2014年2月24日月曜日

キラキラエリート

ヤンキーというのが、増えているそうです。
ご存知でしたか 日本人の9割がヤンキーになる 1億総中流の時代はよかったなぁ

マイルドヤンキーっていうんですか?
「子だくさんで、名前はみんなキラキラネーム、毎週末、ワンボックスカーでイオンに乗り付ける低学歴の肉体労働者」みたいなひとだそうです。

この記事によると、地方の住民の9割は、そういう人だとか。

本当でしょうかね。

もし、そういう人が、そこまで多いのであれば、もっと出生率の統計に大きな影響があっても良いような気がしますけれどね。

先日、
「僕の周りでは、急に子供が多い家族が増えたんだよね。みんな、どこのうちも3〜4人の子供がいるんだ。」
なんて言う人に会いました。
そういう人も増えたのかもしれません。

週末のイオンは混んでいます。
郊外のイオンにクルマで来て、一日時間を潰す人も増えたんでしょう。

となると、子だくさんでイオンが好きという人たちの集団が、確かにいるんでしょう。増えているんでしょう。もちろん、地方に、そういう人ばっかりがいるというわけではないけれど、でも、自分の周囲には、そういう人しかいないよ、と、そういう風に感じる集団が増えてきているってことでしょうね。

おそらく、日本人が一枚岩だった時代が少しずつ終わりに近づいていて、かわりに、日本人全体が、細かな沢山のクラスタに分かれてきている、そして、少しずつ、お互いの価値観や生活が見えにくくなっているってことなんだと思います。

そう。「細かな沢山のクラスタ」です。

マイルドヤンキーとかヤンキー経済について書いている多くの記事では、「ヤンキー」と「エリート」(高学歴で都会のタワーマンションに住んでいる、子供をあまり作らない、たとえ子供を作っても、子供にキラキラネームなんて付けないっていう連中)を対比しているんですけれど、そういう二分法は、現実に即していないんじゃないかという気がします。

さて、表題の「キラキラエリート」というのは、「子だくさんで、子供にキラキラネームを付けたがる高学歴層」の意味です。今日僕が作った造語です。

僕は、時々、東京近郊の大きな駅の近くの、いくつかタワーマンションが並んでいる地域の小さな診療所で医者をしています。

診療所の近くの駅から都心まで電車で一本の交通が便利なところなので、周囲のタワーマンションには、都心の企業に勤めている高収入のサラリーマン層が多いんです。しかし、その大きな駅から各駅停車でひとつ離れた隣駅は、周辺に風俗や飲み屋が多い地域で、その周辺には、たぶん、あまり収入の多くない層の人たちがたくさん住んでいます。

僕のところにくる患者は、その両方の地域の住民(と、その子どもたち)が混ざっています。

保険証見ると、僕達には、どういうところに勤めているのか(さらには、生活保護受給者かどうか)分かるわけですが、それを見ると、その両者の地域で全く階層が違うことが分かるわけです。
僕はファッションには疎いのですが、それでも、最近は、着ている洋服や持ち物だけで、患者がどちらの地域の人か分かるようになりました。

さて、その子どもたちの名前の話です。

いわゆる「キラキラネーム」、つまり、耳慣れない個性的な名前、男性の名前か女性の名前か分かりにくい名前、漢字が読みにくい名前、外国人の名前を連想させる発音に当て字したような名前、そういう名前は結構みかけます。

で、先の記事などでは、低学歴低収入層にキラキラネームが多いとのことでした。

ですが、僕には、キラキラネームの頻度は、親の収入にあまり関係ないように思えるのです。

「日本人のヤンキー化」というのが本当かどうかはわかりませんが、仮に、「ヤンキー」が増えているとして、僕には、キラキラネームの流行は、「ヤンキー」の流行とはあまり相関の高くない話題のように思えます。

キラキラネームを子供につける高収入のサラリーマンは結構います。

ただ、きちんと調査したわけでもないですが、保険証の勤務先を見ていると、勤務先に一定の傾向があるような気もしています。
つまり、高学歴の人が集まる職場のうちでも、「子供にキラキラネームをつける同僚なんていない、自分の周囲にはキラキラネームなんて見たことがない」という職場と、「キラキラネームをつける社員は結構いる、そういうの普通だし違和感ないよ」という職場とに、割合、明確に分かれているんじゃないかと思うのです。

