2013年11月22日金曜日

邪馬台国とベイズ統計学

先月の文藝春秋の記事です。邪馬台国の位置をベイズ推定で推測するという話。書いたのは安本美典という人です。全く存じあげない人ですが、この記事は非常に面白い。

以下は、この記事について、僕の理解です。

邪馬台国については、魏志倭人伝に様々な記載があります。こういう物を中国から下賜したとか、邪馬台国には、こういうものがあったとか。で、それと似たようなものが日本の各地から出土しているわけです。

もし、その出土品のうちのどれかが、文献中に記載があるものと同じものとわかれば、それで邪馬台国の場所は、ほぼ確定してしまうわけです。たとえば、「奈良市内のドコソコから出土した鏡が、実は、中国の文献中に記載のある、魏から邪馬台国に下賜した、あの鏡そのものである」という証拠があれば、それで、邪馬台国は奈良にあったという強い傍証になります。

問題は、日本の各地から、銅の鏡があまりにたくさん出土していて、そして、もちろん、そのうちのどれかは魏の文帝(曹丕)から卑弥呼に下賜された、あの鏡なのかもしれませんが、どれが、その鏡なのかということがさっぱり分からないということなのです。

では、出土している鏡が、いずれも、一定の割合で、邪馬台国に魏国から下賜された、あの鏡である可能性があるのだと考えてみましょう。そう考えると、魏の鏡である可能性が高い鏡が大量に出土している場所は、邪馬台国であった可能性が高いということになります。

安本氏の、ここから先の議論は、臨床試験などで医師が行う議論とほとんど同じものです。ある現象が体の中で起こっている確率を見積もるために、まず、一定の検査前確率を考えて、それから、一定の尤度比を持つ検査をいくつか行います。その後、検査することで、検査前確率は検査をするごとに変化して、最終的に、目的の現象が起こっている確率を推測できるわけです。安本氏は、鏡以外のいくつかの出土品のデータを「検査」として使って、日本中の各県に邪馬台国があった確率を推定しています。

さて、現代的な臨床医学を行っている身としては、この議論、随分ツメが甘いと思いました。

甘いと思った点を列挙します。
1,これらの「検査」の前の「検査前確率」について。
検査前確率は、これまでのこの分野の議論を踏まえて、ある程度合理的に決めるべきだと思うのですが、どうも、記事からは、そのあたりが曖昧に思われました。

2,各出土品を用いた「検査」について。
尤度比を出土品の数に比例すると考えて議論しているようなのですが、ここは、もうすこしきちんとした議論が必要なのではないでしょうか?
出土品は、いずれも弥生時代末のものです。これらの遺物が現代まで地中に保存される確率というのは、どの程度のものなのでしょう?また、地中にあるこれらの遺物が発見される確率というのはどうなのでしょう?
こういった確率は、出土品の種類によって変わるのではないでしょうか(たとえば、大きな剣と小さな鏡とでは、保存される確率や発見される確率は同じといえないのはないでしょうか?)また、地中にある遺物が発掘される確率は、開発の進んだ都市部と、農村部や山地では、大きくことなるのではないでしょうか?
こういったことの考慮が随分甘い気がします。

3,各「検査」の独立性について。
この記事では、事前確率にすべての「検査」の尤度比を単純に掛けて、最終的な確率を算出しています。つまり、それぞれの「検査」の結果は、互いに独立だと仮定しているわけです。でも、本当にそうでしょうか?
鏡や剣や銅鐸など、それぞれの出土品の出土する確率が独立とはとても考えにくいと思います。

いろいろツッコミどころもあるのですが、しかし、この種の歴史に関する議論にもベイズ推定のような手法が使われるというのは非常に面白く感じました。このような手法は、歴史学や考古学の世界ではどれくらい一般的なんでしょうか?

いろいろ、興味深い記事でした。

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