2014年6月23日月曜日

「Wikipediaの医学関連の記事の90%が間違い」について(その2)

「Wikipediaの医学関連の記事の90%が間違い」について(その1)のつづきです。
前回書いたように、Wikipediaの医学関係のページには、時々、間違いが入り込みます。
そして、その間違いの多くは、一定の傾向があります。
つまり、
1,記述が古い(必ずしも、最新の論文を参照して書かれているわけではない)
2,そのテーマについて意見の不一致があり、少数派の意見を持っている人が強い正義感と信念を持っている場合、多数派の意見について記述が足りないことがある(つまり、一般的な見解に反対する強い信念を持っているカルト的な集団がいるとき、編集が、そういう集団の意見に引きずられてしまう)
3, 特定の会社や、その商品に都合の悪い記述は、なぜか、消えてしまうことがある
といった傾向が認められるのです。

もちろん、これらの間違いは、多くの場合、普通の調べ物に不都合をきたすほどの問題ではありません。
今回話題になっている記事の元論文では、研究者たちが、「10種類の病気に関するページを調べたところ、そのうち、9つのページで、主要な診療マニュアルの最新版や最新の科学的知見との不一致」が見つかったということです。
これは、医師が、この記事を参照しながら診療するとしたら危険ですけれど、普通の調べ物には、大きな問題にはならない程度であろうと思います。

さて、僕は、この3つの傾向のうち、1については、ある程度仕方がないと思っています。通常の百科事典、たとえば、ブリタニカや平凡社だって、この欠点は同じです。どうしたって、百科事典の編集には、それなりの時間がかかりますから、事典の記載が、最新の論文の内容を反映しているということはありえません。この点、むしろ、今回の記事で批判されているWikipediaの方が、記述は新しいことが多いと思います。もちろん、最新の知見に基づいた記事が読めればそれに越したことはないですが、たとえ、多少古い記事であっても、普通の調べ物には問題はないはずです。

問題は、2と3です。
これらの問題は、Wikipediaに特有の現象、つまり、だれでも編集可能であるがゆえに、強い信念を持っている人や、強い利害関係を持っている人が積極的に編集に参加して、一般的な意見を排除してしまうという現象です。

僕は、たとえ、専門家が定期的にWikipediaを添削しても、少なくとも医学関連の記載については、この種の問題は、うまく解決できないだろうと思います。
なぜならば、第一に、医師や医学関係者の間でも、時々、かなり変わった意見を持っている人がいるからです。
第二に、医学というのは、たとえば、数学や法律などのような厳密な法則や原則がある学問でなくて、かなりのところ、病気や健康に関する事実の列挙でしかないからです。そういう学問領域では、なかなか、間違っている意見を間違っているとして排除することは難しいのです。
法則や原則を欠いているため、少々耳慣れない学説を聞いても、それが、事実であるにも関わらず自分がたまたま知らないだけなのか、それとも、まったく事実でないのか、多数派の誠実な医師や医学研究者には、区別がつけにくいことがあるためです。

僕は、こういう問題は、事典の説明に複数のバージョンを認めること、それから、その複数のバージョンの間で、どのバージョンが一番多くの専門家から支持されているか多数決を取るということでしか、解決できないのではないかと思っています。
つまり、各分野の専門家の専用アカウントを作り、複数の説明ページのうち、どちらのほうが妥当だと思うか、投票してもらうのです。

専門家の間でも意見が割れる問題について、どの意見が科学的に正しいかWikipedian同士で厳密な議論をするというのは、少々非現実的です。
しかし、そういう場合でも、専門家の間の多数派、つまり、一番平均的な専門家がどの意見を信じているか、というのは、参考にすべき意見を決めるにあたって、非常にわかりやすい指標になると思います。

もちろん、多数派の意見であることは、必ずしも正しい意見であることは意味しません。科学の歴史は、多数派の意見が、何度も何度も否定され、その都度、新しい多数派が形成されてきた歴史でもあります。しかし、それでも、多くの場合、専門家のうちの多数派が何を信じているかを知ることは、現時点で一番リスクの少ない判断をするための簡単な方法なのです。