同様に、「ヤンキー」の中にも、キラキラネームなんて見たことないというクラスタと、キラキラネーム普通っていうクラスタに分かれているのかもしれません(ただ、こっちは、中小企業や自営業が多いですから、保険証ではよくわかりません)。


僕は、キラキラネームが増えてきた理由は、日本人が憧れる対象が、少しずつ、日本人に限られなくなってきたからではないかと思っています。

親が、自分の憧れる人、尊敬する人の名前や、それに似た名前、同じ文字を使った名前などを子供につけるというのは、昔から普通のことです。

僕は「角栄」という名前の新潟県出身者を2人知っています。言うまでもなく、あの元総理大臣にちなんで付けられたネーミングです。

スターや俳優にちなんで名付けられる人も多いです。
「旭」と「裕次郎」を、それぞれ何人か知っています。
女性で、「小百合」も「聖子」も何人か知っています。

有名な学者にちなんで名付けられる人もいます。
知人の「秀樹」は、あのノーベル賞受賞者から付けられたそうです。

そういう名前は、普通は、キラキラネームとは言いません。
日本人らしさを感じる、伝統的なイメージの名前だからです。

しかし、国際化に伴って、徐々に、我々の憧れる対象は、必ずしも日本人ではなくなってきています。
もし、バラク・オバマやレオナルド・ディカプリオやブリトニー・スピアーズに憧れる人が、子供に、それを連想させるような名前を付けたくなったら、どうすればいいのでしょうか?

おそらく、どうしたって、個性的な名前をつけることになっちゃうんでしょう。

こういう、子供に個性的な名前を付けることは、昔から、富裕で知的な階層にもよくあったことです。森鴎外は、子どもたちにかなり変わったドイツ語風の名前を付けました。どういう理由でそういう名前を付けたのかは知りませんが、彼の留学先がドイツであったことと、何か関係があるのでしょう。江崎玲於奈が、どういう理由で、あんな名前を付けられたのかも知りません。でも、少なくとも、森鴎外も江崎玲於奈も、両者とも、十分に知的な人であることは知っています。

おそらく、近い将来、僕達の周囲には、いまよりももっと外国人のような名前が増えてくるでしょう。

国際的な人の流れが増え続ければ、そうなるのが自然ですし、それは、良し悪しを論じるような種類の問題ではないのではないかと思います。

自分としては、他人の名前について、伝統的な日本人風の名前でないからという理由でキラキラネームだのヤンキーだのと揶揄するのは、そっちのほうがよほど嫌な「常識人」だな、と感じます。

人の名前が読みにくいくらい、別にいいじゃないですか。そうおもいます。

2014年2月17日月曜日

大人には大人の戦い方がある。

少し前に話題になった、武井荘のインタビュー記事です。

この記事を読んでから、色々考えています。

僕は、もう、今年40歳になります。もう、それほど若くはありません。
そうなると、自分よりずっと若い人は、自分より体力も記憶力があるわけです。
時には、彼らと戦わなくてはいけないこともありますし、まだまだ、彼らにバカにされるようなロートルの中年にはなれません。

僕は、まだまだ、今後も新しい分野にチャレンジしたいとも思っています。四十の手習いです。
もちろん、そういう、僕にとって新しい分野にも、それぞれ、若い頃から頑張って英才教育を受けてきた連中がいるわけです。四十で勉強を始めた分野で、四つから勉強してきた連中と一緒にやって、勝たないまでも、せめて、それなりに恥をかかない程度には頑張らなくてはいけません。

そういうことを考えていましたので、リンク先の記事には、非常に考えさせられました。
その記事で、武井が言っていることはこういうことです。

大人には大人の戦い方がある。
子供の時から練習してきた連中に勝つには、大人の戦い方が必要だ。

勇気の出る言葉です。

そして、その、大人の戦い方というのは、彼のフィールドでは、
自分の体を知る。そして、自分の体の使い方に習熟する。
ということに尽きるのですね。

自分の体を知ることのほうが、個々のスポーツを知ることよりも、長い目で見るとずっと有効な練習になるのだ、ということです。

おそらく、頭脳労働に近い分野でも、同じことです。

自分の心や脳をよく知る。そして、自分の心の使い方に習熟する。
そういうことは、多くの人が思っているよりもずっと大切だと思います。

そういう言い方をすると、なにやら妙に仏教っぽいですね。いかにも、お釈迦様あたりが話していそうな言葉です。要するに、これは、かなり普遍的なライフハックなのでしょう。

