2023年2月21日火曜日

2022年に読んでよかった本②「マニ教」

この記事は、2022年12月にFacebookに投稿した記事の転載です。


 「マニ教」

なんだか、テーブルトークRPGの設定に出てきそうな、やたら細かな設定がある宗教だな、というのが、読後の印象。おそらく、マニ教がそういう宗教である、というよりも、そういう語られ方をしやすい宗教である、ということなんだと思う。
おそらく、それは、マニ教は、すでに絶滅してしまった宗教だから、だろうと思う。
特定の宗教について書かれた研究書は、多くの場合、その宗教を信じている人自身によって書かれるか、その宗教を信じている人たちへの取材によって書かれるか、どちらかである。著者自身が信じている宗教について書くのであれば、当然、その宗教の価値観に否定的なことは書きにくいし、仮に、本人が信じていなくとも、信じている人たちへの取材によって書かれた本であれば、著作に協力した人たちへの配慮から、その信仰へのリスペクトが文の中に現れる。そういうものです。
だから、たとえば、仮に、その宗教の歴史の中で深く尊敬されている人物に、いかがわしい側面があったとしても、あけすけに、いかがわしいとは書かれないのが普通であるし、その宗教の経典に、他宗教からの大きな影響、さらにありていにいえば「盗作」と言いたくなるような部分があっても、それをあけすけには書かないのが普通である。
この本には、そういう忖度が全くない。
これは、おそらく、マニ教が、すでに滅んでしまった宗教だから、だと思う。この本が題材にするマニ教という宗教は、3世紀にマーニーによって創始され、遅くとも14世紀頃までには、信者がいなくなってしまった、既に滅んだ宗教なのである。
だから、著者は、もちろん、マニ教の信者ではないし、マニ教の信者に取材したわけでもない。忖度しなくてはならない教団も、現代社会には存在しない。
配慮は全く不要なのである。
また、この本には、マニ教を信じている人たちの内面に迫る話も、全くない。こういう儀式がある、こういう神話や教義がある、というだけで、なぜ、彼らがそれを信じたか、という、信じている人たちの気持ちがさっぱり書かれていない。教祖であるマーニーについても、多くの人を引き付ける神話的な物語を作った才能豊かなクリエイターとして描写される。奇跡や救済をもたらす聖者とか、人間の悩みに応える宗教家とか、そういう描き方はされないのである。
でも、これも、考えてみれば、当たり前のことで、マニ教の信者が、何百年も前に絶滅しているからだろう。おそらく、信者の心の中のドラマは、ほとんど記録に残っていないのである。
そういうわけで、この本に書かれたマニ教は、私が中学生や高校生の頃に結構流行った、少し昔のファンタジーRPGの設定に出てきたような神様や経典や儀式のごった煮みたいな薄っぺらさで、なぜ、信者が、それを信じているのか、よくわからない宗教なのだ。
でもね、この宗教が、千年ほど前には、キリスト教や仏教、イスラム教と並ぶ、世界宗教だったのだよ。民族を超えて、ものすごく沢山の人が、それを真実だと信じていたのだ。そして、それが、なぜ信じられたのか、千年後の我々には、わからなくなってしまっている。
それは、つまり、私達が今信じていることも、千年後には、なぜ昔の人(つまり私達)がそれを信じているのか、さっぱりわからず、薄っぺらになってしまっているかもしれない、ということなのじゃないでしょうかね。
なんか、そういうふうに不安になる本でした。

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