Wikipediaは、専門家の間で意見が割れているような話題には、できるだけ踏み込まない方針をとっています。しかし、医師の間で、複数の意見が存在する場合、医師の多数派が信じている意見がどれなのか知ることは、非常に重要だと思います(僕は、ここで、少々変わった信念を持って精神医学や漢方をやってらっしゃるU先生や、数多くのベストセラーで、標準的ながん治療に批判的な意見を主張していらっしゃるK先生を想定しています。様々な少々変わった主張をされる先生方の支持者の人たちに対して、少なくとも、それが多数派の医師の普通の見解ではないということは、分かりやすく伝えられるべきだと思うのです。僕は、ああいう意見の信者の人たちは、もし、その意見を強く信じるようになる前の段階で、それが普通の医学の見解ではないということを知ることができたなら、実際には信者になった人のうち、相当数の人がそれをそこまで強く信じることはなかったのではないかと思うのです。)。

Wikipediaは、百科事典を目指しているわけであって、ここで書いたような仕事は、彼らの仕事の範囲の外かもしれません。それであれば、どこか別に、僕達が、そういうサイトを作るべきかもしれません。

とくに、今後、日本では、混合診療が事実上、解禁されていくことが決まっています。
日本の医師は、今後は、より強く、標準的な意見が何なのか、分かりやすく提示することが求められていくのではないかと思います。

2014年6月18日水曜日

「Wikipediaの医学関連の記事の90%が間違い」について(その1)

Wikipediaの病気についてのページの90%が間違い
という話があって、いろんな記事になって、まあ、最近話題になっているのだけれど、これについて、少し思っていることをまとめておこうと思う。

まず、第一に、実は、この記事のタイトルは、かなりミスリーディングである。記事内容をよく読むと、「病気についてWikipediaにかかれていることの90%が間違い」なのではなくて、「Wikipediaの病気についての項目のページの90%が、ページのどこかに間違いを含む」という話なのである。前者と後者では全然違う。病気について書かれていることの90%が間違いであれば、そんな百科事典はまるで使い物にならないが、病気についての様々な記載のどこかに間違いが含まれる割合が90%というのであれば、注意して内容を確認しながら使えば、十分に使い物になるだろう。もちろん、医者が、ときどき間違いが含まれる百科事典の記事をそのまま信用して治療したりしたら、そりゃあ、問題だろうけれど、そもそも、百科事典というのは、そういう使われ方をするようなものではない。

そういうわけで、僕自身は、結構、医学関係の調べ物にもWikipediaを使っている。たとえ、完全には信用できない、あとで記事内容を確認しなくてはならない百科事典であっても、とりあえず、ネットに繋がっていればいつでも読める、そこそこまとまった記事がそろったWikipediaは、調べ物には非常に重宝するのだ。

そういうわけで、医学関係のWikipediaのヘビーユーザーである僕は、「医学関係のWikipediaの間違い」も、そこそこ経験しているように思う。そして、きちんと統計をとったことはないが、確かに、そういう僕の感覚でも、Wikipediaにある医学関連記事のうち、80〜90%くらいの記事は、どこかしら不適切な記述を含んでいるように思われる。
 
僕には、Wikipediaの医学関連の記事の間違いには、一定の傾向があるように思われる。そういうWikipediaの間違いの傾向は、たぶん、医学関係の調べ物にWikipediaを使う多くの人にとって気になるところだろうから、ここにまとめておこうと思う。
僕の感覚では、多くの不適切な部分というのは、以下のようなものだ。

