2021年4月23日金曜日

ビザンチン将軍問題は、オスマン将軍問題に改名したほうがいい気がします

 ビザンチン将軍問題は、オスマン将軍問題に改名したほうがいい気がします、という話。長いよ。

計算機科学の分野の問題の一つに、「ビザンチン将軍問題」というのが、あるのです(リンクは、Wikipediaです。)
初めて、私が読んだ専門書では、この問題は、こんな感じの説明でした。
「ビザンチン帝国の軍隊が、とある敵国の都市を包囲している。包囲しているビザンチン帝国軍は、n個の軍団によって構成されていて、各軍団は、それぞれ、1人の将軍によって率いられている。帝国軍は、包囲している都市の攻撃を続行するか、それとも、撤退するか、を決めなくてはならない。もし、帝国軍全体で協力しあって攻撃したら、敵の都市を攻め落とすことができる。また、帝国軍全体で、協力しあって撤退作戦を行えば、犠牲を出さずに撤退することができる。ただし、一部の軍団だけが攻撃を続行し、残りの軍団が撤退しようとする、というようなことになれば、帝国軍は、敵に打撃も与えられず、被害だけを出し、戦争は敗北することになる。将軍たちは、攻撃か、撤退か、軍の全体の統一した方針を決めなくてはならない。無事に、全体で攻撃か撤退か、全軍で統一した行動が取れれば、将軍たちの勝ち、統一した行動を取れない軍団が出てくれば、将軍たちの負け、である。
ただし、問題点が2つある。
1,各将軍は、それぞれの率いる軍団を離れることはできない。したがって、全員で一箇所で会って話し合うのではなくて、お互いに手紙を出し合うことで、合意に至らなくてはならない。
2,将軍たちの中には、裏切り者がいる。裏切り者の将軍は、全体の統一した意思決定を妨害しようとするために、他の将軍に嘘の手紙を書くことがある。」
もちろん、計算機学者は、別段、ビザンチンの将軍の歴史の話に興味があるわけではありません。これは、コンピュータネットワークで、一部のコンピュータに故障が発生した場合にも、コンピュータネットワーク全体が、正常に動作を続けられるようにするにはどうしたらいいか、ということを考えるために、レスリー・ランポートという計算機学者が考えた例なのです。この例題の中の裏切り者の将軍は、故障したコンピュータの比喩で、また、例の中のビザンチン帝国軍は、ネットワーク全体の比喩なのです。計算機科学の世界には、このビザンチン将軍問題を解決するためのさまざまなアイデアがあります。
さて、この話を読んでから、ずっと疑問に思ってきたことがあるのです。それは、「ビザンチン将軍問題」に相当するような、ランポートの元ネタになるような戦争は、歴史上、どこかにあったのだろうか、ということでした。
複数の軍団が、お互いに会うこともできないほどの距離に布陣しないと包囲できないような都市、となると、かなり巨大な都市のはずです。ウィーンとか、ローマとか、おそらく、かなり大きな、つまり、現在でも有名な都市、でしょう。そんな巨大な都市を、ビザンチン帝国軍が包囲して、しかも、裏切り者がいて、そういう戦争というのは、歴史上、どこかであったのでしょうか?
先日、ネットフリックスの歴史ドキュメンタリー「オスマン帝国」を見ました。オスマン皇帝のメフメトの軍隊がコンスタンチノープルを陥落させる15世紀の戦いを描いたドキュメンタリーです。
皇帝に即位したばかりころ、メフメトの政権の基盤は弱く、メフメトは、自分の地位を守るためにも、自分が先代よりも優れた皇帝であることを周囲に示す必要がありました。メフメトは、そのために、コンスタンチノープル攻略を計画するのです。しかし、コンスタンチノープルは難攻不落の城塞です。この戦争が、若い皇帝の功名心からでた、成功の可能性が低い侵略だとみた大臣は、戦争に反対します。オスマン帝国では、メフメトの始めた戦争を支持する声は主流ではなかったのです。そういう中で、忠誠心の曖昧な軍を率いて、メフメトはコンスタンチノープルを包囲します。
包囲はしたものの、コンスタンチノープルは巨大な都です。包囲するオスマン軍の各軍団は、都の周囲の大きな湾や森、砦などに遮られ、お互いの連絡も十分に取れなくなります。そんな中、オスマン軍よりも遥かに小規模な軍隊でコンスタンチノープルを守るビザンチン皇帝は、オスマン軍にスパイを送り込み、調略によって逆転しようと試みます。オスマン軍の中には、本当か嘘かわからない情報が飛び交い、イスラム教徒からコンスタンチノープルを守るためにローマ法王が援軍を派遣したという噂が流れます。その一方で、オスマン帝国に新兵器を売り込もうとするキリスト教徒の発明家たちも現れます。むろん、信用できるものかはわかりません。そんな中、メフメトは、奇抜は作戦を秘密裏に進め、成功して、コンスタンチノープルを陥落させるのです。そして、勝利したメフメトは、戦争中に裏切った家臣たちを処刑し、自身の政権基盤を確固たるものにします。
さて、このコンスタンチノープルを包囲しているオスマン軍の様子、「ビザンチン将軍問題」に出てくるビザンチン軍に、似てませんか?
でね、思いついて、調べてみたんですよ。
この、「ビザンチン将軍問題」の元ネタは、「どこかの国の都市を包囲したビザンチン帝国の将軍たち」ではなくて、「ビザンチン帝国の首都であるコンスタンチノープルを包囲したオスマン帝国の将軍たち」だったのではないかと。それを、誰かが誤解して、ビザンチン帝国の将軍の話みたいに思って、いつの間にか、そっちの誤解が広がっちゃったんじゃないか(上でリンクしたwikipediaもビザンチン帝国の将軍の話として書いています)、って。まだ、ランポートの原著には当たれていないんですが、調べてみると、「ビザンチンを包囲するオスマンの将軍」の話として書いている本も、多いみたいなんですよね。

