2015年6月1日月曜日

我々の生命観や宗教観は、バルタン星人にも受け入れられるほど普遍的か。

表題のようなことを、しばらく考えています。
仏教とかキリスト教とか、世界宗教になっているような宗教っていうのは、その多くが、神とか、その摂理とか、仏とか、法(縁起)とか、そういった、人間を超えた「宗教的真理」みたいなものがあることを前提にしています。
宗教的真理っていうのは、なんていうか、人間の誕生以前から存在していた普遍的な事実であり、かつ、人間には理解できない、人間の理解を超えた事実です。たとえば、創造主を信じている人は、創造主は、人間に先立って存在していた(それが人間を作ったわけだから当然です)と信じているのであり、また、また、人間には、それが、なぜ、どのように世界を作ったのか、理解できない(それは人間の知性を超えた優れた存在なのですから)と信じています。
あるいは、法とか縁起とかを信じている人は、それは、人間が存在するか、また、人間が認識するかどうかにかかわらず、この宇宙に存在し続ける「法則」のようなものだと信じています。そして、この種の宇宙の真理は、普通は、人間には完全に理解できるものではありません。
こういう、「真理」を強く信じている人は、しばしば、その存在を「信じている」という言葉を使わず、それが存在することを「知っている」という言い方をします。「信じる」という言葉には、「事実かどうか不確かなものを、人間が信じる」という含意があるからです。それを強く信じている人は、それが事実であることを、「知っている」のです。
むろん、我々がよく知っているように、人によって、国によって、宗教は違います。キリスト教徒が信じていることでも、イスラム教徒は信じていなかったりします。でも、それは、そういう宗教を信じている人にとっては、その信じている「真理」に普遍性がない、人によって違うということは意味しません。
宗教的真理を信じている人は、人によって宗教的真理についての意見が違うのは、相手が(また、自分たちも)宗教的真理を十分に理解していないからだ、と考えるのが普通です。
そもそも、宗教的真理というのは、人間の知性を超えた真理ですから、我々が完全に理解できるものではないのです。ですから、真理についての各人の意見の相違は、真理の普遍性を否定するものではなく、むしろ、我々の知性が真理に及ばないことを示しているのであり、したがって、それは、普遍的な真理の存在を、より強固に支持しているものと考えられるのが普通ではないかと思います。
こういう考え方をしない人から見ると、これは、不思議で異様な考え方に見えるかもしれません。しかし、こういう考え方をしている人も、世界には多いのです。

さて、表題のバルタン星人。
ウルトラマンのシリーズに登場する超有名宇宙人のバルタン星人。うろ覚えなんですが、確か、「いのち」という概念を持っていませんでした。
バルタン星人は、地球人類とは比べ物にならない高度な知性を持った宇宙人ですが、元々、一度の産卵で数億から数十億の子供を産む圧倒的に多産の生物です。そのため、バルタン星人の世界には個々の命という観念が育たず、したがって、バルタン星人の言語にもそれを表す言葉がありませんでした。
ために、地球の言語にある「いのち」という言葉も彼らの言語には翻訳できなかった。
地球人との交信の中で、バルタン星人は、「イノチ、ワカラナイ」と繰り返すことになります。
これを初めて見た時、なるほどと思ったのを覚えています。数億の子供を同時に生む生き物に、個々の生物のイノチという観念が希薄になるだろうことは、当然に思えたのです。人間の世界でも、もし、同時に数億人の人間が生まれれば、子育ても、教育も、医療も、今よりもずっと大量生産型にならざるを得ないでしょうし、それが常態化すれば、個々の個体の命という概念は、徐々に失われていくだろうと思ったのです。
となると、バルタン星人は、我々とは、その生命観や倫理観を大きく異にすると考えざるを得ません。そのバルタン星人の世界でも、宗教的真理を主張するような宗教はあるでしょうか?(私には、それは、十分にありえるように思われます。)
もしあるならば、バルタン星人と我々が邂逅した時、我々の宗教家とバルタン星人の宗教家は、
1,「宗教的真理」は、「生命とはどうあつかうべきものか」といった「倫理」とは、全く無関係である(倫理は、あくまで、それぞれの生物の社会での約束事であり、「真理」は、それに無関係である)。
2,「宗教的真理」は、生命倫理を含んでいるが、我々もバルタン星人も、双方ともに、それを十分には理解できていない。
のどちらだと考えるでしょう。
私、昨日、日曜日の昼間、そういうことをぼんやりと考えていたのでした。
結論は、無論出ないのですが、そんなことを考えているのは、私、最近、生命倫理と宗教と混線させないほうがいいのじゃないかとアレコレ考えるようになったからなのです。

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