2017年10月22日日曜日

衆院選の投票日に思ったこと

いくつか、思ったことを記録しておきたくて書いています。

0,投票と棄権の是非について
今回は、積極的に棄権をしようと訴える著名人がいたりして、棄権の是非について話題になりました。
SNSでは、棄権を批判する意見が散見されたように思います。
棄権はしてはいけない。投票は義務だ。

私は、そういう考え方に違和感があるのですね。
私、今は、合理的に考えた末の結論として毎回投票してますけど、昔は、やはり合理的に考えた末の結論として棄権を続けていたこともあります。
その頃の考えかたは、それはそれで間違っていなかったと思っています。
投票に行くことが絶対的に正しいと思っている人は、なかなか理解し難い考え方かもしれませんが、投票に行くことが絶対的に正しいかどうかは、自明ではないと思うのです。
大事なことは、その都度、自分で納得できるまで考えて判断することじゃないですかね。
で、自分の結論を、簡単に人に押し付けてはいけない。そう思っています。

投票しない人は、政治に文句を言ってはいけない、という人も多かった。
私は、そういう意見にも反対です。
代議制というのは、面倒なことを他人に任せる委託の一種です。散髪屋に散髪を頼んで、髪を切ってもらいながらゆっくり休んだり、タクシー運転手に運転を頼んで自分は酒を飲むとか言うのと同じことだと思っています。

専門家に頼んでなにか注文する時、客の意思表示がはっきりしない場合でも、それなりに普通に処理してくれるのが正しい姿です。そう考えると、投票しなくても結果に不満があれば言っても良いし、言うべきだと思うのです。

散髪屋で、「普通に適当に」なんて言っても、目が覚めたらモヒカンになってたら、文句を言うにきまっています。
「シェフのおまかせコース」を頼んでウンコが出てきたら、文句を言うにきまってます。
時価の寿司を頼んだ客にも、大体、常識的な請求してよい値段の相場感みたいなものがあるはずで、寿司屋は理不尽な値段を吹っ掛けていい訳ではないのです。

あたりまえのことですよね。

で、私は、特に意思表示がなくても、あるいは、おかしな意思表示があったとしても、少なくとも、このルールの通りにやりますよ、という話が憲法だと思っているわけです。
だから、憲法というのは、簡単に変えられないようになっている。
人によって解釈が違うかもしれませんが、これが、いまのところの、私の代議制民主主義の理解です。

1,期日前投票がこれだけ普及したのであれば、期日前投票を、普通の「投票」にしてはどうか?
これだけ、期日前投票が増えたんだから、もう、期日前投票は、いちいち期日前と言わないで、単に「投票」と呼んでも良いんじゃないかな?と思っています。
投票日当日のほうは、「千秋楽投票」とでも呼べばいい。


2,選挙を、もっと簡単なサンプリングによる世論調査に置き換えられないか?
これは、昔から思っています。
選挙というのは、私の考えでは、国勢調査のような、全数調査によるアンケートのようなものです。国民の意志を調べて国民の支持する政治家を選出するのが目的です。
であれば、もっと小規模なランダムサンプリング調査で、どの選挙区では、どの政治家が支持されているか、かなりの精度で調べることができるはずですなのですから、もっとローコストで簡単な方法で代替することが可能なはずです。
ランダムサンプリングで、「棄権しそうな人も含む全有権者」の傾向を調べることは容易ですから、投票率に関する面倒な問題も回避できます(むろん、ランダムにチョイスされた有権者に実際に投票所に来てもらう方法を取れば、「棄権しそうな人を除く有権者」の意見も調べることができるでしょう)。
そのほうが選挙よりもずっとローコストな方法だと思うのですが、どうでしょうか?

最近、政府の機能を人工知能に任せようなんて言っている人も出てきていますが、まずは、私としては、このような有権者の意見を推測するシステムを導入できるかどうかが、人工知能政府の導入の試金石になるのではないかと思っています。

3,立憲民主党の支持の広がりは、どれくらい本物か?

このエントリーを書いている時点では、まだ、投票が続いているのですが、どうも、枝野幸男氏が作った新党、立憲民主党が、かなりの支持を集めそうです。
この現象が、何を意味しているものか、私は、少し判断に迷っています。
できたばかりのこの政党は、どうみても計画的に作られたものではなく、予想外の政局の動きが生み出したものであり、おそらく、枝野氏自身、直前まで、新党を作る予定はなかったのではないかと思います。
このような急造の政党が急激に支持を集めているのは、単に、もう一つの新党に失望した人が流れ込んでいるだけの一過性の突風のようなものなのでしょうか。
それとも、多くの人が、潜在的に、ずっと、このようなポジションの政党を望んでいて、たまたま、偶然できた新党が、このニッチなポジションに命中したのでしょうか。
民進党よりもやや福祉重視で、やや左だけれど、共産党や社民党ほどではない、というポジションの政党は、ここしばらくは、ほとんどありませんでしたので(強いて言えば、少し前に一時期存在していた「日本未来の党」でしょうか)、このポジションを求める人は、ずっと自分のための政党がないと感じていたのかもしれません。
もし、この枝野新党が、ずっと求められていたニッチを埋めたということなのであれば、このポジションの支持者の規模は、どれくらいの大きさなんでしょうか?
二大政党の一翼を占める程度の大きさのあるニッチでしょうか?
そういうことが、すごく気になっています。

4,ネットで政治を語る人同士の汚い罵倒が減って、少しずつ相手の言うことを聞くようになってるような気がして少し嬉しい。
これは、私の観測範囲での印象です。
ネットで政治の議論をする人たちの間では、まあ、意見の違う人同士、汚い言葉で罵倒し合うのが、この数年、普通になっています。
とくに、大きな選挙の直前になると、その争いが激しくなります。
支持政党が違う人同士、相手のことをネトウヨだのパヨクだのと罵り合ったり、歴史問題について自分と見解の違う人を反日とか売国奴とか言う人がいたり、反原発論者と原発推進論者がお互いの悪口を言い合ったり、グローバルな自由市場を推進する人と、ローカルな昔からの産業秩序を守ろうとする人が、汚い言葉で相手を黙らせようとしたりします。
そして、そういう議論のときには、だいたい、お互いに相手の言うことを全然聞いていません。

さて、私のネット上での観測範囲での印象ですが、今回の選挙、ネット上での、そういう汚い言葉が急激に減っている印象があります。ひょっとしたら、これは、みんなが、反日だの、売国奴だの、守銭奴だの、ファシストだの、レイシストだの、そういうふうに罵倒し合うことに飽きてきているということなのかもしれません。

私には、支持政党の異なる友人がたくさんいますが、意見は違っても、ほとんどは、どのようにして日本を良くしていくか、どのようにしてみんなが幸せに暮らしていけるかを、それなりに真面目に考えている人ばかりです。
そして、どういう社会を理想だと思うか、という話をすると、多くの人は、伝統的な社会の良さもそこそこ残し、過激な格差もなく、そこそこ自由に商売でき、生活も自由で、民主的で、安全で、とまあ、かなり一致する社会像をイメージしています。ただ、どうやってそこにもっていくか(あるいは、それを維持するか)、という方法論についてだけ、ひとによって多少意見が違うだけという気がするのですね。外国政府の手先だとか、電力会社の走狗だとか、そういう人は、基本的にいないわけです。

であれば、私としては、それなりに一致できる話は話し合って、お互いに一致できる「真ん中」はどこなのか、丁寧に話し合ってほしいと思うわけです。

ひょっとしたら、そういうことができそうな雰囲気ができつつあるのかな、って言う気がしています。だとしたら嬉しいな、と思います。

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