富山の四谷川

ふと思い出した話。長いよ。
小学生の頃、富山市の、割と中心部に住んでいたことがある。住んでいたところの近くには、四谷川(よつやがわ)、という小さな川が流れていた。
川は、細いところでは、助走をつければ飛び越せそうな程度の、小さなものだった。周囲の田んぼの排水は、だいたい、この川に流れ込んでおり、私の両親は、周囲の田んぼの水のための用水路だと思っていた。
実際、この川は、用水路のような感じというか、人工的な印象を与える川だったのである。川は、富山平野の中心部の、ほとんど水平な土地を流れていた。地面が水平なのに流れるのは、川が、深い溝の底を流れており、その溝が、川下ほど深くなるように掘られているからだった。また、川の流れる溝は、ほとんどのところで道に沿って真っ直ぐに流れ、ときどき、ほとんど直角に曲がっているのだった。つまり、どうみても自然な川には見えない、小さな川だったのである。
私が、この川が、見た目に反して、実は、ただの小さな川ではないと知ったのは、小学校の図書館でのことだった。図書館には、地域の郷土史の本がいっぱいあり、その中に、この四谷川が、昔は、もっとずっと大きな川だったと書かれていたものがあったのだ。
室町時代には、四谷川は、芋田川と呼ばれていたそうだ。当時の芋田川は、簡単には越えられない太い川で、富山城の南側の防壁の役割を担っていた。前田利家や佐々成政が率いる織田軍団が富山を征服した頃には、川の防衛上の機能を高めるために、川の北岸に沿って土の壁が作られ、また、川と壁を見張るために、川沿いに芋田城という小さな城が作られていたという。芋田城は、富山城の南を守る出城で屋形のような小さな城であった。場所は、今の中央保健福祉センター、少し前まで、星井町小学校があったところの近くだったという。
やがて、慶長の一国一城令により、芋田城は壊され、その代わりに、芋田川を見張るための小さな侍屋敷がいくつか作られた。侍屋敷は、時代によって増えたり減ったりしたようだが、最終的には4つに落ち着き、4つの侍屋敷が並ぶ芋田川は、四ツ家川、と呼ばれるようになった。やがて、周囲の住民は、昔、そこに屋敷があったことを忘れ、四ツ家川は四谷川と書かれるようになっていった。
当時、日本史、特に戦国期の歴史にハマっていた小学生の私は、この、自分の住んでいる近くに戦国の城があったという話に興奮した。しかし、それ以上に気になったのは、もし、四谷川が、昔、もっと大きな川だったとしたら、その水は、どこから流れてきて、どこに流れていたのか、ということだった。
川を流れる水は、山にふった雪や雨である。雪や雨の降る量は、この四百年でそう変わってはいないだろう。であれば、四百年前に、この川を流れる水が今より多かったのであれば、この四百年で川に流れ込む水の減った分と同じだけの水が、今は、上流のどこかから、別の川に流れ込んでいるはずなのだ。また、四百年前に、この川を、もっと多くの水が流れていたとしたならば、この川の下流、つまり、富山市の中心部に、大きな川の水の流れ込む、今はない大きな池なり川なり、があったはずなのだ。それは、どこだ?それが知りたくて、小学生の私は、四谷川の下流と上流の「探検」にでかけた。
下流については、その日のうちに謎が解けた記憶がある。四谷川を川下にたどると、子供の足でも20分くらいで、冷川(つめたがわ)という、四谷川より少し太い川と合流するところにでる。南部中学のちょっと北あたりである。その先は、川の名前が変わって、松川(まつかわ)となる。
