2018年5月25日金曜日

摩訶大将棋の話

私の友達の中で、将棋と仏教と歴史が好きな人には、関心を持ってもらえそうな話題です。って、そんな人、あんまりいないか。将棋好き、仏教好き、歴史好きの友達は、それぞれいるんだけれど、その3つがダブっている友達は、あまり多くないですから。
何かと言うと、将棋の歴史と日本の宗教の歴史の交錯する話題です。

今の日本将棋の原型になったと思われるゲームをたどると、平安時代にプレイされていた、いくつかの種類のゲームにたどり着きます。平安将棋、大将棋、摩訶大将棋、天竺将棋と言ったゲームです。

これらのゲーム、かなり変なゲームで、また、日本近隣の国の他のチェス系ゲーム、中国のシャンチーやタイのマークルックなどともずいぶん異なるゲームです。なかでも、摩訶大将棋は、これは、プレイしたら、わかるひとはわかると思うんですけれど、明らかな宗教くささがあるのです。

摩訶大将棋は、今の将棋と同じく、自分の「玉将」というコマを守りながら相手の「玉将」というコマをやっつけるゲームです(現在の将棋では、玉将と、もう一方は、「王将」ですが、安土桃山時代までは、両方とも、「玉将」だったことがわかっています)。この「玉将」、どうも、周りのコマの配置から見ると、天皇をシンボリックに表現したものみたいなんですけれど、大して強いコマじゃありません。

そのかわり、玉将の周りには、いろんな強いコマがあります。さらに、玉将の周りにある強いコマに混じって、二つ、弱いけれど、重要な駒があります。一つが、「無明」というコマで、もう一つは「提婆」というコマです。この二つのコマは、ものすごく非力なコマなんですが、ゲーム中に成長して、「無明」は「法性」というコマに、「提婆」は「教王」というコマに変化します。この「法性」と「教王」は、めちゃくちゃ強いコマで、これが作れたら、このゲームでは圧倒的に有利になります。

なので、この摩訶大将棋というゲーム、前半は、お互いに、いろいろな強いコマを捨てながら、無明と提婆から、出来るだけ早く法性と教王を作ろうとする展開になります。で、後半は、そうやってできた法性と教王が天皇をサポートして敵を追い詰める、という展開になります。

これ、見る人が見れば分かりますけれど、明らかに、なんかの宗教が背景にあるわけです。で、これは、一体何なんだろう、当時の人は、どういう動機で、こんな変なゲームをやっていたんだろう、っての、私、昔から不思議だったんですよ。

これについては、私なりの仮説があったのだけれど、今日、このブログを見つけて、私が思っていた仮説と似た議論だったので、思わず、興奮してしまったのでした。

摩訶大将棋のブログ4

著者自身、少しずつ調べながら、自分なりの仮説を作ってきたようで、最近になるほど仮説が完成してきて面白くなる。200前後からが、とくに面白い。

全部読むのは大変なので、著者の主張の私なりの要約。
1,平安将棋、大将棋、摩訶大将棋の3つでは、摩訶大将棋が一番、宗教的なシンボルを多く含んでいる。反対に、平安将棋が一番、宗教的なシンボルを含んでおらず、現在の将棋に近い。この3つは、通常は、平安将棋、大将棋、摩訶大将棋の順に作られたのではないかと考えられているが、著者は、逆に、摩訶大将棋、大将棋、平安将棋の順に作られたのではないかと考えている(これは、明確な証拠はないのだけれど、ゲーム内容を考えると、私は、かなり説得力がある仮説に思える。摩訶大将棋のルールから平安将棋を思いつくのに比べると、平安将棋のルールから摩訶大将棋を思いつくのは、遥かに難しいように思える。)。
2,摩訶大将棋の王将の前方にあるコマは、天皇の行列に出てくるものをシンボリックに表したものだと考えられる。つまり、このゲームの玉将は、天皇のシンボルである。
3,摩訶大将棋の玉将の左右のコマは、当時の薬師如来の荘厳をシンボリックに表したものと考えられる。したがって、玉将は天皇であるだけでなく薬師如来でもあった。薬師如来は東方の如来であり、日本の天皇は、中国から見て東方の国の王なので、それで、両者を同一視したのではないか、というのが著者の意見(ということは、「玉将」の「玉」というのは、薬師如来の東方瑠璃光浄土の「瑠璃」だったわけです)。
4,玉将の周辺には、3人の如来(釈迦、阿弥陀、大日)をシンボリックに表したと思われるコマがある。したがって、摩訶大将棋には、玉将である薬師を含め、ゲーム開始時点で4人の如来が登場していることになる。
5,摩訶大将棋には、他に、十二支を表現したコマ、陰陽五行を表現したコマなどがある。これは、たぶん、このゲームを作った人が、そういった呪術にも詳しい人達だったからではないか。
6,こんな変なゲームが、単純な娯楽としてプレイされたとは考えにくい。おそらく、このゲームは、当時の薬師如来信仰を背景にして、神事(仏事)としてプレイされたのではないか。
7,摩訶大将棋にくらべると、大将棋、さらに平安将棋と、徐々に宗教的なシンボルが少なくなっていく。提婆と無明はなくなり、また、十二支や陰陽五行を表現したコマもなくなる。また、如来を示すコマは、まず、釈迦と大日が消える。阿弥陀は、しばらくは残されたものの、やがて、阿弥陀も消える。それと同時に、如来の荘厳を表現していたコマも簡略化されていく。
8,この変化は、平安時代を通じて、薬師如来信仰が中心だった仏教が、阿弥陀如来信仰中心に変化してきたことと関係があるのではないか。このゲームをプレイする人たちの中で薬師如来信仰がマイナーになるにつれ、古いシンボルを表現したコマは、徐々に、プレイヤーたちにとって、わかりにくいものになっていったのではないか。というのが著者の主張(物証はなさそうに思えるが、個々のコマの変化を考えると、これも、説得力があるように思える)
9,で、ですね。この説が正しいと考えると、現在の将棋は、摩訶大将棋→大将棋→平安将棋→現在の将棋と変化してできたものなわけです。で、もうひとつ、現在の将棋の金将、銀将、桂馬、香車の4種類のコマは、これは、平安時代に仏様の前に置かれていたもの(金、銀、肉桂、香木)の名残なのです。

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