2013年12月2日月曜日

なぜ自由な投資と相性が悪い業界があるのか

いや、前からずっと不思議だったんです。
アメリカの医療制度では、株式会社が病院を運営することができるなど、日本の医療制度より病院に対する自由な投資が認められています。

一般的には、自由な投資や自由な市場競争は、(それが健全であれば)消費者の利益を増やし、効率を高めるはずです。

なのに、アメリカの医療は、日本やヨーロッパよりもずっと高価で、しばしば、ずっと非効率的と考えられています。

なぜ、こんなことになっているんでしょう?

最近、次の記事を読みました。

ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から
松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

もう一つ、上の記事のなかでも少し触れられているのですが、同じ著者による医療経営の分析です。

なぜ医療機関は医師が経営するのか

この2つの記事を読んで、初めて、医療経営の奇妙な状況についてハラオチした気がします。

以下、上記の2記事の内容についての僕の理解です。

いろいろな例を出して、著者が言っているのは、結局、経営や投資がうまく行くためには、「経営の実質的な決定権を持つ人」と「経営がうまく行かなかった時にリスクを負う人」「経営に関する責任を負う人」ができるだけ一致する必要がある、ということです。別の言い方で言うと、リスクを自分で負わない人が決定権を持つと、モラルハザードを引き起こす、というわけです。

この原則で、社会主義的な公営企業がうまく行かない理由は説明できます。
公営企業において、経営の実質的な決定権を持つ公営企業のトップは、その会社がうまく行かなかった時のファイナンシャルなリスクを負いません。このような場合、投資は、どうしても無責任になりがちで、結果、それぞれのプレーヤーが利己的に振る舞った場合、どうしても投資が過剰になることになります。

では、投資した人が権限を持つ資本主義的な企業では、同じ問題は起こらないのか?
そんなことはありません。なぜなら、資本主義社会の企業においても、必ずしも、投資した人が一番リスクを負っているとは限らないし、実質的な判断をできる人がリスクを負っているとも限らないからです。

たとえば、漁師を何人も雇って漁をする「会社」に(漁師以外の)投資家が投資したとします。万一、漁の途中に海難事故が起こった場合、投資家は、投資したお金のうち、船の代金分を失います。しかし、雇われている漁師は、事故が起こったら自分のいのちを失う可能性があるわけです。漁師が死ぬ危険があることに比べると、投資家が失う船の代金のリスクなどはたかが知れています。

つまり、投資家に比べて、漁師のほうが大きなリスクを背負っていると言えますし、漁師のほうが(自分のいのちを賭けるという形で)より大きな投資をしているとも言えるわけです。

そう考えると、実は大部分の投資をしている漁師でなく、見かけ上の投資だけをしている投資家が経営に関する実質的な権限を持つならば、先の公営企業のトップと同じく、無責任な過剰投資(つまり、漁から会社が得られると期待される利得に見合わない過剰な危険に漁師を晒す)ことになるわけです。

くわえて、漁というビジネスに必要な知識は、投資家よりも漁師の方がずっと豊富です。結果的に、投資家よりも漁師が決定権を持つほうがよい、ということになるわけです。

では、投資家が投資して、漁師が決定権を持つ(経営に投資家は口を出さない)ということになったらどうでしょう。この場合、漁師が合理的であれば、投資を過少にする(つまり、漁で得られると期待される利得に比べて、危険を過剰に避ける)ことになるでしょう。投資家から給与だけをもらって危険を避けるのが、漁師にとっては合理的だからです。

結局、漁をする会社が漁から得られる利得を最大にするためには、投資家を募らず、漁師自身が(投資でなく)融資を受けて、自分の責任で船を買って、自分で自分の会社を運営する形にするのが、一番良いということになります(実際、多くの漁の事業は、そういう方法で営まれているそうです)。

似た問題は、医療にも発生します。

医師を雇って医療を行う会社に、(医師でない)投資家が投資するという状態を考えてみてください。

投資家は、医療の知識が医師ほどにはありません。もし、投資家も医師も合理的に振る舞うとならば、投資家が個々の経営の判断をするときには、どうしても、(投資家が、自身に判断できない投資を抑制するため)投資が過少になります。一方、医師が経営の判断をするときには、どうしても、(医師が投資家の無知につけ込んで、過剰に投資家からお金を引き出そうとするので)投資が過剰になります。

結果的に、医療機関は医師自身が投資して経営する。投資を募る代わりに、医師が銀行から融資を受けて、お金を集める(つまり、医師が全面的にファイナンシャルなリスクを負う)形が、社会的に見て、もっとも適切な医療投資がなされることになるというわけです(詳細はここ参照)。

僕が、これを読んで思い出したのは、日本で、「投資」を集めているいくつかの医療機関の経営の話でした。

いや、実は、日本でも、病院が合法的に投資を集めるスキームは、いくつかあるのです。病院に投資したいという投資家も、何とかして投資家からお金を集めたいという病院も、沢山ありますので、この種のスキームを利用した「投資」は、今後もなくならないでしょう。

なるほどね。

ふーん。

ま、この話はこのあたりで。

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