松川については、小学校の授業で知っていた。昔の神通川である。神通川は、昔、富山市の中心部を蛇行して流れていた。その神通川の氾濫が頻繁なため、明治期に河川改修が行われた。その河川改修で、郊外に、新しい直線的な神通川が作られた。そして、それ以前に蛇行した神通川が流れていたところは、大部分が埋め立てられ、一部が、松川となった。この神通川改修と松川の由来の話は、富山市民にはよく知られている。そのため、松川には神通川の水が流れていると思っている人も多いが、実は、今の松川を流れているのは、四谷川と冷川の水である。いずれにせよ、いま、四谷川が松川に流れ込んでいるのであれば、昔の四谷川は、一級河川である神通川に流れ込んでいたはずなのだ。大きな川だった時代の四谷川の水の行き先は、これで、解決である。
上流の方は、なかなかわからなかった。四谷川の上流は、小学生の足では、少し遠すぎたのだ。わかったのは、中学1年生の夏である。自転車で、四谷川の上流をたどって、いくつもの用水を乗り換えながら行くと、上滝のあたりで、常願寺川に到達するのである。つまり、四谷川は、常願寺川の別れたものである。おそらく、四谷川の水量の減った分は、それよりも遥かに大きな川である一級河川の常願寺川に流れているのであろう。いつ頃、常願寺川から四谷川に流れ込む水量が変わったものか、よくわからない。ただ、四谷川の源流である常西用水が常願寺川から分かれるところには、佐々堤がある。佐々成政が作った堤防である。おそらく、四谷川の水量が減るのは、佐々成政が、ここに堤防を築いたよりも後であろうとおもっている。
さて、四谷川は、常願寺川から流れ出し松川に流れ込む、で、だいたいの話はおしまいなのだが、いまだに、よくわかっていないことがある。それは、最初に書いたとおり、四谷川の流路が、妙に人工的なことだ。四谷川も、また、四谷川と同じように常願寺川から分かれ、富山市内を流れて松川と合流する、いたち川も、どちらも、妙に深い溝を通っているところが多く、また、妙にまっすぐで、妙に直角に近い曲がり方をするところが多いのである。また、昔の富山の城下町を防御するのにも、田んぼの灌漑にも、自然の川にしては都合が良いところを流れすぎているのである。なんだか、やっぱり、誰かがつくったみたいではないか。四谷川も、いたち川も、前田利家や佐々成政が来た頃には、もう、今の流路であったというから、おそらく、それよりも前の時代に、誰かが川筋を今の場所にしたのだろうと思う。一体いつの時代のことか、誰が、工事したのか、おとなになった後も、何度か調べたのだけれど、いまだにわからないのである。

2020年12月28日月曜日

2020年に買ったもので良かったもの(かもしれないもの)

 みなさん、ごきげんよう。

「2020年に買ったもので良かったもの」みたいなエントリーをあちこちで見て、ああ、買い物を通じて今年一年を振り返るというのもいいかなぁ、と思いましたので、それで、今年買ったもののなかで、いろんなひとにおすすめしたいものを並べる記事を書いてみようとおもったのです。

なんですけれど、私、あんまり、記事にしたくなるような良いもの、買っていないんですね。一番、おすすめしたいものは、無料のものだったりして。

というわけで、あまりおすすめしたい買い物でもないのですけれど、ダラダラと書いてみます。


1,スマホ版のCollabora Office
LibreOfficeベースのスマホやタブレット用のオフィススイートです。Android版とiOS版があます。無料ですので、買ったものじゃないんだけれど。ですが、たぶん、パソコンでオフィススイートを使うような作業をスマホやタブレットでやるなら、一番オススメです。