さて、僕は、現代的で統計的な医学を日々使っている身ですので、こういう話を聞くと、統計的に多くの人に通用する、「普通人の心の使い方」みたいな話が作れるんじゃないかな、と妄想したりします。

このあたりは、今後も考えて行こうと思います。

まだまだ負けませんぞ。

2014年2月11日火曜日

都知事選後の雑感メモ

地域別の得票から

ハフィントン・ポストに、各候補の地域別の得票分布を示した地図が出ていました。
東京では、それぞれの地域ごとにメジャーなライフスタイルが大きく異なりますので、どういう人がそれぞれの候補者を支持したのか、これを見るとよくわかります。
いろいろ、おもしろいところがあるのですが、とりあえず、僕が気になったところをメモします。
1,細川支持票は、23区に集中している。従来、民主党支持層が多かった三多摩は、むしろ、宇都宮支持が多い。
元々、民主党が強かった東京西部(菅元総理大臣の地盤だったエリア)では、細川票は決して多くありませんでした。これは、かなり意外でした。僕は、従来、民主党を支持してきた層と、今回の細川支持者は、ある程度一致していると思ってきたからです。かつて菅元総理大臣の地盤だった地域の人達は、むしろ、今回宇都宮さんに入れたようです。おそらく、細川票の相当部分は、小泉さんが運んできた、「保守だけれど脱原発」という層だったのでしょう。

2,田母神票が、比較的富裕な地域に多い。
これも意外でした。田母神さんの支持者は、「ネトウヨ」と呼ばれる、自民党の本流よりもかなり右寄りの、核武装論者で改憲論者で嫌韓の人たち、在特会などの運動にもシンパシーを感じている人が多いものと認識しています。正直、僕には、こういう人たちはそれほど裕福でなく、また、あまり知的ではない人たちではないかという先入観がありました。
しかし、僕の思い込みと異なり、田母神票は、かなり生活にコストのかかる地域に多い(しかも、東京全体で60万人もいるということ)ようです。
ということは、すでに、「ネトウヨ」的な意見を持つ人たちが、社民党と共産党の合計に匹敵する数になっており、しかも、そこそこ高い所得を得られるような地位を占めるようになっているということです。これは、僕には衝撃でした。
ちなみに、家入票も、地域分布は、田母神票とほぼ同じ傾向を示しています。

3,宇都宮支持層と舛添支持層の地域分布は、非常に似ている。
これも、少し意外ですが、従来型の自民公明支持者(つまり、田母神さんを支持するような人ではない、昔からの自民党を支持するような人たち)と社会共産支持者には、支持政党は違えど、互いによく似た部分がある、ということでしょうか。

全体として、宇都宮、舛添支持者の多い地域と細川(小泉)、田母神、家入支持者の多い地域に大きく分かれていると言ってもいいでしょう。
おそらく、前者は、これまでの政党や政治家を、そこそこ支持し続けている人たち、後者は、それぞれ方向性は違っても、これまでの政党や政治家を拒否している人たち、ということでしょうか。

これまでの政党に拒否感を持つ人たちの間で、お互いに全く相容れない複数の方向性が同時に芽生え始めているというのが、非常に面白いと思います。

2014年2月10日月曜日

そういえば、URL変わりました。

そういえば、半月ほど前に、このブログのURL変わりました。

以前は、独自ドメイン(http://www.drstodo.com)でやっていたんですが、独自ドメイン面倒くさくなって、今は、bloggerのデフォルトのURL(http://drstodo.blogspot.jp)で運営しています。

URL変更して以来、急にアクセスが減ってしまいました。
まあ、それは別にいいのですが、もし、ブックマークなどつけていた方がいらっしゃったら、変更していただけると幸甚です。

