2016年3月14日月曜日

トンデモに騙されないために必要なのは、科学の知識というより人を見る目だと思います

トンデモに騙されないために必要なのは、科学の知識というより人を見る目だと思います。

これ、トンデモについての私の持論です。


外来診療してますと、私のよく知らない治療法や健康法をしてらっしゃる患者さんが、時々いらっしゃいます。
たいてい、その治療法について、「あれって本当に効くんでしょうか」と意見を求められるのですが、もちろん、私としては、私が知らないものについて話を聞かされても、それが正しいかどうかなんてすぐには分かりません。ですので、それが、どういう根拠でどういう治療をすすめているのか、その患者から話を聞いたうえで、ネットやら本やらで、その治療法の「発明者」の主張を読んだりします。

で、まあ、ある程度調べてから、まっとうな治療法だと思うとか、効果があるかどうかわからないけれど、まあ効果があるとしても不思議じゃないと思うとか、あるいは、これは、全く効果があるとは思えないとか、まあ、私なりに意見を言うわけです。

で、そういう経験から常々思っているのですが、いろいろ調べてみて、やっぱり、全く効果があるとは思えない、つまり、トンデモの部類のものだってわかるものって、たいてい、その見た目からして怪しいんですよ。
正直、
「なんで、こんな変な奴に騙されるの?」
って感じるような怪しい匂いが立ち込めているんです。

そういう患者さんに、
「あの治療法はおかしいですよ」
っていうと、
「そうですか。私には、科学的な知識がありませんから、先生とあの人と、どっちが正しいことを言っているのかなんて分かりませんけれど。。」
なんて答える人がいます。たぶん、なにか、それを信じたい心理的な理由があるんでしょう。けれど、大抵の場合、その種の怪しさを感じ取るのに科学的知識の有無は関係ないのです。

以下、私が思っている、信じて良い意見を言っている人の見分け方です。

1,信じて良い意見を伝えようとする人は、たいていは、できるだけ煽らず、スキャンダラスにならないように、落ち着いて話そうとします。
なぜなら、科学的に正しいことを伝えるには、お互いに、感情的にならずに落ち着いて話せなくてはいけないからです。
ですので、正しいことを伝えようとすると、どうしても、落ち着いて、煽らず、怖がらせたりしないように言葉を選んで話さなくちゃいけません。
そういう話し方をしない人は、自分が正しいと思っていないことを言っているのかもしれません。少なくとも正しいことを伝えようという努力が不足している人だとは言ってもいいと思います。

2,科学的な専門知識の体系をきちんと身につけた人は、あまり、非専門家の前で、世の中のいろんな組織の悪口を言いません。
なぜなら、正しい専門知識の体系を身につけるまでには結構な時間がかかります。そして、その間に多くの人に教えてもらったり、世話になったり、迷惑をかけたりするものです。
だから、専門知識を身につけた人には、過去に教えてもらった師匠や迷惑をかけた上司や世話になった同僚が社会のあちこちにいます。ですので、世の中のいろんな組織の悪口など、簡単には言えないのです。それに、社会は、お互いにつながっているものです。不用意に誰かの悪口を言ったら、それは、彼から説明されるあなたの親族や勤務先の上司かもしれないのです。
もちろん、世の中は、きれいなことばかりではありませんから、批判をしなくてはならない問題も時々あります。でも、そういう場合にだけ批判をする人と、普段から悪口ばかり言っている人は、分かりますよね。

3,信じないほうが良い意見を主張する人は、しばしば、派手好きで見栄っ張りで知ったかぶりです。
なせなら、彼が、そういうふうに、あまり正しくない意見を堂々と言う理由は、たいていは虚栄心だからです。

4,世の中の大きな話、たとえば、いくつもの役所やたくさんの会社が関係する話の裏に何かテレビや新聞で報道されない隠し事があり、それがあなたの健康を害しているという話が出てきたら、たいていは間違いです。
絶対とまでは言い切れませんが、たいていは間違いです。
なぜなら、そういう大きな話を動かすには、たくさんの会社やたくさんの専門家の協力が必要であり、そういう人たちの大部分は、たいてい、あなたと同程度には善良だからです。ですから、陰謀のような話やスキャンダラスな話では、多くの会社や専門家の協力を仰ぐことが難しいのです。


いろんなうさんくさい話の、そういった部分を良く見てください。きっと、科学的な知識の有無に関係なく、大抵の場合、そういうトンデモ話の嘘を見分けられることがわかるはずです。