2,f-Droid
少し前まで、私は、スマホ用のメールソフト兼TODOリストとして、Googleのinboxを使っていたんです。非常に便利でした。なんですけれど、googleは、突然、inboxの提供を打ち切ってしまって、それ以降、ずっと、TODOリストの管理に困っています。それで、スマホで使うアプリやサービスが極端に固定化して、特定の製品に依存しすぎるようになるのは、避けなければならないな、と痛感したのです。スマホは、パソコンよりもはるかに、普通の生活の中に深く入り込んで使われるデバイスなので、依存しすぎた製品が突然なくなると、ダメージ大きいのですね。

というわけで、最近、これを導入しました。Android用のアプリケーションストアでして。まあ、Google Playみたいなもんです。なのですが、提供しているアプリがオープンソースのアプリに限られている、という、そういうアプリストアです。これなら、万一、アプリの提供が止まっても、自分でコンパイルすれば良いわけですね。いいんじゃないかな、と思っています。

まあ、無料なので、買ったものじゃないんですが。


3,グリッペン
3番目で、やっと、買ったものです。200~300円と、安いですが。これは、何かというと、鉛筆の補助軸です。ただ、少し変わっているのは、差し込んだ鉛筆をネジのように回転させて使いたい長さに細かく調節できる、という機能がついたものです。これが、案外、使い勝手がいいのです。鉛筆補助軸みたいな古くからあるジャンルに、進歩がありうるとは思っていませんでした。

これを使うまで、鉛筆の補助軸というのは、短い鉛筆を延長してつかうものだと思っていたのですが、補助軸の長さをこれだけ手軽に細かく調節できるとなると、単に延長するだけでなくて、鉛筆の長さを自分の手にあった長さに調節するために使うものに変わってくるのですね。

難点は、補助軸なので、鉛筆が短くないと使えないということでして。私は、これを使うようになってから、長い鉛筆よりも短い鉛筆のほうが便利と思うようになりました。


4,ノートパソコンスタンド
テレワークが増えて、自宅でのノートパソコンを使った作業が増えたころから、頭痛や首の痛みが強くなりまして、その対策として買いました。

テレワークが始まってから首が痛くなるという人が多いのですが、私の見ている範囲では、多くは、仕事中に猫背になるせいなのですね。テレワークと言っても、多くの人は、自宅に、オフィスのような大きなデスクを持っているわけではありません。たいていは、デスクより背の低い座卓や、食事用のテーブルの上で、オフィスで使うよりも小さなノートパソコンをおいて小さなディスプレイを覗き込みながら使っています。それで、猫背になって、首の後の筋肉が緊張するのです。

少しディスプレイを高くすれば、たいていは、改善します。というわけで、これは、おすすめです。

5,Matobuy 空気測定器
これは、訪問している事業所で使うために買ったものです。炭酸ガス、ホルムアルデヒト、PM2.5などの濃度を測定することができます。コロナ禍で、各事業所での換気の程度を測定するために炭酸ガス濃度を確認したくて買いました。

同種の機械のなかで、アマゾンで一番安かったので買いました。測定精度がどれくらいなのかは、よくわかりません。まあ、でも、事業所で使うと、働いている人たちに換気の重要性をわかってもらいやすいです。これは、良いものをかったかな、と思っています。


あとで、追加するかもしれませんが、とりあえず、こんな感じです。あんまり、紹介できるようなものは買ってませんね。そもそも、買い物に興味がないからかもしれません。


それでは、みなさん、ごきげんよう。

2020年4月26日日曜日

テレワークでの健康上の問題について

みなさん、ごきげんよう

今日は、テレワークの健康上の問題について、話したいな、と思います。

みなさんご存知のように、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、十分な準備なくテレワークが行われるケースが増えています。そのため、テレワークに伴って、様々な健康上の問題が起こってきています。そこで、今日は、テレワークで起こりやすくなりそうな健康問題、それから、その対策、についてお話しようと思います。