1,記述が古い。
元の論文を読んではいないのだけれど、おそらく、「Wikipediaの記事の90%を間違い」という結論を出した今回の調査の中で、最も問題視されたのは、ここだと思う。というのは、この調査をした医師は、「主要な診療マニュアルの最新版や、最新の科学的治験と比較しての不一致」と書いているらしいから。確かに、Wikipediaの記述は、少し(数年程度)古い教科書や論文を元にして書かれているものが多い気がする。しかし、これは、最新の論文の記載が、Wikipediaの記事になるまでのタイムラグだと考えれば、当たり前ことだ。
Wikipediaの記事は、他の一般向けの記事を参考にして書かれることが多いようだ。そうだとすると、最新の論文がWikipediaの記事になるには、まず、最新の論文の内容が総説論文にまとめられ、それが一般向けの記事に反映され、さらにそれを参考にしてWikipediaの記事が書かれる。おそらく、その過程で数年程度の時間がかかるのだろう。
僕は、この、記事の遅れという問題は、 Wikipediaを使う人が、そういう問題の存在を理解していれば、大きな欠点にはならないのではないかと思う。つまり、Wikipediaは、あなたの調べたい病気について、分かりやすくまとめてあるかもしれないが、そこに書いてある検査方法や治療方法は最新のものではないかもしれない、ということだ。最新の知識がほしい時には、Wikipedia以外のサイトや本を合わせて参照してほしい。

2,そのテーマについて意見の不一致があり、少数派の意見を持っている人が、強い正義感と信念を持っている場合、多数派の意見について記述が足りないことがある。
これは、1,よりも数はずっと少ないが、結構深刻な問題だと思う。
たとえば、ある種の陰謀論を信じている人がいる。そういう人たちによると、ある予防接種の背後には、国民を不妊症にして人口調整をしようとする外国政府や秘密結社の陰謀がある。あるいは、その予防接種は、実は、病気を予防する力などないのに、ただ、単に、医師と製薬会社が収益を上げるためだけに病気の予防ができるかのように宣伝されているのだと主張する人もいる。また、精神科で処方される薬は、実は、全く効かないのに、医者の金儲けのためだけに処方されていると主張する人もいる。がんには抗癌剤は一切効かないし、がんの外科手術はほとんどが無駄だと主張する人もいる。
これに対して、多数派の医師は、そのようには信じていない。確かに、予防接種の後に、有害な現象が起こることはある。しかし、そういった有害な現象による害と、予防接種が病気を予防してくれる利益を比べて、後者のほうが大きいと考えているから、予防接種をするのである。薬も、通常は、副作用によるデメリットに比べて、治療効果によるメリットのほうが大きいと考えている場合にのみ処方されるし、手術だって、そういうものだ。
もちろん、多数派の医者の間でも、実際には、少々のややこしい議論はある。たとえば、ある種の予防接種、たとえば、子宮頸がんワクチンについては、絶対にメリットのほうが大きいと言えるか、というと、僕は今の時点では、まだよくわからないと思っている。だから、多くの人に接種を勧める前に、もう少しだけ様子を見ても良いのではないかと思っている。また、向精神薬を過剰に投与している医者があちこちにいると感じているし、そういう医者に、なんらかの対策が必要なのではないかとも思っている。でも、こういう種類のデリケートな議論は、上のような極論をいう少数派とは、完全に別物だ。
問題は、こういう少数派の一部が、かなり強く自分の意見を信じていて、奇妙なくらい強い正義感と信念を持っていることだ。
どうも、ときどき、そういう「正義の少数派」がWikipediaにやってきて、自分の奇妙な意見を書き込んだり、自分が気に入らない意見を消して回ったりしているようだ。もっともWikipediaに書き込まれた「正義の少数派」の奇妙な意見は、たいていは、すぐに消される。しかし、一旦消された「不正義の多数派」の意見を書き直すのは、案外たいへんである。結果、何度か繰り返される編集合戦の後、「正義」の意見は消されるものの、「不正義」の意見も記載不足という平衡状態に陥っていることが多いようだ。奇妙な論争がある分野では、他のサイトや本を合わせて参照のこと。

3,特定の会社や、その商品に都合の悪い記述は、なぜか、消えてしまうことがある。
これも、2,と同じ、編集合戦の結果、起こるものだろうと思う。ある種のサプリメントや健康食品に対する批判は、たとえ、医学的に正しくても、消えてしまうことがある。時に、あまり科学的でない記述に置き換えられることがある。もっとも、そういう記載の多くは、しばらくたつと、また訂正される。Wikipediaにある、サプリメント、化粧品、健康食品などについての記載は、あまり信用しすぎないこと。