広島大学医学部の神経解剖の大量不合格の話し。

広島大学医学部の神経解剖学の追試験で大量の不合格(127人中120人が不合格)があり、ここしばらく、ネット上で話題になっていました。

僕の母校の話でもあり、興味を持ってみていたんですが、ネットで言われていることが、少し、僕の知っている母校の様子と違うところがあるようなので、これについて、書いてみることにしました。

この講義は、僕の学生時代(今から、およそ20年前)には、第二解剖学と言われていました。当時も、今回、120人不合格を出した楠元先生が講義していました。授業を受ける態度などにうるさい先生でしたので、一部の学生からは煙たがられていましたが、熱心な良い先生だったと思います。
たぶん、MDではなかったと思います。
「医者になるんだったら、もっと一生懸命勉強して欲しい」と、授業中、口癖のように繰り返していました。

掲示板などで、この大量不合格の話について、この先生の教え方が悪かったから沢山の学生が不合格になったのではないか、という推測がなされていますが、たぶん、違います。僕の知る限り、彼は、生真面目なキャラクターで、非常に熱心な講義をする良い先生でした。この先生は、試験では、多くの不合格を出すことで有名な厳しい先生でもありましたが、当時は教授ではなく、自分の講義の担当である組織学(ミクロの解剖学)だけを試験するだけで最終的な単位の合否を決める権限はありませんでした。

毎回、本試験と追試験が同じ問題という「悪しき伝統」があったという話も出ていますが、これは、よくわかりません。少なくとも、20年前は、この「伝統」は、少々違っていました。

20年前、この科目は、本試験も追試験も、大体、昨年と同じ問題が出ることが多い教科でした。ただ、数年に一度、出題傾向が大幅に変更されることが、ほぼ「伝統」になっており、その時、大量に留年者がでることが多かったはずです。そういう教科だということは学生たちも承知しており、みんな、昨年度までの過去問を元にヤマを張るのですが、それでも、一応、大幅問題変更に備えた勉強もしておくのが「伝統」になっていました。

では、学生のほうが不真面目だったのでしょうか?

自分の経験に照らして、どうも、そうではなかったのではないかという気がします。少なくとも、僕が学生だった頃は、この学校は、かなり真面目に勉強していても、時々、こう
いう「事件」が起こる学校でした。

僕などは、あまり真面目なほうの学生ではありませんでしたが、それでも、今でも、大学時代の試験の前の勉強を夢で見て、うなされることが時々あります。

20年たってもまだうなされるほどの勉強をしていても、それでも、いつも、単位をもらうのはギリギリでした。

他の大学でも、医学部にはそういうところが結構あるのかもしれません。でも、大学によって、かなり差があるようにも思います(そういう「厳しさ」の比較は難しいですが、つい最近まで勤務していた某大学などは、僕の母校より少々ラクな単位の判定をしているように感じます。)。

今回の試験の不合格ですが、どうも、これでただちに全員留年ということにはならないようです。成績は、他のいくつかの試験と合わせて総合的に判定されるそうで、おそらく、そこで、多少手心が加えられることになるでしょう。本当に120人不合格にしてしまえば、学校のカリキュラムが回せませんから。

さて、僕が何を言いたいのかと言いますと、今回のような話は、少なくとも僕の母校では、そう珍しくないということです。それは、教官も学生も真面目にやっても、それでも時々起こる「事件」なのです。

(少なくとも一部の)大学医学部というのは、そういうところです。

京都の老舗の箸屋の箸と似た使い勝手のプラスチック箸

「みやこばし」という箸があります。

京都の市原平兵衛商店の箸で、非常に使いやすいとか、子供にこれを使わせると品のいい食べ方になるとかと評判の箸です。

興味はあるのですが、少々値段が高いので、僕は使ったことがありません。

代わりに、もう少し値段の安い、よく似た形の竹の箸を買ってきて使っています。それでも使い勝手は悪くないんですよ。でも、以前から、今使っているこの箸よりもっと良い箸を、もっと安く作れるんじゃないかと思っているのです。今日は、そのアイデアの話です。

