿馬鹿しいビジョンとか、単なるワガママを掲げて自滅する人だって、世の中には多いのです。ま、たとえ、無謀なビジョンであれ、あるいは単なるワガママであれ、「自分は、これをしたいんだから、これは不要」なんて決める力がある人は、必然的に片付け上手になります。なので、ブログのネタを書くためにいきなり四国に移住してしまうようなタイプの人が片付け上手になるのは、当然です。

3,追随者パターン:要するに、ああいう人になりたいとか、ああいうふうになるだろうっていう明確なモデルがいるという人です。
自分も、代々続いた家業を継いだ人などで、自分の親と同じような人生を歩むだろうと漠然と思っている人や、尊敬している上司や先生、芸能人がいて、その真似をしている人なんかは、必然的に片付け上手になります。たとえば、マイケル・ジャクソンみたいになりたいとか、スティーブ・ジョブズみたいになりたいと、日々、強く願っているような人は、自分の部屋のインテリアの中で、マイケルやジョブズだったら持たないだろうものは捨ててしまいます。そういう人は、ファッションにも、部屋のレイアウトにも、ほぼ、明確なあるべきイメージがあるので、片付け上手になります。

そういうわけで、たとえば、病気の療養中で、この先、どれくらい治療に時間がかかるかよくわからないとか、就職活動中の学生で、これから、どこのどういう企業に勤めることになるか予想がつかないとか、あるいは、いきなり夫の都合で四国の限界集落に引っ越すことになった女性とか、そういう人は、まあ、みなさん、先が見通せない人生の真っ只中にいるわけで、片付けが上手になるのは、まあ、無理とまでは言いませんが、なかなか、難しいのではないかと思うわけです。