というわけで、Wikipediaの間違いの傾向について、書いてみました。
こういう問題が発生するのは、個々の記事の問題というよりも、そもそものWikipediaの設計や運営の本質的な欠陥が原因のような気がします。そういうわけで、次の記事では、どうしたら、こういった問題が解決できそうか、考えてみることにしましょう。
その2につづきます)

2014年6月9日月曜日

「お薬手帳」と「お薬手帳を断ること」について思うこと

 「お薬手帳断ろう、20円安く」 Twitterで情報拡散 薬局などは有用性PR

「お薬手帳を断ろう」という動きがあるようです。

僕としては、この「お薬手帳」について、いろいろ思っていたこともあるので、この機会に、ちょっとこれについて書こうと思います。

薬というのは、飲み合わせ、つまり、「この薬を飲んでいたら、こっちの薬は飲むべきではない」というような組み合わせがあります。また、人によっては、特定の薬でアレルギーや有害な副作用が起こりやすいということもあります(過去に、そういうトラブルの経験のある人は、その記録は非常に大切です。記録があれば、同じトラブルを繰り返すことが避けられるからです。)。また、これまでどういう薬を飲んできたか、ということが病気の診断のために重要な情報になることもあります。ですので、患者が過去にどういう薬を飲んできたか、また、今、どういう薬を飲んでいるか、ということがわかることは、処方する医師にとっても、薬を出す薬剤師にとっても、もちろん、患者自身の健康にとっても、非常に大切なことです。

僕は、お薬手帳というのは、そういった情報を、患者自身に管理してもらうために作られたツールだと思っています。こういった情報は処方する医者にとって非常に大切ですので、僕は、複数の病院や診療書にかかっている患者については、診察時、必ず、お薬手帳(もしくは、その代用品、後述します)を見せてもらうようにしています。

ところが、そのお薬手帳の情報なんですが、僕自身は、正直のところ、あんまり信用できないと感じています。
というのは、
1,お薬手帳にシールを貼るのを忘れている人が多い。
2,お薬手帳を受診時に忘れてきたりする人も多い(そうなると、シールを貼り忘れたり、お薬手帳を再発行することも多くなりますから、情報が分散してしまいます)。
3,お薬手帳を紛失する人が多い。

こういうことが多くなると、処方する医者としては、お薬手帳を見せてもらっても、そこにある情報だけでは、これまでどういう薬を飲んでいたか完全に網羅できていない可能性を、常に考えなくてはならないんですね。モレがある可能性が高い履歴情報をあまり頼りにしすぎるのは危険です。これが、僕がお薬手帳をあんまり信用できないと感じている、という意味です。

ですので、僕としては、今回のお薬手帳を断る動き、それ自体は悪いとは思いません。ただ、お薬手帳を断る人も、自分が処方された薬の名前と量が、きちんとわかるように記録を取るようにしてください。メモ書きでもかまいませんし、薬袋や薬の説明書きの紙をとっておいてもかまいませんし、それらを携帯電話などで写真にとっておいてもかまいません。もちろん、お薬手帳を持ち歩いて頂いても、かまいません。

逆に言えば、もし、きちんと薬の履歴情報がわかるようにさえしていただければ、お薬手帳を持っていても、いなくても、どちらでも構わないと思ってます。

さて、お薬手帳の代わりに、僕自身が自分の患者に薦めているのは、受診した後に、お薬手帳に貼るシールか、医者からもらった処方箋を携帯電話で写真をとって残しておくことです。
しょっちゅう病院にかかる人であればともかく、半年に一回程度しか受診しない人の場合、かなりの確率で、お薬手帳を紛失します。また、受診するときに、手帳を忘れてくる人も多いです。しかし、最近は、携帯電話を忘れて外出する人はあまりいません。いまどきのスマートフォンであれば、機種変更しても写真などは同期できますから、スマートフォンは、履歴を残すには丁度いい端末だと思っています。

ちなみに、薬歴管理のためのスマホアプリなどもたくさん出ていますが、そういうものは、あまりおすすめしません。どうせ、複雑な機能などは必要ないことが多いですし、そういうアプリは、機種変更時になどにデータを移行するのも面倒です。薬の名前と量がわかる写真さえ、きちんと保管できれば十分です。

ご参考になれば。