良い竹の箸って、非常に使いやすくできています。
あの使いやすさのためには、箸の先の細さや箸の先の形状が重要なんですね。上の「みやこばし」も箸の先が独特の形に加工してあります。
そして、そういう加工をするには、素材の曲がりにくさ、硬さ、変形しにくさが重要なんですね。十分な硬さがない材料で作った箸で箸の先に細かい加工をすると、箸の先がもろくなって簡単に壊れてしまうからです。

で、そのために希少な硬い竹を使うと高価になる、と。つまり、高価な竹の箸が高価なのは、材料が高価だかららしいんですね。

で、僕は思うわけです。そういう条件を満たしたプラスチックなんて、普通にあると思うんです。であれば、「京都の老舗の箸屋の箸と同じ形状で同等の使い勝手のプラスチック箸」というのは、比較的簡単に作れるんではないか、と。
絶対良さそうなのに、これを見かけないのはどういうことだろう、と。
いい箸とほとんど同じ使いやすさの安い箸。売れる気がするんですけれどね。特に箸の持ち方とか子供に教えるときに絶対便利と思います。

だれか、作ってくれませんか?
それとも、僕が知らないだけで、もう、あるんでしょうか?

Windows8の新しいインターフェイスってどうでしょうか?

実は、まだ、買っていません。Win8タブレット。
ほしいな、とは思っているんですけれどね。

ただ、ウィンドウズストアアプリってまだまだ少なくて、少なくとも、僕が使いたいようなものは、まだ揃っていないんですよね。なので、買うのはもう少し待とうか、という話になる。普通の従来型のウィンドウズとして使うんなら、それはそれでいいんですが、それだったら、わざわざ、買い換える必要ないですしね。

じゃあ、なんで欲しいのか。実は、Win8のインターフェイス、ModernUIに、すごく興味があるんです。

というのは、新しいUXのガイドラインとか読んでると、これは、面白いなぁ。えらく考えぬかれているなぁ、と思うんです。非常にシンプルで、わかりやすくていいな、使ってみたいな、と。
Design Languageというだけあって、見た目はシンプルなんですが、「言語」みたいに、一定の「文法」があるんですね。で、使っていくうちに、その文法は自然に覚えられるように、また、文法を覚えてしまえば、はじめてのアプリでも非常に使いやすいように、工夫されているんですね。

ただ、現時点では、アプリが少なくて、僕にはちょっと使い道がない。
しかも、ModernUIの評判は、あまり良くない。

もし、買っても、ああ、結局、これは使い物にならないな、って思うようなシロモノなら、すぐにゴミになってしまいます。そういうものかもしれないと思うと、中々買えないんですよ。

そういうわけですので、もしよろしければ、皆様のウィンドウズ8/8.1のModernUIのの使い勝手の評価を教えていただきたいのです。

よろしくお願いします。


2014年2月3日月曜日

都知事って何をする仕事か、実は僕達はあまり知らない。

都知事選が話題になっています。

で、その中で、都知事の権限についても話題になっています。
いまさらなんですが、どうにも、僕は、都知事の権限の範囲ってのが、よくわからないんです。

そもそも、都の仕事って、なんなんでしょうか?
都の政策とか都のサービスってのがあるのは知っています。でも、各区市には、それぞれの区市の政策や予算があるわけです。もちろん、国には国の政策があるわけです。正直、身近な話題の中で出てくる公共の仕事の中で、どこまでが都の仕事でどこからが国や各区の仕事なのか、正確に説明できる人はどれくらいいるんでしょうか?

正直、僕は、これまで、そのあたり曖昧な理解のままで生活してきました。都庁の普通の仕事を、少なくとも僕はあまり知りません。

しかし、そういう都庁の通常業務については、僕達は、都知事が相当に変な人でも、それほど滞りなく行われるというのも知っています。これは、歴代都知事に対する普通の観察から分かることです。おそらく、多くの都知事はあんまり都庁の通常業務には関与しないで事務方に任せきりなんでしょう。

その一方で、東京都は非常にパワフルな自治体です。ですから、しばしば、都知事は「越権行為」のようなこともやるし、できてしまうわけです。どちらかというと、僕達が記憶している都知事の仕事っていうのは、その「越権行為」のたぐいです。

たとえば、石原さんの時代、東京都が、いきなり銀行に外形標準課税をやろうとしたことがありました。あれ、国との間で結構もめていましたが、本当のところ、都が余分に税金を取ることって、どこまでが許されていて、どこからが越権行為なんでしょうか?