ここしばらく、テレワークを導入した会社で、社員の健康相談に応じてきて、ざっとみて、以下のような問題が起こっていると思っています。

1、各自の自宅で、適切な大きさの事務用デスクが準備できない。また、小さなノートパソコンで作業せざるを得ない。そのため、適切な作業姿勢がとりにくい。
これは、主に、肩や腰の痛みの原因になります。特に、住宅環境がそれほど良くない都市部では、自宅に自分の仕事用のデスクを持っていない人は、結構います。そうなると、小さな座卓や食事用のテーブルなどで仕事をするわけです。食事用のテーブルは、事務用デスクよりも少し低めに作られていますので、食事用のテーブルで作業しますと、どうしても、やや猫背気味になります。また、小さなノートパソコンを使わなくてはならないことも、この傾向を強めます。かといって、今から、テレワーク用の机やパソコンを買い足すことは非現実的です。
私がおすすめしているのは、とりあえず、パソコンのディスプレイの高さだけでも調節することです。パソコンのディスプレイを、猫背にならない状態で目線の高さよりもやや低くなるくらいの場所に調整しましょう。ディスプレイが横置きの人であれば、ディスプレイの上の辺の高さが、概ね、目線の高さと同じくらいになるように調節するのが良いと思います。ノートパソコンの場合は、そこまで高くすることは難しいですが、何かの台に乗せるなどして、少しでも高さを稼ぐと、多少、猫背は軽くなります。

2,作業に適切な明るさでない照明。
多くの家庭用の照明は、オフィスよりもやや暗く設定されています。ですから、ときどき、事務作業をするには照明が暗すぎる部屋でテレワークしている人がいるのです。これは、目の疲れの原因になります。これについては、デスクライトを用意することをおすすめします。

3,騒音、気温、湿度などの問題。
4,老人や子供などと同居しているスペースで仕事をしていることや、その世話のために仕事が中断されることによる集中困難。
この2つは、正直、簡単な解決方法がありません。各自の家で、家族で話し合って、解決方法を考えてください。

5,労働時間管理の困難。
テレワークになると労働時間が長くなる人、というのは、話を聞いていますと、ときどきいるようです。そういう人は、ときどき、意識して休憩をいれるようにしましょう。
簡単なストレッチなどをすると良いかと思います。
また、会社は、テレワークであっても、労働基準法や労働安全衛生法の労働時間の基準は適用されることを忘れないようにしてください。会社での仕事と同じく、一定以上の労働時間になれば、長時間労働として扱う必要があります。

6,運動不足。
自宅でできる簡単な運動、ググってみてください。結構たくさん引っかかりますよ。いろいろ試してみましょう。

それでは、みなさん、おげんきで。
ごきげんよう。

2020年4月21日火曜日

新型コロナは、人口を分散させるか

みなさん、ごきげんよう。

今日は、新型コロナウイルス感染の流行後の世界について、考えてみたいと思っています。
とくに、私が気になっているのは、新型コロナ流行の結果として、我々の都市や国に、どのような影響があるか、特に、新型コロナ流行の結果として、現在、都市に集中しつつある人口が分散するかどうか、ということです。

新型コロナウイルス感染が広がる中で、いわゆる三密、密集、密接、密閉が避けられるようになり、その結果として、テレワークが普及し、満員電車が避けられ、また、飲食店や商店などは、休業して、代わりに、様々な宅配サービスの利用が拡大しています。

この新型コロナウイルス感染の流行は、いつ頃まで続くかわかりませんが、かなり長期にわたって続く可能性もありますし、そうなりますと、今回起こった社会の様々な変化は、おそらく、流行後の社会にも、不可逆的な影響をもたらすでしょう。

で、あちこちで話を聞いていると
1,ビデオ会議システムの普及に伴い、多くの企業が、地方に機能を分散させた社会
2,テレワークが普及した結果、多くの人が地方に移住し、人口が分散した社会
みたいな予想をする人が出てきているわけです。

しかし、私としては、そういうことにはならないんじゃないかな、と思いながら見ています。以下は、私が、あちこちの会社に行ったときに見聞きした話から思っていることです。

1,そもそも、企業の機能の地方移転は、多くの場合、三密を避けることにはならないのではないでしょうか?
私の知る中にも、コロナ後に、一部の機能を、地方に分散することを検討したいといっている(現時点では、お話だけですが)企業が複数あります。しかし、地方と言っても、東京の本社の機能の分散の受け皿になりうるようなところは、そもそも、そこそこ大きな都市、たいていは、政令指定都市や中核市などです。そういった、地方の大都市は、都市の規模こそ東京より小さいものの、中心部の人の密度は、それほど小さいわけではありません。地方と言っても、地方の大都市である以上、単純に東京から地方に移転することで三密を避けるということにはならないのではないかと思いながら話を聞いています。

