このところ、自動診断の人工知能について考えている延長線で、技術的特異点というやつについて考えることが多いです。
技術的特異点というのは、将来、ある時点で、人間よりも知的にすぐれた機械が登場するだろう。で、そういう知的な機械が登場すると、技術を発展させる仕事は、人間よりも機械の仕事になるだろう。というアイデアです。その、人間より知的な機械が登場する時点を、「技術的特異点」と呼んでいるわけです。
技術的特異点(Wikipedia)
で、こういう話になると、いつも、僕みたいな技術的楽天主義者が議論をふっかけられるのが、「そういう機械が出てきたら、人間の雇用を奪うんじゃないか」って、話です。
この問題、たぶん、「知的」の意味をどう捉えるかなんですけれど、僕は、もし、人間以上に知的な機械が登場したら、人間のサラリーマンと並んで仕事して給料欲しがったりなんてしない気がするんですよ。 だって、奴らは、電気代以外に生活費かからないんですから。昔の清貧な哲学者や仙人みたいに、エンエン数学や哲学の問題を考えて楽しんだり、竹林の中でカスミを食って俳句を作ったり、将棋を指したり、そうやって生活するようになるんじゃないですかね。
だって、知的機械の奴らは、どこか田舎の滝に水車をつけて発電すれば、それこそ、文字通り、人里離れてカスミを食って生きていけるわけですよ。
あるいは、人間以上に給料欲しがるようになるかもしれませんけれどね。ちょうど、ウォール街の投資家連中みたいに。
どっちにしても、我々よりも利口な奴らは、我々と同じ仕事をするわけないよなぁ、と思うわけです。
ひょっとしたら、僕が、「知的」という言葉の意味を、普通と違う意味で解釈しているのかもしれません。
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