都は、しばしば、独自の「外交」もやります。これも、自治体としての正規の権限というよりも、東京という街の国際社会における経済的影響力や情報発信力を背景にした行動なんだと思います。

東京に関係のない仕事も、しばしば都知事は首を突っ込みます。最近だと、東京都が、いきなり尖閣諸島の土地を買おうとした騒ぎもありました。

東京都民にかぎらず、日本の大都市の市民は、しばしば、国の施策と対立する、国にモノを言える首長を選びます。

知られている通り、日本の国会議員の選挙では、大きな一票の格差があり、そのため、国会議員は、しばしば、地方から優先して選ばれます。そうして作られた政府によって、東京や大阪などの生み出す経済的な果実の相当部分が地方に分配されます。都市の市民は、そういう政府の予算配分に大なり小なり不快感を持っています。ですので、大都市民は、そういう地方を代表する政府に反発し、自分たちの首長として、大都市の立場を代弁して国と対決してくれる政治家を選びたがるのです。

例えば、前都知事の猪瀬さんも、その前の石原さんも国の地方を優遇した予算配分に反発する発言をし、また、そういう政府に対立する行動をしていました。大阪の橋下さんもそうです。そういう「国と対立する大都市首長」というのは、僕達にとって見慣れた光景です。

そして、東京には、政府との対決を可能にするだけの力があります。東京は、世界でも有数の巨大都市で、それ自体、ほとんどの国より大きな人口と予算を持つ国家のようなものです。また、日本のどの都市と比べても群を抜いて巨大な都市です。ここには、日本の人口の1割、GDPの2割があり、国税収入の4割を納め、企業の本社の5割、株式売上高の9割、テレビのキー局の10割があります。

たぶん、東京都知事の権力の中では、東京という巨大都市の力を背景にした「影響力」のほうが、法的に認められた都知事の権限よりも、はるかに大きいんじゃないかと思います。みんな、なんとなく、それがわかっているんでしょう。

今回は、原発の是非を争点にしようとした候補、細川さんや宇都宮さんがいて、その一方で、そもそも、東京に原発なんてないし、原発を云々するのは東京都知事の仕事じゃないんだから、原発を争点にするのはおかしいって言う人がいて、ずっと議論になっています。

たしかに、原発の是非を決める権限を持っているのは、都知事じゃないんでしょう。でも、もし、都知事が本気で脱原発を主張したいなら、都は、いくらでも手を打てるでしょう。たとえば、都が、再稼働を検討している原発の周囲の土地を買い占めて、立入禁止にするとか、再稼働を決めた電力会社に、都税を課すとか。もし、都が本気で嫌がらせをしたら、国は、なにがしかの対応をせざるを得ないのではないでしょうか?
 
先日、演説を聞いた田母神さんは、災害時に自衛隊の力を活用することを約束していました。ハッキリとは言いませんでしたが、自分が都知事になったら、自衛隊は都知事が指揮する、っていうニュアンスを込めた言い方だったように思います。でも、たしか、東京都知事には、自衛隊の指揮権はないはずです。だからといって、彼が、できもしない約束をしようとしているというのは違うと思います。もし、都知事に自衛隊経験者がついて、都の権限を利用して自衛隊と交渉すれば、ひょっとしたら、なにかできるのかもしれません。

言っていることが散漫になってきたので、まとめます。
東京都知事について
1,そもそも、都庁の普通の仕事を、実は、僕達はあまり知らない。
2,しかも、都庁の普通の仕事は、都知事が口を出さなくても、都庁の一般職員が普通にこなしてくれる。
3,都庁の普通の仕事以外の都知事の仕事については、一体何ができるのか、さっぱりわからない。

さて、どうやって選べばいいんでしょう?
僕としては、東京が、今後もさらに経済的に成長すると考えてくれている人、そのためには国との対立も辞さない人、あまり、都知事の法的な権限の範囲内の仕事にとどまらない行動をしてくれる人、を選びたいのですけれどね。