2,多くのホワイトカラーの仕事は、結局、時々は、お互いに会わなくてはならないのではないでしょうか?
テレワークは普及するでしょうけれど、それでも、お互いに、全く会わなくてもいいと言うことになる仕事は少ないでしょう。そうすると、「毎日のように会う必要はないが、必要なときには会えるところにはいてほしい」という程度の距離感になるのではないでしょうか。となると、毎日、都心に出ていく必要はないけれど、呼ばれれば、1~2時間程度で都心に出ていく交通手段が複数ある、そして、週1~2回程度は、都心の会社に呼び出されても負担ではない、という程度の距離に住む必要はあるでしょう。
もし、完全にテレワークになれば、都心のマンションを離れて、常夏の南の島や、温泉など、好きなところにに住んで仕事をしたい、という人は、現在、たくさんいます。しかし、「会える必要はある」ことを考えると、実際に大部分の都市脱出組のテレワーカーたちから選ばれるのは、東北や四国や九州ではなくて、東京や大阪から、せいぜい50~100km程度の距離の場所になるのではないでしょうか?
東京から100kmとなると、水戸、宇都宮、前橋、甲府、沼津といったあたり、大阪から100kmとなると、米原、舞鶴、姫路、御坊、津といったあたりになります。
それより遠くなると、「必要なときにすぐに東京や大阪に出ていくことができる」とは言いにくい気がします。この程度の範囲であれば、これは、地方分散というよりも、大都市の通勤圏の拡大といったほうが適切でしょう。
もちろん、その範囲内でも、都市脱出を希望する人たちが憧れそうな温暖な海岸や温泉地は、たくさんあります。湘南、箱根、伊豆、有馬温泉、南紀白浜などは、すべて、この範囲内です。

3,完全にテレワークでできる仕事は、日本に残らないのではないでしょうか?
テレワークが始まってみると、実は、完全に会社に来なくても大丈夫そうな仕事も、結構見つかってきました。しかし、GoogleAppsやZOOMなどのソフトウェアを使って、本当に全く会わなくてもできるような仕事の大部分は、結局、オフショアの、たとえば、ベトナムあたりの賢い労働者にまかせても良い仕事と認識されるようになるのではないか、という気がします。そうなると、そういう仕事は、ほとんど日本の労働者の仕事としては残らないのではないでしょうか?そう考えると、日本の大部分の労働者の仕事は、結局、時々は、人とあわなくてはならないものになるのではないかと思います。

4,ホテル住まいの晴耕雨読の時代。
私達は、そこそこ長い期間、新型コロナウイルス感染を広げる可能性のある行動を慎むことを求められるでしょう。その間、人の賑わうところで買い物したり、レストランで食事をしたり、といったような楽しみについては、私達は禁欲させられることになります。そして、周囲の他の人にも、同じような禁欲を求めるでしょう。あまり望ましいことではないでしょうが、それをできない人たちを厳しく非難するようにもなるでしょう。いわば、三密をさけることは、「道徳」になるのです。そうなった社会で、私達に道徳的に求められるのは、かつて、「晴耕雨読」と呼ばれた生活になんとなく似ています。
晴れた日、あるいは、仕事を求められる日は、人と会わずに草庵の畑を耕すように、黙々とテレワークを行い、仕事のない日は、室内で、書を読み学ぶ。そういう生活です。
かつての晴耕雨読の士は、禁欲的ではあったでしょうが、しかし、昔の読書階級の人の多くは、決して、貧しい生まれではありません。それなりの家産もあったでしょうし、人嫌いの主人の生活を支えるために、代わりに買い物に出たりする召使いくらいはいたでしょう。私達は、それと同じことを、マンションに閉じこもって、アマゾンやウーバーイーツを頼むことで実現することになります。次の時代の高所得層は、大都会を見下ろすような立地の、リゾートホテルの一室のような豪華なマンションの一室に閉じこもり、室内から出ない仕事で大きく稼ぎ、学び、ホテルのルームサービスのような宅配サービスを受けながら、外で人と会いながら働かなくてはならないような人たちを非道徳的と感じて、ちょっとだけ蔑むような人たちになるかもしれません。