神楽坂すしアカデミーに行ってきました

ずっと、気になっていたんです。

ネットで、合理的な考え方をすることで有名な人たちが、
「寿司屋になるために、なにも長期間下働きしながら修行なんてしなくていい。寿司屋の学校で勉強したほうが早い。」
みたいな発言をしていて、それに対して、ちょっと保守的な考え方の人たちが、激しく反論していたことがありましたよね。

で、本当のところ、学校で寿司を学べるのだろうか、と。一度、寿司学校で寿司を学んできた板前の寿司を食ってみて決めても良いのではないだろうか、と。

で、行ってきました。以下、感想を書いてみます(為念。当然、私が店に行ってきた時の感想ですから、他のタイミングで行った人は、また違う感想を持つかもしれません。)。


結論。
結論から言いますと、決して旨くはありません。安い回転寿司よりすこしマシという程度です。

接客オペレーションについて。
ネットでは、この店の接客オペに問題があると批判が出ていました。
私の印象としては、接客の態度や店員教育が特に悪いとは思いません。けど、この店でトラブルが頻発するのは理解できます。
注文の受け方、料理の配膳の仕方など、少々特殊なルールがいくつもあり、わかりにくいのです。
ルールは、殆どが、食べ切れない量の寿司を注文させないためのルールです。おそらく、寿司の食べ放題ということで、食べ切れない量の寿司を一気に注文する客が多かったのでしょう。その対応で他の客のオペレーションが滞るというトラブルもあったのでしょう。おそらく、それに対応しようとして、注文のルールをいろいろ追加していったのだろうと思います。
ただ、そのルールが煩雑で理解が難しいのです。私が食ってる間にも、店内で、ルールが理解できず店員に食ってかかる人がいました。

板前の腕と寿司ネタ。
ネタ、ハッキリ言って、あまり質が良くなく、大きさも小さいです。まあ、価格も3000円で食べ放題ですから、こんなもんかも知れません。
板前の腕はピンキリです。
私が行った時は三人板前がいましたが、一人は、ほとんど素人みたいな包丁さばきで、握り方も下手くそでした。
ほか二人は、普通の安い寿司屋並みだったかと思います。
そういうわけで、最初に書いたように、あまり旨くありません。神楽坂で食うなら、もっと旨い店が周囲にいっぱいあると思います。
ただ、寿司学校の批判をしている保守的なひとがいうような、寿司屋の伝統には学校などでは学べない大事ものがあるというような話ではなくて、何か、工夫で乗り切れそうな種類の問題が多いような気がしました。

板前と寿司学校について。
最後に、私、個人的に気になっていたのは、どういう人が、こういうところで板前として働くのだろうか、ということです。
学校に安くない授業料を支払い、その上で、こういう店で、おそらくは決して高くない給与か、あるいは無給で働くというのは、普通の寿司屋で下積みをするのと比べて損とまでは言いませんが、すごく得とは言いにくい気がするからです。
また、最近は、大手の寿司チェーンが作る社員研修システムもあります。
そういう中で、どういう人がここに来るんだろうか、と。

実は、私が一番驚いたのは、板前の年齢層が高いことなんです。
私が行った時いた一番若い板前は40前後、次が60くらい、一番高齢の方は70近いくらいの方に見えました。

私が思ったのは、これまで、こういう年齢層の人が、第二の人生として寿司職人を目指すルートというのはなかったのではないかということです。
伝統的な寿司職人の世界では70で見習いを始めるとか言っても門前払いでしょうし、大手チェーンの入社試験もその年齢では厳しいでしょう。
でも、実は、高齢になってから職人を目指してみたくなる人というのは、これまでそういうルートがなかっただけで案外多いのかもしれません。
もう一つ、昨今の求人の状況では中高齢男性の再就職市場は慢性的に厳しくなっています。ですので、ひょっとしたら、その年齢層の人にとって、普通の就職を止めて寿司学校に行って職人を目指すという選択肢のサンクコストは小さくなっているのかもしれません。
また、もうひとつ厳しく言えば、この業態は、中高齢男性の生きがい搾取的な側面もあるのかもしれません。



で、私は思うんですが、ややこしい注文ルールを作るよりも、食べ放題やめて、もう少し旨いネタでやったほうが良いですよ。

良いネタ使えば、そこそこ良い寿司になると思います。