なんだか、ちょっと嫌な未来かもしれませんね。

それでは、今日の話はここまで。
みなさん、おげんきで。
ごきげんよう。

2019年7月19日金曜日

宗教家としての山本太郎(あるいは、スピリチュアル政党としてのれいわ新選組)

もうすぐ、参議院選挙です。
ここしばらく、私、山本太郎をウォッチしていました。
このエントリーは、そのウォッチの記録、選挙直前、私が彼を見て何を思っていたか、の記録です。あらかじめ、書いておきますが、山本を強く支持する人や、反対に、彼を強く批判している人は、このエントリーを読んで、不快になるかもしれません。

私が山本をウォッチし始めたのは、最初は、彼の政策への関心からだったのです。
ほう、日本にも、MMTをベースにした左派新党が登場したか。消費税を批判し、貧困層の救済を主張し、その財源として、大規模な国債発行を主張する。それなら、まさに日本のサンダースだな、と。そう思って見ていたのです。

しかし、見ているうちに、どうも、こいつはサンダースではない。それどころか、左翼ですらない。左翼系の学者たちをブレーンにつけているそうだけれど、どうも、この人は、左翼とか右翼とか、そういうポジションとはちょっとズレている。そう思うようになりました。

山本太郎は、一度、天皇に直訴したこともあるように、かなりの「尊王家」です。そう認識した上で話を聞くと、彼のスピーチは、かなり、普通の左翼とは違います。

日本では、左右対立の最大の争点の一つは、憲法であり、安保でした。
今回の選挙でも、憲法改正派が3分の2を維持できるかが一つのポイントになっています。しかし、山本は、この選挙戦の間、ほとんど、安保についても憲法についても発言していません。与党が3分の2取るかどうかにも無関心に見えます。3分の2とらせないという話の代わりに出てくるのは、「政権を取りたい」という劇画的なくらい非現実的な叫びです。おそらく、山本は、安保や憲法には、さして興味がないのだと思います。

また、彼のスピーチには、ほとんど安倍首相の批判が出てきません。左派政党の政治家のスピーチは、しばしば、右派から「アベガー」と揶揄されるように、スピーチの相当部分が安倍政権への批判で占められている事が多いのです。しかし、山本は、ほとんど安倍首相批判に言及しません。確かに、貧困や福島の問題には強い関心を持っている(それも、あまり、科学的に正しい理解を伴っているわけではないのですが)のは左翼っぽいのですが、その関心も、左翼的というより、非常にエモーショナルなもので、少し前の「次世代の党」などに似た右翼系ポピュリズムに近いニュアンスを感じるのです。もし、自民党が、消費税減税をするから憲法改正に賛成しろとバーターを持ちかけてきたら、山本は、その取引を受け入れる可能性があるのではないでしょうか?

おそらく、政治家になる前の山本太郎のもともとの立ち位置は、安倍アッキーなんかと似た、科学や政治に対して不信感を持ち、自然に近いものや伝統的なものに好感を持つ、薄めのスピリチュアル左翼(あるいは、厨二左翼とでも言うべきか)とでもいうべきポジションだったのだと思うのです。それが、福島原発事故を契機に、政治に関心をもつようになって、ああいうふうに変わっていったのでしょう。

政治家になってからの山本の成長は著しく、特に、ここしばらくで国会質問は急にサマになってきました。同時に、街頭でのスピーチも抜群にうまくなってきました。しかし、今でも、本質的には、彼は、もともとの厨二スピリチュアル政治家のままなのです。

私は、今度の「れいわ新選組」の、消費税廃止とかなんとかは、左翼的なポピュリズムというより、厨二感覚で立案された政策なんじゃないかと疑っています。おそらく、ネット上で山本の新党について語っている人の多くは、劇画でも読んでいる感覚で見ているんじゃないでしょうか?支持者の多くも、おそらく、彼の語る政策が実際に実現すると考えているわけではなくて、その、非現実的だけれど痛快な政策一覧を見て、劇画的に楽しんでいるのではないかと思うのです。

彼のスピーチのキメ台詞、「あなたをしあわせにしたいんだ」「あなたは、そこに存在するだけで価値がある」も、左翼的なアジテーションというより、スピリチュアルな叫びだと思います。

ネットでは、山本を支援する人の多くが、彼の街頭演説の動画を拡散して、フォロアーたちに見るように勧めています。その際、かなりの山本支持者が、「投票しなくてもいいから、これを見ると元気になるから」見てほしいと言っています。政治家の応援で、「動画を見ると元気になるから」といって演説動画を勧めている人たちは、私は初めてみました。自民党や民主党や共産党の支持者では、ある政治家を応援すると元気になれるなんて言って応援していた人たちは、おそらく、これまで、ほとんどいなかったのじゃないかと思います(実は、これまでだって、「政治家を応援する会に行くと元気になる」という話は、まったくないというわけではありません。「元気がほしいから、アントニオ猪木の応援に行ってビンタをしてもらう」といっていた人を、私は一人知っています。)。確かに、山本のスピーチは、熱量が大きくて、人によっては、元気が出る人も多いでしょう。

元気になるというご利益のある演説会、というのは、非常に宗教的です。私は、山本太郎という人は、宗教家としての才能がある人ではないかと思っています。また、彼の新党には、宗教団体のようなカラーがあると思っています。その新党が、東京選挙区で、先輩格の宗教政党の党首にケンカを売るような選挙戦を演じているのは、単にプロレス的に面白い選挙エンターテイメントではなくて、おそらく、かなり考えた上でやっていることだと思います。

さて、もうすぐ選挙です。私は、山本の新党に投票するつもりはありません。彼らの非現実的な政策に賛成出来ないからです。しかし、彼らを、非常に強い関心を持ってみています。おそらく、れいわ新選組は、今回、数議席確保するでしょう。

今回の選挙でれいわが集めたユニークな候補者の面々は、山本の人脈作りの能力の高さを示しています。今は非現実的な政策を掲げている山本ですが、政党要件を満たせば、今後、もっとよいブレーンを集めて、もっと現実的な政策を作る能力を持つようになる可能性も十分にあると思います。

今後、どうなっていくか、引き続き、見ていこうと思います。

2019年6月27日木曜日

天才について

最近、FBで、「天才」についてはなしをした。少し面白かったので、記録しておこうと思う。

1、分野ごとの天才
天才であると認められるためには、何か、圧倒的な能力を周囲に見せる必要がある。そして、能力を証明するために必要な条件は、分野によって異なる。スポーツや数学など、能力証明に必要なルールが整備されている分野では、天才は生まれやすい(サッカーの天才、将棋の天才、数学の天才、など)。反対に、ルールが複雑な、医学とか文学とかでは、天才は生まれにくい。そういう分野では、たいてい、「天才」ではなくて、「天才的」にとどまる(天才的な作家、天才的な外科医、天才的なピアニスト、など)。

2,ビジネス分野にも、「天才」と呼ばれている人が、ときどきいる。スティーブ・ジョブズとか、松下幸之助とか。ただ、あれは、1で言うような天才とは少し意味が違うように思う。というのは、ビジネスにおける天才というのは、個人の圧倒的に卓越した能力でもって天才と呼ばれているのではなくて、世の中を変えたとか、お金を稼いだとか、ビジネスにおける成功をもって天才と呼ばれているように見えるからだ。だから、無名で貧乏な天才将棋指し、とか、無名で貧乏な天才サッカー選手、というのは、存在しうるけれど、無名で貧乏な天才ビジネスマン、というのは、存在し得ない。また、天才的ビジネスマンは能力よりも成功によって天才と呼ばれるから、その天才を引き出す右腕役のような存在を必要とすることもある。能力によって天才と呼ばれる人は、本質的に、補佐役を必要としない(能力による天才は極端に社会性がないこともあるので、生活上のサポーターを必要とする場合はありうるが、あれは、補佐役というより介護役だと思う)。

2、天才の欠落
天才(あるいは天才的な人)を何人か見た経験からすると、天才は、普通人に天才的な能力を追加したような感じではなくて、普通人よりも何かが不足している、何かバランスの欠けた感じに見える人が多い。
おそらく、多くの天才は、元々、人並みよりも高い能力を与えられるわけではなくて、何か、大きな能力の欠落があって、その欠落を埋め合わせる形で、天才的能力を発達させるのだと思う。その結果が、あの、バランスの崩れなのではないか。

3、天才とひとりごと
私の知る天才のかなりの部分が、ひとりごとを話す。壁に向かって話したり、人形に話す人もいる。あれは、ルーチーンなのか、脳内会議みたいなものなのか。